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原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (15)(直訳と訳文)

(2) 直訳(3義認と善い働き[])

[4] Quod fides in actu justificationis intret per Verbum et auditum, et quod non sit actus hominis, sed quod sit operatio Spiritus Sancti, et quod tunc homo non cooperetur plus quam statua salis, truncus aut lapis, nihil ex se agens, et de eo nihil sciens, sed quod post actum cooperetur, verum non cum aliqua voluntate propria in spiritualibus; [4] 信仰は義認の活動の中で、みことばと聴覚を通して入ること、また人間の活動ではないこと、しかし、聖霊の働きであること、またその時、人間は塩の柱☆、幹(丸太)または石以外にさらに協力しないこと、それ自体からは何も行なわない、そのことについて何も知らない、しかし、活動の後、協力すること、けれども、霊的なものの中で〔人間に〕固有のものの何らかの意志とともにでなく。

「塩の柱」については創世記19:26参照。

aliter in naturalibus, civilibus et moralibus; 異なって〔いる〕、霊的なもの、市民的なもの、道徳的なものの中で。

attamen quod tunc in spiritualibus eo usque possint progredi, ut bonum velint, eoque delectentur, sed hoc ipsum non a sua voluntate, sed a Spiritu Sancto, et quod sic cooperentur non a suis viribus, sed a novis viribus et donis, quae Spiritus Sanctus in conversione inchoavit; しかしながら、その時、霊的なものの中でそれだけ(eo usuque)進むことができる、善を欲するように、そしてそれだけ(eo)楽しむ(満足する)、しかし、このことそのものは自分の意志からではない、しかし、聖霊から、またこのように自分の力からでなく協力する、しかし新しい力と賜物から、それらを聖霊が回心の中で始めた。

quodque in vera conversione immutatio, renovatio et motus fiant in hominis intellectu et corde: そして真の回心の中で、人間の理解力と心の中に、変化、更新また運動(衝動・感動)が生じること。

quod charitas, bona opera et paenitentia non ingrediantur actum justificationis, sed quod in statu justificationis necessaria sint, imprimis propter mandatum Dei, et quod per illa mereantur praemia hujus vitae corporalia, sed non remissionem peccatorum et vitae aeternae gloriam, quia sola fides absque operibus legis justificat et salvat: 仁愛、善い働きまた悔い改めは義認の活動に入らないこと、しかし、義認の状態の中で必要であること、特に神の命令のために、またそれらによってこのいのち(生活)の身体的な報酬に値すること、しかし、罪の赦しと永遠のいのちの栄光に〔値し〕ない、信仰のみが律法の働きなしに義とする、また救うからである。

quod fides actu hominem justificet, sed fides statu renovet: 活動での信仰は人間を義とする、しかし状態での信仰は更新する(新しくする)と。

 

(3) 訳文

 [4] 信仰は義認の活動の中で、みことばと聴覚を通して入り、人間の活動ではなく、しかし、聖霊の働きである、またその時、人間は、それ自体からは何も行なわない、そのことについて何も知らない塩の柱☆、丸太または石以上にさらに協力しない、しかし、活動の後、協力する、けれども、霊的なものの中で〔人間に〕固有のものの何らかの意志とともにではない。霊的なもの、市民的なもの、道徳的なものでは異なっている。しかしながら、その時、霊的なものの中で、善を欲し、そしてそれだけ楽しむように、それだけ進むことができる、しかし、このこと自体は自分の意志からではなく、しかし、聖霊から、またこのように自分の力からでなく、しかし聖霊が回心の中で始めた新しい力と賜物から協力する。そして真の回心の中で、人間の理解力と心の中に、変化、更新、衝動が生じること。仁愛、善い働きまた悔い改めは、義認の活動に入らない、しかし、義認の状態の中で、特に神の命令のために、必要であり、またそれらによってこのいのち(生活)の身体的な報酬に値す、しかし、罪の赦しと永遠のいのちの栄光に値しない、信仰のみが律法の働きなしに義とし、救うからである。活動での信仰は人間を義とする、しかし状態での信仰は更新する。

 

「塩の柱」については創世記19:26参照。

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 00:15
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原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (14)(直訳と訳文)

(2) 直訳(3義認と善い働き[3])

[3] Haec est fides hodierna in summario, verum confirmationes ejus et traditiones de illa sunt plures et multiplices, ex quibus aliquae etiam adducentur, quae sunt, [3] これ(女性)が要約した今日の信仰である、けれども、その確証(証拠)それらについての伝承は数多くまた多種多様である、それらから何らかのものもまた提示される(未来)、それらである、

Quod homines non possint justificari coram Deo propriis viribus, meritis et operibus, sed gratis propter Christum, per fidem, per hanc quod credant se in gratiam recipi et peccata remitti propter Ipsum, Qui Sua morte pro nobis satisfecit, et quod Deus Pater hoc credentibus imputet propter justitiam coram Ipso: 人間は固有の(それ自身の)ものの力で、功績と働きで、神の前に義とされることができないこと、しかし、無料でキリストのために、信仰によって、これ〔信仰〕によって、自分たち自身が恵みの中へ受け入られること、また罪が赦されることを信じている、その方のために、その方は、ご自分の死で私たちのためにあがなった(満足させた)、また父なる神はこれを信じる者たちに転嫁すること、ご自分(神)前の義のために。

quod fides haec non tantum sit notitia historica quod Christus pro nobis passus et mortuus sit, sed etiam assensus corde, confidentia et fiducia, quod gratis propter Christum remittantur peccata et justificentur; この信仰はこんな程度に歴史の(史実に基づく)識ではない、キリストが私たちのために苦しまれ、また死んだこと、しかしさらにまた心での同意、信任と信頼〔である〕、無料でキリストのために罪が赦される、また義とされること。

et quod tunc haec tria concurrant, Promissio gratuita, Meritum Christi tanquam pretium, et Propitiatio: またその時、これら三つのものが一緒に走る(群がり集まる)こと、無料の約束、いわば代価〔としての〕キリストの功績、また贖罪(和解)

quod fides sit justitia, qua coram Deo justi reputamur propter promissionem: 信仰は義(公正)であること、それによって神の前に正しい者が私たちは評価される(見なされる)、約束のために。

et quod justificari sit absolvi a peccatis, et quod etiam quodam modo dici possit vivificari et regenerari: また義とされることは罪から赦免されることであること、またある種の方法(様式)でもまた言われることができること、生かされることまた再生されること。

quod fides nobis ad justitiam reputetur, non quia illa tam bonum opus est, sed quia meritum Christi apprehendit: 信仰は私たちに義に(向けて)評価される(見なされる)こと、それ〔信仰〕がこれほどに善の働きであるからではない、しかし、キリストの功績をつかまえるからである。

quod meritum Christi sit Ipsius Obedientia, Passio, Mors et Resurrectio: キリストの功績は、その方の服従、受難、死と復活であること。

quod necessum sit, ut aliquid sit per quod Deus adiri potest, et quod id non aliud sit quam fides per quam fit receptio. 必要であること、何らかのものが存在すること、それによって神に近づくことができる、またそれは信仰以外の何らかのものでないこと、それによって受け入れが生じる。

 

(3) 訳文

 [3] これが要約した今日の信仰である、けれども、その確証それらについての伝承は数多くまた多種多様である、それらからの何らかのものもまた提示しよう、これらである、

 

 人間は自分自身の力、功績、働きで、神の前に義とされることができない、しかし、キリストのために無償で、信仰によって、この信仰によって、自分たち自身が恵みの中へ受け入られ、その方のために罪が赦されることを信じている、その方は、ご自分の死で私たちのためにあがない、父なる神はご自分(神)前の義のために、これを信じる者たちに転嫁される。

この信仰は、キリストが私たちのために苦しまれ、死なれたといった史実に基づく知識ではない、しかしさらにまた、キリストゆえに無償で罪が赦され、また義とされることの心からの同意、信任と信頼である。またその時、これら三つのもの、無償の約束、いわば代価〔としての〕キリストの功績、また贖罪(和解)群がり集まる

 信仰は義であり、それによって約束ゆえに神の前に正しい者として私たちが見なされる。また義とされることは罪から赦免されることであり、生かされることち再生されることであるとも言われることができる。私たちに信仰は義と見なされるのは、その信仰がこれほどに善の働きであるからではなく、しかし、キリストの功績をつかまえるからである。

キリストの功績は、その方の服従、受難、死と復活である。

 それによって神に近づくことができる何らかのものが存在することが必要であり、それは信仰以外の何らかのものでなく、それによって受け入れが生じる。

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 00:26
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原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (13)(直訳と訳文)

(2) 直訳(3義認と善い働き[2]まで)

3{1}. DE JUSTIFICATIONE PER FIDEM, ET DE BONIS OPERIBUS.― 3 信仰による義認について、また善の働き(善業)について――

Fides Clericorum justificans et salvans haec est: 聖職者の義とするまた救う信仰はこれである――

Quod Deus Pater averterit Se a Genere humano propter iniquitates ejus, et sic ex justitia damnaverit illud morti aeternae; 父なる神は人類からご自分を背かせた、彼の☆不法(複数)ために、またこうして公正からそれら☆を永遠の死に(地獄へと)断罪したこと。

ここは「彼ら」とするのがよいでしょう。

et quod ideo miserit Filium in mundum, Qui expiaret et redimeret, ac satisfaceret et reconciliaret; またそれゆえ☆、子を世の中に送ったこと、その方は償う(罪滅ぼしをする)、またあがなう、そして贖罪する(満足させる)また和解させる。

このideoが「原文」としたものではideaとなっていました、訂正します(スキャナーミスです)

et quod Filius hoc fecerit per quod in Se susceperit damnationem legis, et passus Se crucifigi, et quod sic et per obedientiam impleverit omnem justitiam Dei, usque ut Ipse factus sit Justitia; また子はこのこと(中性)を行なった、自分自身に律法の断罪(有罪)を受け入れる(引き受ける)ことによって、また自分自身にはりつけにされることを受けて(被って)、またこのようにまた服従によって神のすべての義(公正)を満たしたこと、その方が義(公正)となるようにまでも。

et quod Deus Pater hanc ut Ipsius meritum credentibus imputet et applicet, et ad illos mittat Spiritum Sanctum, qui operatur charitatem, bona opera, paenitentiam, ut bona arbor bonos fructus, ac justificet, renovet, regeneret et sanctificet; また父なる神はこのこと(女性)をその方の功績として信じる者たちに転嫁する、また適用する、また彼らに聖霊を送る、その者は仁愛、善の働き、悔い改めを生み出す(つくる)、善い木が善い実を〔生み出す〕ように、そして義とする、更新する(新しくする)再生させる、また聖別する。

et quod haec fides sit unicum medium salutis, et quod per illam solam remittantur homini peccata. またこの信仰が唯一の救いの手段であること、またそれだけによって人間の罪が赦されること。

[2] Distinguunt inter Justificationis actum et statum; [2] 彼らは義認の活動と状態を分離している(区別している)

per Justificationis actum intelligunt initium justificationis, quod fit momento cum homo per solam illam fidem cum fiducia apprehendit meritum Christi; 義認の活動によって義認の始まりを理解している、それは人間がその信仰のみによって信頼とともにキリストの功績をつかむ(感じる)き瞬間に生じる。

per Justificationis statum intelligunt progressum illius fidei, qui fit per Operationem Spiritus Sancti interiorem, quae se non manifestat nisi per quaedam signa, de quibus varia docent; 義認の状態によってその信仰の前進を理解している、それは聖霊の内的な働きによって生じる、それはある種のしるしによってでないならそれ自体を明らかにしない(示さない)、それらについていろいろなものを教えている。

tradunt etiam bona opera manifesta, quae fiunt ab homine et ejus voluntate, et sequuntur illam fidem; 明瞭な善の働きにもまた伝える(述べている)、それは人間とその意志から行なわれる、またその信仰から続く。

sed illa excludunt a justificatione, quia proprium et sic meritum hominis est in illis. しかし、それらを義認から締め出している、人間のプロプリウム(固有のもの)とこのように(したがって)功績がその中にあるからである。

 

(3) 訳文

3 信仰による義認について、また善の働きについて――

 聖職者の義とするまた救う信仰はこれである――

 

 父なる神は、人類の不法ために彼らから向きを変え、こうして義(公正)から彼らを永遠の死へと断罪した。それゆえ、子を世の中に送った、その方は償い、あがない、そして満足させ、和解させる。また子はこのことを、自分自身に律法の断罪を受け入れ、はりつけにされることを自分自身に被って、このようにまた服従によってその方が義(公正)となるようにまでも神のすべての義(公正)満たしたことによって行なった。また父なる神はこのことをその方の功績として信じる者たちに転嫁し、適用し、彼らに聖霊を送る、その聖霊は、善い木が善い実を〔生み出す〕ように、仁愛、善の働き、悔い改めを生み出す、そして義とし、新しくし、再生させ、聖別する。またこの信仰が唯一の救いの手段であり、それだけによって人間の罪が赦される。

 [2] 彼らは義認の活動と状態を区別している。義認の活動によって義認の始まりを理解している、それは人間がその信仰のみによって信頼とともにキリストの功績を感じる瞬間に生じる。義認の状態によってその信仰の前進を理解している、それは聖霊の内的な働きによって生じ、それはある種のしるしによってでないなら明らかにならない、それらについていろいろなものを教えている。人間とその意志から行なわれ、その信仰から続く明瞭な善の働きにもまた述べている。しかし、それらを義認から締め出している、人間のプロプリウム(固有のもの)とこのように功績がその中にあるからである。

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 00:33
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原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (12)(直訳と訳文)

(2) 直訳(2主キリストについて、[4][5])

[4] Ab aliqua parte ex Reformatis, de quibus etiam in Formula Concordiae, creditur, [4] 改革派の者からのある部分により、それらについてもまた「一致信条」中に〔あるが〕、信じられている、

Quod Christus secundum Humanam naturam per exaltationem tantum creata dona et finitam potentiam acceperit, ita quod sit Homo sicut alius, retinens proprietates carnis; キリストは人間性の性質にしたがって高められることによってそれほどの創造された贈り物と有限な力を受けたこと、そのように(しがたって)他の者のような人間であること、肉の特性(属性)保有して。

quod ideo quoad Humanam naturam non sit Omnipraesens et Omnisciens; それゆえ、人間性の性質に関して遍在しない、また全知〔でない〕こと。

quod tamen absens regat tanquam Rex dissita a Se; それでも、不在〔である〕、あたかも王のように支配していること、ご自分から遠く離れたものを。

quod ut Deus ab aeterno sit apud Patrem, ac ut Homo natus in tempore sit apud Angelos in Caelo; 永遠からの神として父のもとにいること、そして時間の中で生まれた人間として天界の中の天使のもとにいる。

quodque in Christo Deus sit Homo et Homo Deus, sit locutio figurata; そしてキリストの中で神は人間である、また人間は神〔である〕こと〔は〕、外観の話し方である。

praeter similia alia. ほかに同様の他のもの。

 

[5] At dissensionem hanc dirimit Symbolum Athanasii, quod ab omnibus in Christiano Orbe receptum est, ubi haec sunt: [5] しかし、この意見の相違(衝突)は「アタナシウス信条」で解決される、それはキリスト教界の中のすべての者により受け入れられている、そこにこれらがある――

"Vera fides est, ut credamus et confiteamur, quod noster Dominus Jesus Christus Filius Dei sit Deus et Homo, Deus ex substantia Patris natus ante mundum, et Homo ex substantia matris natus in mundo; 「真の信仰である、私たちは信じる、また告白すること、私たちの主イエス・キリスト、神の子は、神と人間であること、世の前に生まれた、父の性質の実体から神、また世の中で生まれた、母の実体から人間〔である〕。

perfectus Deus et perfectus Homo; 完全な神〔である〕また完全な人間〔である〕。

Qui tametsi est Deus et Homo, non tamen sunt duo, sed unus Christus; その者はたとえ神と人間であっても、それでも二つではない、しかし、一つのキリストである。

unus non per conversionem Essentiae Divinae in corpus, sed per assumptionem Humani Sui in Deum; 身体の中へ神的な本質の変化によってでなく一つ、しかし、神の中へご自分の人間性のまとうことによって。

unus prorsus, non per confusionem substantiae sed per Unitatem Personae; 完全に一つ〔である〕、実体の混ぜること(混交)によってでなく、しかし、位格の同一性によって。

quoniam sicut rationalis anima et corpus est unus homo, ita Deus et Homo est unus Christus." 理性的な霊魂と身体が一人の人間であるように〔そのようである〕ので、そのように(しがたって)、神と人間は一つのキリストである」。

 

(3) 訳文

 [4] 改革派のある一部の者により信じられている、それらについてもまた「一致信条」中に〔あるが〕、

 

 キリストは人間性の性質にしたがって高められることによって、それほどの創造された賜物と有限な力を受け、しがたって、肉の属性を保有して他の者のような人間である。それゆえ、人間性の性質に関して遍在しない、全知でない。不在であっても、それでも、ご自分から遠く離れたものをあたかも王のように支配している。永遠からの神として父のもとにいる、そして時間の中で生まれた人間として天界の中の天使のもとにいる。そしてキリストの中で神は人間であり、人間は神であることは、外観での話し方である。ほかにも同様な他のもの。

 

[5] しかし、この意見の相違は「アタナシウス信条」で解決され、それはキリスト教界の中のすべての者により受け入れられていて、そこにこれらがある――

 

「私たちが信じ、告白する真の信仰〔は次のもの〕である。子である私たちの主イエス・キリストは、父の性質の実体から世の前に生まれた神であり、また世の中で母の実体から生まれた人間である、神と人間である。完全な神であり、完全な人間である。その方はたとえ神と人間であっても、それでも二つではなく、一つのキリストである。神的な本質の変化によってでなく、神の中へご自分の人間性をまとうことによって、身体の中へと一つである。実体の混交によってではなく、位格の同一性によって、完全に一つである。理性的な霊魂と身体が一人の人間であるように、そのように神と人間は一つのキリストである」。

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 01:39
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原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (11)(直訳と訳文)

(2) 直訳(2主キリストについて、[3])

[3] Quod incarnatio facta sit, ut reconciliaret nobis Patrem, ac hostia fieret pro totius Mundi peccatis, tam originalibus quam actualibus; [3] 受肉は行なわれたこと、父に私たちを和解させるために、そして聖体となる〔ために〕全世界の罪の代わりに(のために)、実際の〔罪〕も原罪も。

quod incarnatus sit ex substantia Spiritus Sancti, sed quod Humana natura a Virgine Maria producta sit, quam ut Verbum assumpsit et Sibi univit: 聖霊の実体から受肉したこと、しかし人間性の性質は処女マリアから生み出されたこと、それをみことばとして帯びた(まとった)また自分自身に結合した。

quod sanctificet credentes in Ipsum, misso in corda illorum Spiritu Sancto, qui regat, consoletur et vivificet illos, ac defendat contra diabolum et vim peccati. ご自分を信じる者を聖別すること、聖霊を彼らの心の中に送って、その者〔聖霊〕は支配する、彼らを慰める、また生かす、そして悪魔と罪の力に対して守る。

Quod Christus ad inferos descenderit, et infernum pro omnibus credentibus destruxerit; キリストは低い領域(下界)へ降った、また地獄をすべての信じる者のために破壊した。

quo autem modo haec fuerunt effecta, non curiose vult ut scrutentur, sed hujus rei cognitio alteri saeculo reservetur, quando non modo hoc mysterium, sed etiam alia multa revelabuntur. けれども、どの方法でこれらが結果となったか、好奇心で調べられるように〔キリストは〕欲しない、しかし、この事柄の知識は他の時代に保持される(保存される)、その時、この神秘(奥義)だけでなく、他の多くのものもまた示される(啓示される)(未来)

Haec sunt ex Luthero, Augustana Confessione, et Concilio Nicaeno, Articulis Smalcaldicis; これらはルター、アウクスブルク信条告白、またニカイア公会議、シュマルカルデン条項からである。

videatur Formula Concordiae. 「一致信条」が見られる(とよい)(=参照)

 

(3) 訳文

 [3] 受肉は、父に私たちを和解させるために、そして全世界の実際の罪も原罪も聖体となるために行なわれた。聖霊の実体から受肉した、しかし人間性の性質は処女マリアから生み出され、それをみことばとしてまとい、自分自身に結合した。ご自分を信じる者を、聖霊を彼らの心の中に送って聖別し、その聖霊は彼らを支配し、慰め、生かし、そして悪魔と罪の力に対して守る。

 キリストは下界へ降り、すべての信じる者のために地獄を破壊した。けれども、どようにしてこれらが結果となったか、〔キリストは〕好奇心で調べられるようことは欲しない、しかし、この事柄の知識は他の時代に保存され、その時、この神秘(奥義)だけでなく、他の多くのものもまた啓示される

 

 これらはルター、アウクスブルク信条告白、またニカイア公会議、シュマルカルデン条項からである。「一致信条」参照

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 23:41
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