RSS | ATOM | SEARCH
原典講読『真のキリスト教』 137(直訳[11]〜[13])
 

[11] さらに私は質問します。それがアリウスの断罪を免れない異端は、主の神的な人間性を否定すること以外の何ものでもなく、そのためにコンスタンティヌス大帝によりニカイア公会議が招集されたのではなかったのですか?

 さらに、「エレミヤ」のこれらによってあなたがたは何を理解するか言ってください、

 

 「見よ、日が来る……そのときわたしはダビデに正しい枝を起こす、その者は王〔として〕支配する……またこのその方の名前は……エホバは私たちの正義」(23:5, 633:15, 16)

 

 もし、あなたがたが永遠からの子を言うなら、あなたがたは狂っています。その者は「贖い主」ではありません。けれども、もしあなたがたが時間の中で生まれた子を言うなら、その者は神のただひとりの息子(ヨハネ1:183:16)であり、あなたがたは正しいです。

 この者は贖いによって義となりましが、そのことからあなたがたはあなたがたの信仰をつくっています。

 さらにまた「イザヤ」9:6を、加えて他の箇所を読んでください、それらの中に、エホバご自身が世の中にやって来ることが予言されています。

 

 これらに、席の男は黙り、自分自身を背けた。

 [12] これらが行なわれた後、議長は祈りで評議会を終えることを欲した。しかし、急にその時、左の集団から男が勢いよく出てきた、その者に頭の上に司教冠、またその上に帽子、また指で帽子を触り、また語って、言った、「私もまたあなたの世界の中の男と仲間である、その者はそこで並々ならぬ名誉をうち立てた。この者☆2を私は知っている、私は彼らから、私からのように話すからである」。

 また、私は質問した、「その有名な者はどこに滞在していますか?」

 彼は答えた、「イェーテボリ。また彼からかつて私は、あなたの新しい教えはイスラム教の気味があると考えた」。

聞こえたその声から、私は右からのすべての者を見た。そこに使徒的教父たちが、顔でびっくりして、また〔顔色を〕変えて立っていた。また私は彼らの心から、彼らの口を通して、叫ぶ声、「おお、犯罪、おおどのような時代」を聞いた。

しかし、彼らの正しい憤りを鎮めるために、私は手を伸ばし、聞くことを懇願した。それが許されて、私は言った、「私は、著名なその男が、そのような何かを手紙に書きつけ、その後、それを活字で印刷したことを知っています。しかし、もしその時、彼が、その冒涜がどのようなものであるか知っていたなら、確かにそれを指で引き裂き、燃やすためにウゥルカーヌス(火の神)に引き渡したでしょう。

 その侮辱は、キリストは神性から以外の他の力から奇跡を行なう、と言ったはユダヤ人に向けた主のことばによって意味されます(マタイ12:22-32)。それらに加えて、そこに主もまた言われています」。

 

 「だれでもわたしとともにいない〔者〕は、わたしに反する〔者〕である。まただれでもわたしとともに集めない〔者〕は、散らす」(30)

 

 これらが言い表わされて、その仲間となった者は顔を下げた、しかし直にそれを上げた、また言った、「これまで以上にびしいことを私はあなたから聞いた」。

 しかし、私は言い返した、「その理由の中に二つの決まり文句、自然主義とイスラム教があります。それらは主の聖なる礼拝から意志を背かせ、また引き止めることへ向けての、邪悪な偽りと狡猾さででっちあげられたものであり、また二つの致命的な突き傷(烙印)です」。

 また私は、後ろの仲間となった者へ向きを変え、言った、「イエーテボリの彼に、もしあなたができるなら、それらを読むように言ってください。それらは主により「黙示録」3:18の中で言われ、

そしてまたそこの2:16に言われいることです」。

 [13] これらが言われて、ざわめきが起こった。しかし、これは天界から降ろされた光によって鎮められた。またその光から左にいた多くの者が、右に移った。残された者は空虚なものしか考えない、またそれゆえ、教師のそれぞれの者の口から評価し、そして主については人間としか信じない者が〔左に〕残された。

天界から降った光が、これらの者とそれらの者からはね返り、そして左から右の部分へ移った者の中へ流入するように見えた。

 

 注* 編集者の注――初版のこのメモラビリアは引用符で囲まれている。〔「“」の記号が行頭すべてに付けられています〕

2 エケボムです。彼については『スヴェーデンボリ叙事詩』第41章参照。そこにスヴェーデンボリに敵対したことが詳しく述べられています。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 21:14
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(直訳[8]〜[10])
 

 [8] これが朗誦された後に、私は,席の男へ向きを変え、また言った、「私は、ここのすべての者は自然界の中の自分に似た者と仲間となっていることを知っています。お願いです。あなたはだれとであるか、あなたが知ってるかどうか、言ってください」。

 重々しい声で答えた、「私は知っている、私は教会の傑出した大群からの組織集団の権威者著名な男☆1と仲間である」。

 またこれほどに重々しい声で答えたので、私は言った、「あなたが知っているかどうか私が質問することをお許しください。どこにその名高い権威者は住んでいますか?」

 また言った、「私は知っている、彼はルターの墓から遠くない〔ところに〕住んでいる」。

 これらにほほえんで私は言った、「なぜ、あなたは墓を言うのですか? あなたは、ルターがよみがえったこと、また今日、永遠からの三つの位格の神性への信仰による義認についての自分の間違いを放棄したこと、またそれゆえ、新しい天界の幸運な者たちの間に移されたこと、また自分の後ろの狂っている者たちを見て、笑っていること知っていませんか?」

 また言い返した、「私は知っている、しかし、このことが私に〔とって〕何なのか?」

 またその時、彼が言ったのと同様の声で、私は話しかけて、言った、「あなたは仲間であるあなたの名高い者に、私が懸念していることを吹き込んでください。自分の教会の正説に反して、主からその神性をたちまちに取り去ったこと、または、自分のペンであぜ溝を耕すことを許し、私たちの救い主なる主の礼拝に反して書いている時に、その中で思慮もなく自然主義を植えたことです」。

 これらに答えた、「このことを私はできない、私と彼はこの事柄に関してほとんど一つの心をつくるからである。しかし、私が言うそれらを彼は理解しないし、また、彼が言うすべてのことを私ははっきりと理解している」。

 というのは、霊界は自然界の中に入り、またそこに人間の考えを知覚する、しかし、逆ではないからである。これが霊と人間の交わりの状態である。

 [9] 今や、私は席の男と話し始めたので、言った、「もし許されるなら、これから、何らかの質問で中断させてください――福音主義の正統的な信仰が『一致信条』と呼ばれる彼らの教会の祈祷書の中に、キリストの中に神は人間であり、人間は神〔である〕こと、またその方の神性と人間性は分けられない位格のうちにあり、永遠にとどまることが教えられていることを、あなたは知らないのですか?  どのようにその時、主の礼拝を自然主義でよごすことを彼はでき、またあなたはできるのですか?」

 それに彼は答えた、「それを私は知っている、またそれでも知らない」。

 それゆえ、私は言うことを続けた、「彼、たとえ不在であっても、または彼の代わりにあなたに、私は質問します、私たちの救い主である主の霊魂はどこからですか?

 もし、あなたがたが、母から〔である〕ことを答えたなら、あなたがたは狂っています。もし、ヨセフからなら、あなたがたはみことばを汚しています。けれども、もし聖霊からなら、「聖霊によって発出し、また働く神性が、そのように神エホバの子であることが意味されるかぎり」☆あなたがたは正しく言っています。

直訳の時、この「・・・」部分を訳し漏れしてしまいました。

 [10] 再び、(私は)質問します、位格的結合とは何ですか? もし、あなたがたが、一人は上に、もう一人は下にいる二人の間のようなものであることを答えるなら、あなたがたは狂っています、このようにあなたがたは救い主なる神を、三つの神のように、二つにすることができるからです。しかし、もしあなたがたが、霊魂と身体のものであるような人格的な結合であることを言うなら、あなたがたは正しく言っています。このこともまたあなたがたの教えに、なおまた教父〔の教えと〕もまたしたがっています――『一致信条』(765-768ページ)また『アタナシウス信条』に思い巡らしてみてください、そこにこれらがあります――

「私たちが信じ、告白する正しい信仰は、私たちの主イエス・キリストが、神と人間であることである。その者はたとえ神と人間であるといえども、それでも二つではない、しかし、一つのキリストである。実体を混ぜることなく、しかし、位格の単一性でまったく一つである。なぜなら、理性的な霊魂と肉が一つの人間であるように、そのように神と人間は一つのキリストであるからである」。

 

1 エルネスティです。彼については『スヴェーデンボリ叙事詩』第33章参照(竜に似た妨害する霊)。第42章では「熊」と称されており、この箇所は同章の最後で引用されています。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 22:13
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(訳文[5]〜[7])
 

[5]私があなたがたの信仰についてこのようなたとえによって語ることを、あなたがたは驚かないように。私たちはそれらについて天界の中でそのように話すからである。

 けれども、永遠にあり、またあった救い主なる神、主への私たちの信仰は、その人間性は神性であり、神性は人間的であり、このように受け入れるのに適したもの、またそのものから霊的な神性が人間の自然的なものに結合され、また自然的なものの中の霊的な信仰になり、ここから自然的なものは霊的な光から透明なもののようになったものであり、その中に私たちの信仰がある。

それらから構成される「真理」は、聖なる書物の中の節と同数の、それだけ多くのものがある。それらの「真理」は星のようにすべてのものであり、その真理はその光でその信仰を明らかにし、また確信させる。

人間はその信仰をみことばから、その中に知識、思考と信念があるその自然的な光によって受け入れる。しかし、主は、その方を信じる者のもとに、確信、信頼と信任が生じるようにされる。このように霊的なものが自然的なものに、また仁愛によって生きたものになる。

 私たちのもとのこの信仰は、聖なるエルサレムの城壁と同数の宝石で飾られた女王のようである(黙示録21:17-20)

 [6] しかし、私は言った、「それらが単なる〔気持が〕高ぶった〔時の〕言葉であると信じ、それらはそれゆえ、つまらないものとあなたがたが見なないように、私は聖なるみことばから何らかのものを朗誦し、それらから、私たちの信仰はあなたがたが信じるような人間へのものでなく、しかし、その中にすべての神性がある神の真理への信仰であることを明らかにします。

 ヨハネは言った、

 

 イエス・キリストは「真の神、また永遠のいのち」である(第一の手紙5:20)

 

 パウロは、

 

 キリストの中に「すべての神性の充満が形をとって住んでいる」(コロサイ2:9)。

 

 また、「使徒の働き」の中に、

 

 「ユダヤ人とギリシア人とに神への悔い改めを、また私たちの主イエス・キリストの中への信仰を」宣言したこと(20:21)

 

 また、主ご自身は、

 

 その方に、「天の中と地の中のすべての力が」与えられたこと(マタイ28:18)――

 

 しかし、これらはわずかです」。

 

 [7] この後、天使は私を眺め、また言った、「あなたは知っている、福音主義者は、そのように言われているが、救い主なる主について何を信じているか、または信じようとしているか。何らかのものを朗読せよ、私たちが知るために、その中にその方の人間性は単なる人間性であることを信じるような愚劣なものがあるかどうか、また何らかの神性をその方に帰しているか、またはどのように〔帰しているか〕どうか」。

 またその時、集会の前で、彼らの正説の本から集めたものから――ライプツィヒで1756年に出された『一致信条』と呼ばれるものから、、私はこれら続くものを朗誦した――

 

キリストの中に神性と人間的な性質は、一つの位格をつくるように結合されていること(606, 762ページ)

キリストは分割されない位格の中の真の神と人間であり、また永遠にとどまること(609, 673, 762ページ)

 キリストの中で、神は人間であり、また人間は神であること(607, 765ページ)

 キリストの人間性の性質は神性のすべての威厳へ高められた。このこともまた多くの教父たちから(844-852, 860-865, 869-878ページ)

 キリストは人間的な性質に関して遍在し、すべてのものを満たすこと(768, 783-785ページ)

キリストは人間的な性質に関して天の中と地の上のすべての力であること(775, 776, 780ページ)

 キリストは人間的な性質に関して父の右に座ること(608, 764ページ)

 キリストは人間的な性質に関して加護を祈らなければならないことが、そこに聖書に言われていることから確信される(226ページ)

 『アウクスブルク信仰告白』はその礼拝を最大に推奨していること(19ページ)

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 23:54
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(訳文[3]〜[4])
 

 [3] これらに、ひげのないあご、髪の毛のようなかつら、首のまわりにひだえりのカラーをつけていた左側の仲間は、手のひらをたたき、叫んだ、「あなたは最も賢く話した――私たちは、天界から与えれらないものはどんなものも取ることができないことを知っている。私たちに、その預言者に言わせよ〔直訳でこれを「教える」と間違えました〕、どこから信仰が、またそれらでないなら信仰とは何か。他のもの、また他のところからであることは不可能である。他の信仰をこれを取り出すことは、天の中のある星座へ馬に乗って行き、ここから星を捕え、そしてそれをガウンのポケットの中にしまい込み、持ち去ることのと同じように不可能である」。

このことを、仲間が新しいすべての信仰に向けて嘲笑するために言った。

 [4] これらを聞いて、あごにひげがあり、自然のままの頭髪であった右側の男たちは怒った彼らからある老人が立った、しかしそれでも、その後、若者のように見えた、というのは、天界からの天使であり、そこではすべて者の年齢は若々しくなるからである。彼は語って言った、「私はあなたがたの信仰がどのようなものであるか聞き、それを〔審判者の〕席の男がそのように称賛した。しかし、その信仰とは、再びピラトの兵士たちにより閉ざされた私たちの主の復活後の墓でないなら何か? 私はそれを開けたが、魔術師の杖以外の何も見なかった、それによってエジプトの魔術師は奇跡を行なった。実に、あなたがたの信仰は、あなたがたの目に、外側は、金からの金細工師のまた宝石でぎっしりとおおわれた箱のようであり、それが開けられる時、空である。おそらく、その隅の中にローマ教皇の残りのもの〔遺骨や遺品〕からのほこりしかない。なぜなら、これらの者にとってその信仰は同じものであり、単に、それは今日、これらの者により外の神聖なるものでおおい隠されているだけであるからである。また、例えば、比喩を用いれば、女神ウェスタに仕えた古代の巫女のようである、彼女は聖なる火を消してしまって、地に埋められた。また私は、それが私の目の前に金の子牛のようであること断言することができる。その子牛まわりをイスラエルの子らは、モーセが、エホバへ向けてシナイ山に去り、上った後、踊った。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 07:03
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(訳文[2]まで)
 

(3) 訳文

137. *第四のメモラビリア――

 

 私は、今日の信仰についてとその信仰によって選ばれた者の義認についての著述と学問で有名な者たちからの評議会が招集されたことを聞いた。このことは霊たちの世界の中であり、私に霊の中で出席して現存することが与えられた。また私は、同意また不同意の聖職者からの会合を見た。

 右側に世で使徒的教父と呼ばれ、またニカイア公会議〔325年開催〕の前の時代に生きた者が立っていた。また左側に、その時代の後に印刷されたまたは見習い生により羊皮紙に書写されたものから有名な者たちが立っていた。これらの者(後者)の多くの者は、あごにひげはなく、女の巻き毛の髪からできたかつらをつけていた、またこれら(後者)のある者はロールカラー、またある者は翼のあるカラーであった。けれども、それらの者(前者)はあごにひげがあり、また自然のままの頭髪であった。

 これらとそれらの者の前に審判者〔であり〕、またこの時代の著作の判定者である男が、手にステッキをもって立ち、床(ゆか)をたたき、沈黙を促した。この者は席の高い段に上り、うなり声を発した、またそこから大声で叫けぼうとした、しかし、うめく息がのどの中で叫び声を引き戻した。

 [2] しかし、最後に語って、言った、「兄弟たちよ、おお、何という時代〔なのか〕――平信徒の群れからある者が立ち上がった、その者にガウン、司教冠、また月桂冠はなく、私たちの信仰を天界から引き落とし、ステュクス川の中に投げ捨てた。おお、犯罪〔である〕。それでもその信仰だけが、夜にオリオンのように、朝に明けの明星のように輝く私たちの星である。

 その男は、たとえ高齢でも、まったく私たちの信仰の奥義に盲目である、その信仰を開けて、また救い主である主のその義を、またその調停と贖罪を見なかったからである。またこれらを見ないとき、その義認の驚異も見ない、それらは罪の赦し、再生、聖別と救いである。

 この男は、最高度に救いをなす私たちの信仰の代わりに、〔その信仰は〕神的な三つの位格の中に〔置く〕ので〔救いをなすのであるが〕、そのように全部の神の中に、第二の位格の中に、その中にでもなく、しかし、その人間性の中に移し、それを確かに私たちは永遠からの子の受肉からの神性と言った、しかし、だれがそれについて単なる人間性以外の何らかのものを考えるのか? またその時、ここから それの信仰から泉からわき出る自然主義のような信仰以外の何らかのものとは何か? またこのような信仰は霊的なものではないので、「代理人〔ローマ教皇〕」への、または「聖なる者」(聖徒)への信仰とほとんど異ならない。

 あなたがたは、カルヴァンがその時代にこの信仰からの礼拝について何を話したか知っている。また、よろしかったら、あなたがたからのある者に〔この〕信仰がどこからか言ってほしい。このようにすべての救いが内在する神から直接になのか?

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 01:13
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(直訳[11]〜[13])
 

[11.] Interrogo adhuc, quae fuit damnabilis haeresis Arii, propter quem Concilium Nicaenum ab Imperatore Constantino Magno convocatum est, aliud quam quod negaverit Divinitatem Humani Domini? [11] さらに私は質問をする、それがアリウスの断罪を免れない異端であったか? そのためにコンスタンティヌス大帝によりニカイア公会議が招集された、主の神的な人間性を否定すること以外の何らかのもの。

Porro dicite, quem intelligitis per haec apud Jeremiam, さらに言え、あなたがたは何を理解するか、「エレミヤ()」のもとのこれらのによって、

 

"Ecce dies venient, ...cum suscitabo Davidi Germen justum, qui regnabit Rex, ....et hoc Nomen Ipsius... Jehovah Justitia nostra" (xxiii. 5, 6; xxxiii. 15, 16): 「見よ、日が来る……そのときわたしはダビデに正しい枝を起こす、その者は王〔として〕支配する……またこのその方の名前は……エホバは私たちの正義」(23:5, 633:15, 16)

 

si dicitis Filium ab aeterno, insanitis; もし、あなたがたが永遠からの子を言うなら、あなたがたは狂っている。

ille non fuit Redemptor; その者は「贖い主」ではない。

si autem dicitis Filium natum in tempore, qui Unigenitus Filius Dei fuit (Joh. i. 18; iii. 16), recte dicitis; けれども、もしあなたがたが時間の中で生まれて子を言うなら、その者は神のただひとりの息子(ヨハネ1:183:16)、あなたがたは正しい。

Hic per redemptionem factus est Justitia, ex qua facitis Fidem vestram. この者は贖いによって義となった、そのことからあなたがたはあなたがたの信仰をつくっている。

Legite etiam Esai. ix. 5 [B.A. 6], praeter alia loca, in quibus praedicitur, quod Ipse Jehovah in mundum venturus esset." さらにまた「イザヤ」9:6を読め、加えて他の箇所を、それらの中に予言されている、エホバご自身が世の中にやって来ること。

 

Ad haec vir cathedrae siluit et avertit se. これらに席の男は黙った、また自分自身を背けた。

[12.] Postquam haec peracta sunt, voluit praeses oratione finire synedrium; [12] これらが行なわれた後、議長は祈りで評議会(会議)を終えることを欲した。

sed subito tunc vir e sinistro coetu erupit, cui tiara super capite, et pileus super illa, et tetigit digito pileum, et locutus dixit, "Ego etiam consociatus sum viro in mundo tuo, qui ibi in eminente honore constitutum est; しかし、急にその時、左の集団から男が勢いよく出てきた、その者に頭の上に司教冠、またその上に帽子(頭巾)、また指で帽子(頭巾)触った、また語って、言った、「私もまたあなたの世界の中の男と仲間である、その者はそこに著名な(卓越した、並々ならぬ)名誉を立てた。

hoc scio, quia loquor ex illo sicut ex me." この者☆を私は知っている、私は彼らから話すからである、私からのように」。

エケボムです。彼については『スヴェーデンボリ叙事詩』第41章参照。そこにスヴェーデンボリに敵対したことが詳しく述べられています。

Et quaesivi, "Ubi eminens ille commoratur?" また、私は質問した、「どこにその有名な者は滞在するか?」

Respondit, "Gothoburgi; 彼は答えた、「イェーテボリ。

et ex illo quondam cogitavi, quod nova tua doctrina sapiat Mahumedismum." また彼からかつて私は考えた、あなたの新しい教えはイスラム教の気味があること」。

Ex qua voce audita vidi omnes a dextris, ubi stabant Patres Apostolici, attonitos et mutatos facies, et audivi ex mentibus illorum per ora illorum exclamatas voces, "Oh facinus, o quale saeculum." 聞こえたその声から、私は右からのすべての者を見た、そこに使徒的教父たちが立った、顔でびっくりして、また変えて、また私は彼らの心から聞いた、彼らの口を通して、叫ぶ声で、「おお、犯罪、おおどのような時代」。

Sed ad sedandum justam excandescentiam illorum, exporrexi manum, et petivi auscultationem; しかし、彼らの正しい憤りを鎮めるために、私は手を伸ばした、また聞くことを懇願した。

qua data, dixi, "Scio quod vir istius eminentiae tale quid impinxerit epistolae, quae postea typo impressa est; それが許されて(与えられて)、私は言った、「私は知っている、著名なその男が、そのような何かを手紙で書きつけた、それをその後、活字で印刷した。

sed si tunc scivisset, qualis illa blasphemia est, sane discerpsisset illam digitis, et tradidisset Vulcano ad comburendum. しかし、もしその時、彼が知ったなら、その冒涜がそのようなものであるか、確かにそれを指で引き裂いた、また燃やすためにウゥルカーヌス(火の神)に引き渡したであろう。

Talis contumelia illa est, quae intelligitur per Domini verba ad Judaeos dicentes, quod Christus ex alia potestate quam ex Divina fecerit miracula (Matth. xii. 22-32): その侮辱はこのようなものである、それはユダヤ人に言って、主のことばによって意味される、キリストは神性から以外の他の力から奇跡を行なうこと(マタイ12:22-32)

praeter illa ibi etiam dicit Dominus, それらに加えて、そこに主もまた言う、

 

'Quisquis non est Mecum, contra Me est; 「だれでもわたしとともにいない〔者〕は、わたしに反する〔者〕である。

et quisquis non congregat Mecum, dispergit' (vers. 30)." まただれでもわたしとともに集めない〔者〕は、散らす」(30)

 

His edictis, consociatus ejus demisit vultum, sed mox sustulit illum, et dixit, "Duriora a te audivi quam usquam." これらで言い表わされて、その仲間となった者は顔つきを降ろした、しかし直にそれを上げた、また言った、「(さらに)びしいことをあなたから私は聞いた、これまで以上に」。

Sed regessi, "In causa sunt duae formulae, Naturalismus et Mahumedismus, quae sunt mendacia nefaria, astu inventa, et duo stigmata mortifera ad avertendum voluntates et deterrendum a sancto cultu Domini." しかし、私は言い返した、「理由の中に二つの決まり文句がある、自然主義とイスラム教、それらは邪悪な偽りである、狡猾さででっちあげられた、また二つの致命的な突き傷(烙印)である〕意志を背かせるまた主の聖なる礼拝から引き止めることへ向けて」。

Et converti me ad posteriorem consociatum, et dixi, "Dic illi in Gothoburgo, si potes, ut legat illa quae a Domino dicta sunt in Apocalypsi, iii. 18; また私を向きを変えた、後ろの仲間となった者へ、また私は言った、「言え、イエーテボリの中の彼に、もしあなたができるなら、それらを読むように、それらは主により「黙示録」3:18の中で言われている。

et quoque illa, quae ii. 16, ibi." そしてまたそれら、それらそこに2:16」。

[13.] His dictis, factus est strepitus; [13] これらで言われて、喧騒(ざわめき)が起こった。

sed hic sedatus est per lucem e caelo demissam, ex qua plures ex illis qui a sinistris erant, transiverunt ad illos qui a dextris, remanentibus illis, qui non cogitant nisi vana, et ideo pendent ab ore cujusvis magistri, et quoque illis, qui non nisi quam humanum de Domino credunt. しかし、これは鎮められた、天界から降ろされた光によって、またそ()ら彼らからの多くの者が、その者は左からいた、彼らへ移った、その者は右から、彼らに残されて、その者は空虚なものでないなら考えない、またそれゆえ、教師のそれぞれの者の口から評価する、そしてまた彼らに〔残される〕、その者は主について人間以外でないなら信じない。

Ab his et illis lux e caelo demissa, visa est sicut repercuti, ac influere in illos qui transiverunt a parte sinistra ad partem dextram. これらの者とそれらの者から、天界から降った光が、はね返ったように見えた、そして彼らの中に流入すること、その者は左から右の部分へ移った。

 

@ NOTA EDITORIS.In editione principe hoc Memorabile signis citationis inclusum est. 注* 編集者の注――初版のこのメモラビリアは引用符で囲まれている。〔「“」の記号が行頭すべてに付けられています〕

@1 responderitis (cum Doctore Tafel,) pro “responditis” 注1 responditis」〔現在〕の代わりにrespomderitis〔未来完了〕(ターフェル博士にしたがって) 

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 01:07
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(直訳[8]〜[10])
 

[8.] Postquam haec praelecta sunt, converti me ad virum cathedrae, et dixi, "Scio quod omnes hic consociati sint cum similibus sui in mundo naturali; [8] これが朗誦された後に、私は私を向きを変えた、席の男へ、また言った、「私は知っている、ここのすべての者は自然界の中の自分に似た者と仲間となっていること。

dic, precor, num scis cum quo tu es." 言え、懇願する、あなたが知ってるかどうか、あなたはだれとであるか」。

Respondit tono gravi, "Scio, consociatus sum cum viro incluto, praetore phalangum ab exercitu illustrium ecclesiae." 重々しい声で答えた、「私は知っている、私は著名な男☆と仲間である、教会の傑出した大群からの組織集団の指揮者(権威者)

エルネスティです。彼については『スヴェーデンボリ叙事詩』第33章参照(竜に似た妨害する霊)。第42章では「熊」と称されており、この箇所は同章の最後で引用されています。

Et quia tono tam gravi respondit, dixi, "Ignosce quod interrogem num scis ubi Praetor ille inclutus habitat?" またこれほどに重々しいこえで答えたので、私は言った、「許せ、あなたが知っているかどうか私が質問すること、どこにその名高い指揮者(権威者)住んでいるか?」

Et dixit, "Scio, habitat non procul a busto Lutheri." また言った、「私は知っている、彼はルターの墓から遠くない〔ところに〕住んでいる」。

Ad haec subridens dixi, "Cur dicis bustum? これらにほほえんで私は言った、「なぜ、あなたは墓を言うのか?

Scisne quod Lutherus resurrexerit, et quod hodie abdicaverit sua erronea de justificatione per fidem in tres personas Divinas ab aeterno, et ideo translatus sit inter novi caeli felices, et quod videat et rideat insanientes post se?" あなたは知っているな、ルターがよみがえったこと、また今日、永遠からの三つの位格の神性への信仰による義認についての自分の間違いを放棄したこと、またそれゆえ、新しい天界の幸運な者たちの間に移されたこと、また自分の後ろの狂っている者たちを見る、また笑うこと?」

Et regessit, "Scio, sed quid hoc ad me?" また言い返した、「私は知っている、しかし、このことが私に〔とって〕何か?」

Et tunc tono simili, quo ille, allocutus sum, dicens, "Inspira tuo incluto cum quo consociatus es, quod verear quod contra orthodoxiam ecclesiae suae illo instanti subtraxerit Domino Divinum Ipsius, aut passus sit calamum suum arare sulcum, in quem improvise inseminavit naturalismum, quando contra cultum Domini Salvatoris nostri scripsit." またその時、同様の声で、それを彼が〔言った〕、私は話しかけた、言って、「吹き込め、あなたの名高い者に、その者とあなたは仲間である、私は心配する(懸念する)と、自分の教会の正説に反して、それをたちまちに取り去ったこと、主からその神性を、または許した、自分のペンをあぜ溝を耕すこと☆、その中で思慮もなく自然主義を植えた、私たちの救い主なる主の礼拝に反して書いている時に」。

「筆耕」という言葉を想起します。同じような言い方があるのですね。

Ad haec respondit, "Hoc non possum, quia ego et ille quoad hanc rem paene unam mentem facimus; これらに答えた、「このことを私はできない、私と彼はこの事柄に関してほとんど一つの心をつくるからである。

sed illa quae ego dico, ille non intelligit, sed omnia quae ille, perspicue intelligo." しかし、それらを、それらを私が言う、彼は理解しない、またすべてのことを、それらを彼が〔言う〕、私ははっきりと理解する」。

Mundus enim spiritualis intrat in mundum naturalem, et percipit cogitata hominum ibi, sed non vicissim; というのは、霊界は自然界の中に入るから、またそこに人間の考えを知覚する、しかし逆でない。

hic status consociationis spirituum et hominum est. これが霊と人間の交わりの状態である。

[9.] Nunc quia incepi loqui cum viro cathedrae, dixi, "Interpolabo, si licet, adhuc aliqua interrogatione: [9] 今や、私は席の男と話し始めたので、言った、「私は中断した、もし許されるなら、これから何らかの質問で――

num scis, quod Orthodoxia Evangelicorum in libro manuali ecclesiae eorum Formula Concordiae appellato, doceat, quod in Christo Deus sit Homo et Homo Deus, et quod Divinum et Humanum Ipsius in indivisa Persona sit et maneat in aeternum? あなたは知らないのか? 福音主義の正統的な信仰が『一致信条』と呼ばれる彼らの教会の祈祷書の中に、教えられていること、キリストの中に神は人間である、また人間は神〔である〕こと、またまたその方の神性と人間性は分けられない位格のうちにある、また永遠にとどまること。

Quomodo tunc ille potuit ac tu potes foedare cultum Domini naturalismo?" どのようにその時、彼はできる、またあなたはできるのか? 主の礼拝を自然主義でよごすこと。

Ad quae respondit, "Illud scio et tamen non scio." それに彼は答えた、「それを私は知っている、またそれでも知らない」。

Quare continuavi dicendo, "Illum, tametsi absens est, aut te loco ejus, interrogo, unde anima Domini Salvatoris nostri? それゆえ、私は言うことを続けた、「彼を()、たとえ不在であっても、またはあなたを彼の代わりに、私は質問する、、私たちの救い主である主の霊魂はどこからか?

[1]Si responderitis quod a Matre, insanitis; もし、あなたがたが答えたなら、母から〔である〕こと、あなたがたは狂っている。

si a Josepho, profanatis Verbum; もし、ヨセフからなら、あなたがたはみことばを汚す(冒涜する)

si vero a Spiritu Sancto, recte dicitis, modo per Spiritum Sanctum intelligitis Divinum procedens et operans, ita quod sit Filius Jehovae Dei. けれども、もし聖霊からなら、正しくあなたがたは言う、

[10.] Iterum interrogo, quid unio hypostatica? [10] 再び、私は質問する、位格的結合☆とは何か?

『真のキリスト教』(本書)94番参照。

Si responderitis quod sit sicut inter duos, unum supra et alterum infra, insanitis, sic etenim potuissetis facere Deum Salvatorem duos, sicut Deum tres; もし、あなたがたが答えるなら、二人の間のようなものであること、一人は上に、もう一人は下に、あなたがたは狂っている、このようにあなたがたは救い主なる神を二つにすることができるゆえに、三つの神のように。

at si dixeritis, quod sit unio personalis, sicut est animae et corporis, recte dicitis; しかし、もしあなたがたが言うなら、人格的な結合であること、霊魂と身体のものであるような、正しくあなたがたは言う。

hoc quoque est secundum Doctrinam vestram, tum etiam Patrum: このこともまたあなたがたの教えにしたがっている、なおまた教父〔の教えと〕もまた――

consule Formulam Concordiae (pag. 765-768). 『一致信条』(765-768ページ)に相談せよ(思い巡らせ)

Et consule Symbolum Athanasii, ubi haec: また『アタナシウス信条』に相談せよ(思い巡らせ)、そこにこれらが――

'Est Fides recta, ut credamus et confiteamur, quod Dominus noster Jesus Christus, Deus et Homo sit; 「正しい信仰である、私たちが信じる、また告白する、私たちの主イエス・キリストが、神と人間であること。

qui licet Deus est et Homo, non duo tamen, sed unus est Christus; その者はたとえ神と人間であるといえども、それでも二つではない、しかし、一つのキリストである。

unus omnino, non confusione substantiae, sed unitate Personae: すべての点で(まったく)つ〔である〕、実体の混ぜることのない、しかし、位格の単一性で。

nam sicut anima rationalis et caro unus est homo, ita Deus et Homo est unus Christus.' なぜなら、理性的な霊魂と肉が一つの人間であるように、そのように神と人間は一つのキリストであるから」。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 00:05
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(直訳[5]〜[7])
 

[5.] Ne miremini quod locutus sim de Fide vestra per tales comparationes, quia ita loquimur de illa nos in caelo. [5] あなたがたは驚くな、私があなたがたの信仰についてこのようなたとえによって語ることを、私たちはそれらについて天界の中でそのように話すからである。

Nostra autem Fides est, fuit et erit in aeternum, in Dominum Deum Salvatorem, cujus Humanum est Divinum et Divinum est Humanum, ita accommodata receptioni, et ex qua Divinum spirituale unitur hominis naturali, et fit fides spiritualis in naturali, unde naturale fit sicut diaphanum ex luce spirituali in qua nostra fides est. けれども、私たちの信仰である、永遠にあるまたあった、救い主なる神、主への、その人間性は神性である、神性は人間的である、このように受け入れるのに適したもの、またそのものから霊的な神性が人間の自然的なものに結合される、また自然的なものの中の霊的な信仰になる、ここから自然的なものは霊的な光から透明なもののようになる、その中に私たちの信仰がある。

Veritates ex quibus consistit, sunt totidem quot versiculi in sacro codice; それらから構成される「真理」は、聖なるコーデックス()の中の節と同数のそれだけ多くある。

veritates illae sunt omnes sicut stellae, quae lucibus suis manifestant et conformant illam. それらの「真理」は星のようにすべてのものである、それ〔真理〕はその光でそれ〔信仰〕を明らかにする、また確信させる(証明する)

Homo assumit illam ex Verbo medio naturali suo lumine, in quo est scientia, cogitatio et persuasio; 人間はそれ〔信仰〕をみことばからその自然的な光によって(medio)受け入れる、その中に知識、思考と信念がある。

sed Dominus apud illos qui in Ipsum credunt, facit ut fiat convictio, fiducia, et confidentia; しかし、主は、彼らのもとに、その者はその方を信じる、確信、信頼と信任が生じるようにする。

ita fit spiritualis naturalis, et per charitatem viva. このように霊的なものが自然的なものになる、また仁愛によって生きたものに〔なる〕。

Fides haec apud nos est sicut regina ornata lapidibus pretiosis, quot murus sanctae Hierosolymae (Apocalypsi xxi. 17-20). 私たちのもとのこの信仰は、宝石で飾られた女王のようである、聖なるエルサレムの城壁と同数の〔宝石〕(黙示録21:17-20)

[6.] Sed ne credatis, quod haec, quae dixi, sint solum verba exaltationis, quae ne ideo floccipendantur praelegam aliqua ex sancto Verbo, ex quibus patebit, quod fides nostra non sit in Hominem, ut vos creditis, sed in verum Deum, in quo est omne Divinum. [6] しかし、あなたがたが信じないように、これらが、それらを私が言った、単なる〔気持が〕高ぶった〔時の〕言葉であると、それらはそれゆえ、つまらないものと見なされるないように、私は聖なるみことばから何らかのものを朗誦する、それらから明らかになる、私たちの信仰は人間へのものでない、あなたがたが信じるような、しかし、神の真理へ〔の信仰〕、その中にすべての神性がある。

Johannes dicit, ヨハネは言った、

 

Jesus Christus est 'verus Deus, et vita aeterna' (1 Epist. v. 21 [B.A. 20]): イエス・キリストは「真の神、また永遠のいのち」である(第一の手紙5:20)

 

Paulus, パウロは、

 

In Christo 'habitat omnis plenitudo Divinitatis corporaliter' (Coloss. ii. 9): キリストの中に「すべての神性の充満が形をとって住んでいる」(コロサイ2:9)。

 

et in Actis Apostolorum, また、「使徒の働き」の中に、

 

Quod praedicaverit 'et Judaeis et Graecis paenitentiam in Deum, et fidem in Dominum nostrum Jesum Christum' (xx. 21): 宣言したこと、「ユダヤ人とギリシア人とに神の中の悔い改め、また私たちの主イエス・キリストの中への信仰を」(20:21)

 

et Ipse Dominus, また、主ご自身は、

 

Quod Ipsi data sit 'omnis potestas in caelo et in terra' (Matth. xxviii. 18): その方に与えられたこと、「天の中と地の中のすべての力が」(マタイ28:18)――

 

sed haec pauca sunt." しかし、これらはわずかである」。

 

[7.] Post haec, angelus me inspexit, et dixit, "Tu scis quid Evangelici ita dicti credunt aut credituri sunt de Domino Salvatore: [7] この後、天使は私を調べた(眺めた)、また言った、「あなたは知っている、何を福音主義者は、そのように言われている、信じているか、または信じようとしているか、救い主なる主について。

recita aliqua ut sciamus num in illa fatuitate sint, ut credant quod Humanum Ipsius sit mere humanum, et num aliquid Divini Illi adscribunt, aut quomodo." 何らかのものを朗読せよ、私たちが知るために、その中に愚劣なものがあるかどうか、その方の人間性は単なる人間性であることを信じるような、また何らかの神性をその方に帰しているかどうか、またはどのように〔帰しているか〕」。

Et tunc coram coetibus, ex collectis e libro orthodoxiae eorum: またその時、集会の前で、彼らの正説の本から集めたからから――

Formula Concordiae vocato, et Lipsiae anno 1756 excuso, praelegi haec sequentia: 『一致信条』と呼ばれる、またライプツィヒで1756(年に)出された、私はこれら続くものを朗誦した――

 

Quod in Christo Divina et Humana Natura ita unitae sint, ut faciant unam Personam (pag. 606, 762). キリストの中に神性と人間的な性質はそのように結合されていること、一つの位格をつくるように(606, 762ページ☆)

pag.pagina(ページ)の略字。

Quod Christus vere Deus et Homo in indivisa Persona sit, et maneat in aeternum (pag. 609, 673, 762). キリストは分割されない位格の中の真の神と人間であること、また永遠にとどまる(609, 673, 762ページ)

Quod in Christo Deus sit Homo, et Homo Deus (pag. 607, 765). キリストの中で、神は人間であり、また人間は神であること(607, 765ページ)

Quod Humana Natura Christi ad omnem majestatem Divinam exaltata sit; キリストの人間性の性質は神性のすべての威厳へ高められた。

hoc etiam ex multis Patribus (pag. 844-852, 860-865, 869-878). このこともまた多くの教父たちから(844-852, 860-865, 869-878ページ)

Quod Christus quoad Humanam Naturam Omnipraesens sit et impleat omnia (pag. 768, 783-785). キリストは人間的な性質に関して遍在すること、またすべてのものを満たす(768, 783-785ページ)

Quod Christo quoad Humanam Naturam omnis potestas sit in Caelo et in Terra (pag. 775, 776, 780). キリストは人間的な性質に関して天の中と地の中のすべての力であること(775, 776, 780ページ)

Quod Christus quoad Humanam Naturam ad dextram Patris sedeat (pag. 608, 764). キリストは人間的な性質に関して父の右()に座ること(608, 764ページ)

Quod Christus quoad Humanam Naturam invocandus sit, confirmatum ex dictis Scripturae ibi (pag. 226). キリストは人間的な性質に関して加護を祈らなければならないこと、そこに聖書に言われていることから証明(確信)される(226ページ)

Quod Augustana Confessio illum cultum maxime probet (pag. 19). 『アウクスブルク信仰告白』はその礼拝を最大に推奨すること(19ページ)

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 23:48
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(直訳[3]〜[4])
 

[3.] Ad haec sodales sinistri lateris, qui mento calvo, in capillitiis cincinnatis, et in cinctura coronati circum collum erant, comploserunt palmas, et vociferati, "Sapientissime fatus es: [3] これらに左側の仲間は、その者は毛のない(はげの)あご、髪の毛のようなかつらで、また、首のまわりにひだえりのカラーをつけていた、手のひらをたたいた、また叫んだ、「あなたは最も賢く話した(for)――

nos scimus quod non possimus quicquam sumere, quod non datur e caelo. 私たちは、私たちは知っている、私たちはどんなものでも取ることができないこと、それは天界から与えれらない。

Dicat nobis ille propheta, unde fides, et quid fides nisi illa; その預言者は私たちに教える(接続☆)、どこから信仰が、またそれらでないなら信仰とは何か。

接続法の現在時制は命令・禁止を表わします。命令法に三人称現在形はありませんので、この形が使われます。

impossibile est, ut alia et aliunde sit; 不可能である、他のもの、また他のところからであること。

aliam fidem, quae fides, quam hanc expromere, tam impossibile est, ut est equitare ad quendam asterismum in caelo, et inde captare stellam, ac illam recondere in burso togae, et deportare. 他の信仰を、それは信仰☆、これを取り出すことと同じく(これほど)不可能である、天の中のある星座へ馬に乗ること〔によって行く〕ように、またここから星を捕えること、そしてそれをガウンのポケットの中にしまい込むこと、また持ち去ること。

「それがほんとうに信仰と言えるものなら」のニュアンスです。

Hoc dixit, ut consocii ad omnem novam fidem riderent. このことを言った、仲間がすべての新しい信仰に向かって嘲笑するために。

[4.] His auditis, indignati sunt viri lateris dextri, qui mento barbato et in capillis nativis erant; [4] これらで聞いて、右側の男たちは怒った、その者はあごに(あご)ひげが、また自然のままの頭髪であった。

et surrexit unus ex illis, senex, sed usque visus ut juvenis postea, erat enim angelus e caelo, ubi omnis aetas juvenescit; また彼らからある者が立った、老人、しかしそれでも、その後、若者のように見えた、というのは、天界からの天使であったので、そこにすべて者の年齢は若々しくなる(若者になる)

ille loquens dixit, "Audivi qualis est vestra fides, quam vir cathedralis ita magnificavit; 彼は語って言った、「私はあなたがたの信仰がどのようなものであるか聞いた、それを〔審判者の〕席の男がそのように称賛した。

sed quid illa fides, nisi sepulcrum Domini nostri post resurrectionem, iterum clausum a militibus Pilati? しかし、その信仰とは何か、私たちの主の復活後の墓でないなら、再びピラトの兵士たちにより閉ざされた。

Aperui illam, nec vidi quicquam quam baculos praestigiatorum, per quos magi in Aegypto fecerunt miracula. 私はそれを開けた、魔術師の杖以外の何も見なかった、それによってエジプトの魔術師は奇跡を行なった。

Immo est fides vestra extrinsecus in oculis vestris sicut scrinium conflatum ex auro, et obsitum lapidibus pretiosis, quod dum aperitur, est vacuum, nisi forte in angulis ejus sit pulvis ex reliquiis Pontificiorum; それどころか(実に)、あなたがたの信仰はあなたがたの目の中で外側で、金からの金細工師の箱のようである、また宝石(貴重な石)でぎっしりとおおわれた、それが開けられる時、空である、おそらくその隅の中にローマ教皇の残りのもの〔遺骨や遺品〕からのほこりがあるのでないなら。

nam his illa eadem est, modo quod hodie ab his obtecta sit sanctitatibus externis. なぜなら、これらの者にそれ〔信仰〕は同じものであるから、単に、それは今日、これらの者により多い隠されている〔だけである〕、外の神聖なるもので。

Est quoque, ut similitudinibus utar, sicut Vesta antiquorum, quae exstinxit ignem sacrum, infossa terrae; また〜である、例えば比喩で用いる、女神ウェスタに仕えた古代の巫女のように☆、彼女は聖なる火を消してしまった、地に埋められた(infodio)

Vestaは巫女、ローマの女神ウェスタに仕えた処女。

et asseverare possum, quod illa coram meis oculis sit sicut vitulus aureus, circum quem filii Israelis, postquam Moses abivit et ascendit in montem Sinai ad Jehovam, saltaverunt. また私は断言することができる、それは私の目の前に金の子牛のようであること、そのまわりをイスラエルの子らは、モーセがエホバへ向けてシナイ山の中に去り、また上った後、踊った。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 22:05
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』 137(直訳[2])
 

[2.] at tandem locutus dixit, "Fratres, oh quale saeculum: [2] しかし、最後に語って、言った、「兄弟たちよ、おお、どのような時代〔七日〕――

surrexit ex caterva laicorum unus, cui non pallium, tiara, et laurus, et Fidem nostram detraxit e caelo, et projecit in Stygem. 平信徒の群れからある者が立ちあがった、その者にガウン、ティアラ(司教冠)、また月桂冠がない、また私たちの信仰を天界から引き落とした、またステュクス川の中に投げ捨てた。

Oh facinus; おお、犯罪〔だ〕。

et tamen illa sola est stella nostra, quae lucet sicut Orion illi noctibus, et sicut Lucifer in matutis. またそれでもそれ〔信仰〕だけが私たちの星である、それはその夜にオリオンのように輝く、また朝に明けの明星のように。

Ille vir tametsi annosus, prorsus caecutit in mysteriis Fidei nostrae, quia non aperuit illam, et vidit in illa justitiam Domini Salvatoris, et Ejus mediationem et propitiationem; その男は、たとえ高齢でも、まったく私たちの信仰の秘密(奥義)に盲目である、それ(信仰)開けなかった☆ので、また救い主である主のその義を見る、またその調停と贖罪を。

aperioには「明らかにする、示す」の意味があります、ここで「信仰を開けなかった」とは何を意味するのでしょうか、それらの書物を読まなかった、というような意味でしょうか?

et cum haec non vidit, nec vidit justificationis ejus mirabilia, quae sunt remissio peccatorum, regeneratio, sanctificatio et salvatio. またこれらを見ないとき、その義認の驚異も見ない、それらは罪の赦し、再生、聖別と救いである。

Hic vir loco nostrae Fidei summe salvificae, quia in tres Personas Divinas, ita in totum Deum, transtulit in secundam Personam, nec in illam, sed in Humanum illius, quod quidem dicimus Divinum ex incarnatione Filii ab aeterno, sed quis de illo cogitat aliud quam mere humanum? この男は、最高度に☆救いをなす私たちの信仰の代わりに、〔その信仰は〕神的な三つの位格の中に〔置く〕ので〔救いをなす〕、そのように全部の神の中に、第二の位格の中に移した(ransfero)、その中にでもなく、しかし、その人間性の中に、それを確かに私たちは永遠からの子の受肉からの神性と言った、しかし、だれがそれについて単なる人間性以外の何らかのものを考えるか?

原文でこのsummesum meとなっていました、これでは訳せません。

Et quid tunc inde aliud quam fides, ex qua ut ex fonte scaturit naturalismus? またその時、ここから信仰以外の何らかのものとは何か? それ〔信仰〕から泉からわき出る自然主義のような。

Et talis fides, quia non est spiritualis, parum differt a fide in Vicarium, aut in Sanctum. またこのような信仰は霊的なものではないので、ほとんど異ならない、「代理人」☆への、または「聖なる者」(聖徒)への。

大文字なので単なる「代理人」ではなく、神の代理人たる「ローマ教皇」です。

Nostis quid Calvinus suo tempore de cultu ex hac fide dixerat: あなたがたは知っている、カルヴァンがその時代にこの信仰からの礼拝について何を話したか。

et, quaeso, dic unus ex vobis, unde est Fides? また、どうぞ(願わくば)、あなたがたからある者が言え、〔この〕信仰がどこからか?

Numne immediate a Deo, cui sic omnia salutis insunt?" 神☆から直接になのか? その方にこのようにすべての救いが内在する」

原文がeoとなっていました、Deoとしてください。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第2章, 02:48
comments(0), trackbacks(0), pookmark