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原典講読『真のキリスト教』 188(訳文)
 

(3) 訳文

188. 第四のメモラビリア――

主により命令から、私に天界の中と天界の下にある驚くべきことを見ることが与えられたので、私は見られたものを記録すること義務がある。

 荘厳宮殿またその最内部神殿られたそのでできたがありそのみことばがあったそれに二人の天使がそばに立った。

 その三列の椅子があった。第一列椅子純粋でつくられた紫色われていた。第二列椅子純粋でつくられたまた第三列椅子〔覆われていた〕。

 机屋根宝石から広大がりの天蓋(てんがい)られそれらのきから、雨後、天がしずまったときののようなものが

 突然その時、すべてのものは祭司職能衣服椅子っている聖職者からのくのられた

 一つの側に宝庫があり、そこに守護の天使が立っていた。また内部に美しい順序でみごとな衣服が置かれていた。

 「主により招集された会議」であった。また、私は、「熟考せよ」と言っている天界からの声を聞いた。

 しかし、彼らは言った、「どの事柄について?」

 「救い主なる主について、また聖霊について」と言われた。

 しかし、〔彼らが〕それらについて考えたとき、照らしの中にいなかった。それゆえ、懇願し、その時、光が天界から降り、それが最初に彼らの後頭部を照らし、またその後、こめかみを、また最後に、彼らの顔を照らした。また、その時、始まった。そして命令されたように、最初に、「救い主なる主」について〔であった〕。

 [2] そして最初の命題と討議は、「だれが処女マリアの中で人間性を取ったか?」であった。

 また、その上にみことばがあった机〔の脇〕に立っている天使が、彼らの前で「ルカ福音書」のこれらを読んだ――

 

 天使はマリヤに言った、「見よ、あなたは胎の中にみごもっている、また子を産む、またその名前をイエスと呼べ――この者は偉大な者になる、またいと高き方の子を呼ばれる。……また、マリヤは天使に言った、私は男を知らないのに、どのようにこのことが起こるのか? また、天使は答えて、言った、聖霊があなたの上にやって来る、またいと高き方の力があなたをおおう、それゆえ、あなたから聖なる者が生まれ、神の子と呼ばれる」(1:31, 32, 34, 35)

 

 なおまた、「マタイ福音書」のこれらもまた読んだ――

 

 天使が夢の中でヨセフにいった、「ヨセフ、ダビデの子、あなたはあなたの婚約者マリヤを受け入れることを恐れるな、彼女の中に生まれる者は、聖霊からである。……またヨセフは自分の長子の息子を産む時まで彼女を知らなかった。またその名前をイエスと呼んだ」(1:20, 25)

 

 またほかにもこ福音書からの多くのものを読んだ(例えば、マタイ3:17, 17:5、ヨハネ1:183:1620:31)

 

 また他のところの多くの場合に、そこに主はご自分の人間性に関して神の子と呼ばれており、またそこではその方はご自分の人間性からエホバを自分の父と呼ばれている。そのようにまた、エホバご自身が世の中にやって来ることが預言書に予言されている。

 それらの間に、「イザヤ書」のこれら二つもまた――

 

 「その日に言われる。見よ、この方は私たちの神、その方を私たちは、私たちを救うようにと待ち望んだ。この方はエホバ、その方を私たちは待ち望んだ。私たちは小躍りして喜び、その方の救いの中で喜ぶ」(25:9)

 「荒野の中で叫ぶ声、エホバの道を備えよ、荒れ地で私たちの神の大路を地ならしせよ……というのは、エホバの栄光が現わされるから。すべての肉が一緒に見る。……見よ、神エホバが力の中にやって来られる……ご自分の群れを飼う羊飼いのように」(イザヤ40:3, 5, 10, 11)

 [3] また天使は言った、「エホバご自身が世にやって来て、人間性を取り、またそのことによって人間を救い、贖ったので、それゆえ、その方は預言のもとに、救い主と贖い主と呼ばれている」。

 また、その時、彼らの前で続くこれらのものを読んだ――

 

 「神はただあなたの間にだけ〔おられ〕、他に神はいない。あなたは深く隠された神、イスラエルの神、救い主」(イザヤ545:14, 15)

 「わたしはエホバでないか、わたしのほかにもはや神はいない、わたしのほかに正義の神、救い主はいない」(イザヤ55:21, 22)

 「わたしはエホバ、わたしのほかに救い主はいない」(イザヤ43:11)

 「わたしは、あなたの神、エホバ、あなたはわたしのほかに神を認めない、わたしのほかに救い主はいない」(ホセア13:4)

 「わたしがエホバ、あなたの救い主、またあなたが贖い主〔である〕ことを、すべての肉が知るように」(イザヤ49:2660:16)

 「私たちの贖い主に関して、その方の名前は万軍の主」(イザヤ47:4)

 「彼らの贖い主は、強い、その方の名前は万軍の主」(エレミヤ50:34)

 「エホバは私の岩、私の贖い主」(詩篇19:14)

 「あなたの贖い主エホバ、イスラエルの聖なる者は、このように言われた。わたしはエホバ、あなたの神〔である〕」(イザヤ48:1742:1449:756:8)

 「あなたは、私たちの父、エホバ、あなたの名前は永久から私たちの贖い主」(イザヤ63:16)

 「あなたの贖い主エホバはこのように言われた。……わたしはすべてのものを造った……わたし自身からひとりで」(イザヤ44:24)

 「イスラエルの王エホバ、またその贖い主、万軍のエホバがこのように言われた。わたしは初めと終わり〔である〕、わたしのほかに神はいない」(イザヤ44:6)

 「その方の名前は万軍のエホバ、あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれる」(イザヤ54:5)

 「見よ〔その〕日が来る……その時、わたしはダビデに正しい若枝を起こす。……またその方の名前は、エホバ、私たちの正義」(エレミヤ23:5, 633:15, 16)

 「その日に、エホバは全地の上に王となる。その日に、エホバはひとり、またその方の名前は一つとなる」(ザカリヤ14:9)

 

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 23:51
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原典講読『真のキリスト教』 188(直訳[10]〜おわりまで)
[10.] Post haec successit altera ventilatio de Spiritu Sancto, quae erat, A quo procedit Divinum, quod intelligitur per Spiritum Sanctum, num ex Patre vel num ex Domino. [10] この後、聖霊について別の討議が続いた、それであった、神性はだれから発出するか、それは聖霊によって意味される、父からなのか、あるいは主からなのか。

Et cum hoc ventilabant, affulsit lux e caelo, ex qua viderunt, quod Sanctum Divinum, quod intelligitur per Spiritum Sanctum, non procedat ex Patre per Dominum, sed ex Domino a Patre, comparative sicut apud hominem, ejus activum non procedit ab anima per corpus, sed ex corpore ab anima. またこれを議論していたとき、天界から光が照らした、それ〔光〕から彼らは見た、聖なる神性は、それが聖霊によって意味される、父から主を通って発出するのでない、しかし、主から父により、比較によって人間のもとのように、その活動が霊魂から身体を通って発出するのでなく、しかし、身体から霊魂により。

Hoc angelus stans ad mensam confirmavit per haec e Verbo: このことを机〔の脇〕に立っている天使はみことばからのこれらによって証明した(確信させた)――

 

"Ille, quem misit Pater, verba Dei loquitur; 「その方は、その者を父が遣わした、神のことばを話す。

non.. ex mensura [6]dat Deus Illi Spiritum; 神はその方に測定から(量って)を与えない。

Pater amat Filium, et omnia dedit in manum Ipsius" (Joh. iii. 34, 35). 父は子を愛する、またすべてのものをその方の手の中に与えた」(ヨハネ3:34, 35)

"Exibit virga de trunco Jischaji; 「エッサイの幹から若枝が出た。

....quiescet super Ipso Spiritus Jehovae, spiritus sapientiae et intelligentiae, spiritus consilii et virtutis" (Esai. xi. 1[, 2]). ……その方の上にエホバの霊が休息する、知恵と知性の霊、思慮と力の霊」(ザヤ11:1, 2)

Quod Spiritus Jehovae datus sit super Illum, et quod esset in Illo (Esai. xlii. 1; lix. 19, 20; lxi. 1; Luc. iv. 18). エホバの霊がその方の上にあった(与えられた)こと、また、その方の中にあったこと(イザヤ42:159:19, 2061:1、ルカ4:18)

"Quando venerit Spiritus Sanctus, quem ego missurus sum vobis a Patre" (Joh. xv. 26). 「聖霊がやって来る時、その者をわたしはあなたがたに父から遣わす」(ヨハネ15:26)

"Ille Me glorificabit, quia ex meo accipiet, et annuntiabit vobis; 「その者(聖霊)はわたしを栄化する、わたしのものから受けて、あなたがたに知らせるので。

omnia, quaecunque Pater habet, Mea sunt; すべてのものは、父が持つどんなものでも、わたしのものである。

propter hoc dixi, quod ex Meo accepturus sit, et annuntiaturus vobis" (Joh. xvi. 14, 15). それゆえ、このことをわたしは言った、わたしのものから受けて、あなたがたに知らせること」(ヨハネ16:14, 15)

"Si abivero, mittam" Paracletum "ad vos" (Joh. xvi. 7). 「もし、わたしが去ったなら、わたしは送る(遣わす)」パラクレートス(助け主)を「あなたがたに」(ヨハネ16:7)

Quod Paracletus sit Spiritus Sanctus (Joh. xiv. 26). パラクレートス(助け主)は聖霊であること(ヨハネ14:26)

"Nondum erat Spiritus Sanctus, quia Jesus nondum glorificatus erat" (Joh. vii. 39). 「聖霊はまだなかった、イエスはまだ栄化されていなかったので」(ヨハネ7:39)

 

Post glorificationem autem, けれども、栄化の後、

 

Jesus inspiravit et dixit Discipulis, "Accipite Spiritum Sanctum" (Joh. xx. 22). イエスは弟子たちに息を吹き込んで、言った、「聖霊を受けよ」(ヨハネ20:22)

 

Et in Apocalypsi: また、「黙示録」の中に――

 

"Quis non.... glorificet Nomen tuum Domine, quia solus Sanctus es" (xv. 4). 「だれがあなたの名前を賛美しないか、主よ、あなただけが聖なる者であるから」(15:4)

 

[11.] Quoniam Divina operatio Domini ex Divina omnipraesentia Ipsius per Spiritum Sanctum intelligitur, ideo cum ad discipulos locutus est de Spiritu Sancto, quem Ipse a Patre missurus est, etiam dixit, [11] 主の神的な遍在からのその方の神的な働きが、聖霊によって意味されるので、それゆえ、聖霊について弟子たちに話されたとき、それをその方は父から送ること、さらにまた言った、

 

"Non relinquam vos orphanos; 「わたしはあなたがた孤児を置き去りにしない。

....abeo et venio ad vos; ……わたしは去る、また、あなたがたにやって来る。

....et in die illo cognoscetis, quod Ego in Patre meo, et vos in Me, et Ego in vobis" (Joh. xiv. 18, 20, 28). ……その日に、あなたがたは知る、わたしがわたしの父の中に、また、あなたがたがわたしの中に、また、わたしがあなたがたの中に〔いる〕こと」(ヨハネ14:18, 20, 28)

 

Et mox antequam abivit e mundo, dixit, また、世から去る直前に、言った、

 

"Ecce Ego vobiscum sum omnibus diebus usque ad consummationem saeculi" (Matth. xxviii. 20). 「見よ、わたしはあなたがたとすべての日々いる、世代の完(時代の完成)でも」(マタイ28:20)

 

His coram illis lectis, dixit angelus, "Ex illis et pluribus aliis ex Verbo patet quod Divinum, quod vocatur Spiritus Sanctus, procedat ex Domino a Patre." これらが彼らの前で読まれて、天使は言った、「みことばからのそれらと他の多くのものから明らかである、神性は、それは聖霊と呼ばれる、主か父により発出すること」。

Ad haec sedentes super soliis, dicebant, "Hoc est Divina Veritas." これらに、椅子の上に座っている者たちは、言った、「これは神的な真理である」。

[12.] Demum factum est decretum, hoc:― [12] 最後に、決議がなされた、これ――

"Quod ex deliberatis in hoc Concilio clare viderimus, et inde pro sancta Veritate agnoscamus, quod in Domino Deo Salvatore Jesu Christo, sit Divina Trinitas, quae est, Divinum a Quo quod vocatur Pater, Divinum Humanum quod vocatur Filius, et Divinum procedens quod Vocatur Spiritus Sanctus: 「この会議の中の熟考から、私たちははっきりと見る、またここから聖なる真理として認める、主なる神、救い主イエス・キリストの中に、神的な三一性があること、それは、父と呼ばれるその方からの神性、子と呼ばれる神的人間性、また、聖霊と呼ばれる発出する神性である――

conclamantes, 叫んで、

 

Quod in Christo omnis plenitudo Divinitatis habitet corporaliter (Coloss. ii. 9). キリストのうちに、すべての神性の充満が形をとって住んでいること(ロサイ2:9)

 

Ita est unus Deus in Ecclesia." そのように教会の中にひとつの神がいる」。

[13.] Postquam haec in magnifico illo Concilio conclusa sunt, surrexerunt; [13] これらが壮大なその会議が閉じられた後、彼らは立ちあがった。

et venit angelus custos ex cimeliarchio, et apportabat cuivis ex illis, qui super soliis consederunt, vestes splendidas, hic et ibi intertextas filis aureis, et dixit, "Accipite Vestes nuptiales." また宝庫から守護の天使がやって来た、また彼らからのそれぞれの者に持ってきた(携えてきた)、その者は椅子の上に着席していた、光り輝く(みごとな)服を、こことそこに金糸が編み込まれた、また、言った、「婚礼の衣服を受け取れ」。

Et deducti sunt in gloria in Novum Caelum Christianum, cum quo Ecclesia Domini in terris, quae est Nova Hierosolyma, conjuncta erit. また栄光の中に、新しいキリスト教徒の天界の中に、導かれた、それに、地の中の主の教会は、それは新しいエルサレムである、結合される(未来)

 

@1 Verba uncis inclusa videantur, Apoc. Rev., n. 962. 注1 鉤〔カッコ〕で囲まれたことばが『啓示された黙示録』962番に見られる。

@2 Vide Apoc. Rev., n. 962. 注2 『啓示された黙示録』962番を見よ。

@3 34 pro “24” 注3 24」の代わりに34

@4 14 pro “24” 注4 24」の代わりに14

@5 sunt (cum exemplo Auctoris,) pro “suae” 注5 suae」の代わりにsunt(著者の写し())

@6 dat Deus (cum exemplo Auctoris, ) pro “dedit” 注6 dedit」の代わりにdat Deus(著者の写し())

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 02:04
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原典講読『真のキリスト教』 188(直訳[7]〜[9])
 

[7.] Post haec sequebatur Deliberatio de Spiritu Sancto. [7] この後、聖霊についての考慮が続けられた。

Et primum detecta est plurium idea de Deo Patre, Filio, et Spiritu Sancto, quae erat, quod Deus Pater sederet in alto, et Filius ad dextram Ipsius, et a Se emitterent Spiritum Sanctum, ad illustrandum, docendum, justificandum et sanctificandum homines. また、最初に、多くの観念(考え)が示された、父なる神、子、また聖霊について、それらであった、父なる神が高いところに座る、また子はその方の右に、それ自体☆から聖霊を送る、人間を照らし、教え、義とし、聖別する(清める)めに。

seは単複同形です。それで「ご自分たち(父と子)から」の意味です。

At tunc audita est vox e caelo, dicens, "Non sustinemus illam cogitationis ideam: しかし、その時、天界から声が聞かれた、言って、「私たちはその思考の観念を支えない(保持しない)

quis non scit, quod Jehovah Deus sit omnipraesens? だれが知らないか、神エホバは遍在されること?

Qui hoc scit et agnoscit, etiam agnoscet, quod Ipse illustret, doceat, justificet et sanctificet, et quod non sit Deus medians, distinctus ab Ipso, minus a duobus, ut persona a persona; このことを知り、認める者は、さらにまた認める(未来)、その方は照らす、教える、義とする、また聖別する(清める)こと、またその方から区別される、調停する神ではない、まして二つのものから〔区別される〕、位格から位格のように。

quare removeatur prior idea, quae est vana, et recipiatur haec, quae est justa, et videbitis hoc clare. それゆえ、前の観念は取り除かれる、それはむなしい、またこれが受け入れられる、それは正しい、また、あなたがたはこれをはっきりと見る。

[8.] Sed tunc audita est vox a Romano-Catholicis, qui juxta altare Templi stabant, dicens, "Quid tunc est Spiritus Sanctus, qui in Verbo nominatur apud Evangelistas, et apud Paulum, a quo tot docti e clero, imprimis a nostro, se dicunt duci? [8] しかし、その時、ローマカトリック教徒からの声が聞こえた、その者は神殿の祭壇の近くに立っていた、言って、「その時(そのとき)、聖霊は何か? それはみことばの中に名前を挙げられている、福音書のもとに、またパウロ〔の手紙〕のもとに、そこから聖職者からの学識ある者全部は、特に私たちからの、自分自身が導かれることを言っている。

Quis hodie in Christiano orbe Spiritum Sanctum, et ejus operationes, negat?" 今日のキリスト教世界の中で、聖霊を、またその働きを、だれが否定するのか?」

Ad haec convertit se unus ex illis, qui super soliis secundi ordinis sedebant; これに彼らからのある者が向きを変えた、その者は第二列の椅子の上に座っていた。

et dixit, "Vos dicitis, quod Spiritus Sanctus sit Persona per se, et Deus per se; また、言った、「あなたは言う、聖霊はそれ自体によって位格であること、また神はそれ自体によって。

sed quid est Persona exiens et procedens a Persona, nisi operatio exiens et procedens? しかし、位格から出る、また発出する位格はなにか? 出る、また発出はたらきでないなら。

Non potest una persona ex altera exire et procedere, sed operatio potest. ある位格は他のもの〔位格〕から出ること、また発出することができない、しかし、働きはできる。

Aut qui est Deus exiens et procedens a Deo, nisi Divinum exiens et procedens? または、神から出る、また発出する神は何か? 出る、また発出する神性でないなら。

Non potest Deus unus ab altero, per alterum exire et procedere, sed Divinum potest ex Deo Uno." 一つの神は他のもの〔神〕から、他のもの〔神によって出ること、また発出することができない、しかし、神性は一つの神からできる〕。

 [9.] His auditis, sedentes super soliis unanimiter concluserunt quod Spiritus Sanctus non sit Persona per se, ita nec Deus per se, sed quod sit Sanctum Divinum exiens et procedens ex Unico Deo omnipraesente, qui est Dominus. [9] これらで聞いて、椅子の上に座っている者は、一致して結論に達した、聖霊はそれ自体によって位格でないこと、そのようにそれ自体によって神でない、しかし、遍在する唯一の神から出る、また発出する聖なる神性であること、それは主である。

Ad haec dixerunt angeli stantes ad mensam auream, super qua erat Verbum, "Bene; non legitur ullibi in Vetere Foedere quod Prophetae locuti sint Verbum ex Spiritu Sancto, sed ex Jehovah; これらに、金の机〔の脇〕に立っていた天使は言った、その上にみことばがあった、「よろしい! どこにも読まれない、旧い契約の中に、預言者たちが聖霊から話したこと、しかし、エホバから。

et ubi in Novo Foedere dicitur Spiritus Sanctus, intelligitur Divinum procedens, quod est Divinum illustrans, docens, vivificans, reformans et regenerans." またそこに、新しい契約の中に、聖霊が言われている、発出する神性が意味される、それは、照らし、教え、生かす、改心させる、また再生させる神性である」。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 23:37
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原典講読『真のキリスト教』 188(直訳[5],[6])
 

[5.] Altera Ventilatio de Domino erat, annon sic Pater et Ipse unum sunt, sicut anima et corpus unum sunt. [5] もう一つの討議が主についてあった、このように父とその方は一つであるかどうか、霊魂と身体が一つであるように。

Dixerunt, quod hoc consequens sit, quia a patre est anima. 彼らは言った、このことは結果である、霊魂は父からであるので。

Tunc unus ex illis qui sedebant super soliis in tertio ordine, legebat ex Symbolica Fide, quae Athanasiana vocatur, haec: その時、彼らからの一人が、その者は第三列の椅子()の上に座った、『(信仰の)信条』から読んだ、それは『アタナシウスの』と呼ばれる、これら〔である〕――

 

"Tametsi noster Dominus Jesus Christus Filius Dei est Deus et Homo, usque non sunt duo, sed unus Christus, immo est prorsus unus, est una Persona; 「わたしたちの主、イエス・キリスト、神の子は、神と人間であるけれども、それでも二つではない、しかし一つのキリスト、それどころか、完全に一つ、一つのペルソナ(位格)である。

quoniam sicut anima et corpus faciunt unum hominem, ita Deus et Homo est unus Christus." 霊魂と身体が一つの人間をつくるように、そのように神と人間は一つのキリストであるので」。

 

Dixit legens, quod Symbolum illud, ubi illa verba sunt, receptum sit in Universo Christiano orbe, etiam a Romano-Catholicis. 読んでいる者は言った、その信条は、そこにそれらの言葉がある、全キリスト教世界の中で受け入れられていること、さらにまたローマカトリック教徒から。

Et dixerunt, "Quid pluribus opus est? また、彼らは言った、「何が、多くの者で、必要とされる☆か?」

opus estで「必要とされる」の意味です。

Sunt Deus Pater et Ipse unum, sicut anima et corpus unum sunt." 父なる神とその方は一つである、霊魂と身体が一つであるように」。

Et dixerunt, "Quia ita est, videmus, quod Humanum Domini sit Divinum, quia est Humanum Jehovae; また、彼らは言った、「そのようであるので、私たちは見る、主の人間性は、エホバの人間性であるので、神的なもの(神性)であること。

tum quod Dominus quoad Divinum Humanum adeundus sit, et quod sic et non aliter adiri possit Divinum quod Pater vocatur. なおまた、主は、神的人間性に関して近づくべきであること、またこのようにまた異なって父と呼ばれる神性に近づくことができないこと。

Hoc illorum conclusum confirmavit angelus per plura ex Verbo, inter quae fuerunt haec. [Apud Esaiam:] このそれらの結論を天使は補強(確認)した、みことばからの多くのものによて、それらの間に、これらがあった。〔「イザヤ書」に――〕

 

"Puer natus est nobis, Filius datus est nobis cujus nomen, Mirabilis, Consiliarius, Deus, Heros, Pater aeternitatis, Princeps pacis" (ix. 5 [B.A. 6]): 「少年が私たちに生まれた、子が私たちに与えられる、その名前は、不思議な者、助言者、神、英雄、永遠の地知、平和の君」(イザヤイザヤ9:6)

 

apud eundem, 同書のもとに、

 

"Abraham non cognoscit nos, et Israel non agnoscit nos; 「アブラハムは私たちを知らない、またイスラエルは私たちを認めない。

Tu Jehovah Pater noster, Redemptor noster a saeculo nomen tuum" (lxiii. 16). あなたは、エホバは私たちの父、あなたの名前は永遠からの私たちの贖い主〔である〕」(63:16)

 

Et apud Johannem: また「ヨハネ(福音書)」のもとに――

 

"Jesus.. dixit, Qui credit in Me, ...credit in Ipsum qui misit Me, et qui videt Me, videt Ipsum qui misit Me" (Joh. xii. 44, 45). 「イエスは……言った、わたしを信じる者は……わたしを遣わした方を信じる、また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方をみる」(ヨハネ12:44, 45)

"Dixit Philippus" ad Jesum, "Monstra nobis Patrem...; 「ピリポは言った」イエスに「私たちに父を示せ……。

dicit illi Jesus, ....Qui vidit Me, vidit Patrem; イエスは彼に言った……わたしを見た者は、父を見た。

quomodo ergo tu dicis, monstra nobis Patrem? それゆえに、どのように、あなたは言うのか? 私たちに父を示せ、と。

Nonne credis, quod Ego in Patre et Pater in Me? あなたは信じないのか? わたしが父の中に、また父がわたしの中に〔いる〕ことを。

....Credite Mihi, quod Ego in Patre et Pater in Me" (xiv. 8, 9[, 10, 11]).……わたしに信じよ、わたしが父の中に、また父がわたしの中に〔いる〕ことを」(14:8, 9, 10, 11)

 

Jesus dixit, "Ego et Pater unum sumus" (x. 30): イエスは言った、「わたしと父はひとつである」(10:30)

 

tum, なおまた、

 

"Omnia quae Pater habet, Mea [5]sunt,". ..."et omnia Mea" Patris (xvi. 15; xvii. 10). 「父が持っているすべてのものは、わたしのものである」……「また、わたしのすべてのもの」は父の〔ものである〕(16:1517:10)

 

Demum, 最後に、

 

"Jesus.. dixit, Ego sum via, Veritas et Vita, nemo venit ad Patrem, nisi per Me" (xiv. 6). 「イエスは……言った、わたしは、道、真理、またいのちである、わたしを通してでないなら、だれも父へやって来ない」(14:6)

 

[6.] His legens addidit, quod similia quae a Domino de Se et suo Patre hic dicta sunt, etiam ab homine de se et sua anima dici possint. [6] これらに読んでいる者は加えた、同様のものが、それは主によりご自分についてまたご自分の父についてここに言われている、さらにまた人間により自分についてまた自分の霊魂について〔と同様のものが〕言われることができること。

His auditis dixerunt omnes uno ore et corde, quod Humanum Domini sit Divinum, et quod hoc adeundum sit ut adeatur Pater; これらで聞いて、すべての者は一つの口と心で言った、主の人間性は神的なものであること、またこれは父が近づかれるように近づくべきであること。

quoniam Jehovah Deus, per illud Se misit in mundum, et Se fecit visibilem oculis hominum, et sic accessibilem: 神エホバは、そのことによってご自分を世に送った、またご自分を人間の目に見ることができるものにした、またこのように近づくことができるもの。

pariter fecit Se visibilem, et sic accessibilem in forma Humana antiquis, sed tunc per angelum; 等しく(同じく)、ご自分を目に見えるものにした、またこのように古代人に人間の形の中で近づくことができるものに、しかし、その時、天使を通して〔であった〕。

sed quia haec forma fuit repraesentativa Domini Venturi, ideo omnia ecclesiae apud antiquos fuerunt repraesentativa. しかし、これは主の到来を表象するものであったので、それゆえ、古代人のもとの教会のすべてのものは表象するものであった。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 00:19
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原典講読『真のキリスト教』 188(直訳[3]と[4])
 

[3.] Et angelus dixit, "Quoniam Ipse Jehovah in mundum venit, et assumpsit Humanum [[1]et per id salvavit et redemit homines], ideo Ipse apud Prophetas vocatur Salvator et Redemptor." [3] また天使は言った、「エホバご自身が世にやって来て、人間性を取り、またそのことによって人間を救い、贖ったので、それゆえ、その方は預言者()のもとに、救い主と贖い主と呼ばれている」。

Et tunc coram illis legit haec sequentia: また、その時、彼らの前でこれらを読んだ、続きのものを――

 

"Tantummodo inter te Deus, et praeterea non Deus. 「神はただあなたの間にだけ〔おられ〕、また他に神はいない。

Profecto Tu Deus occultus, Deus Israelis Salvator" (Esai. xlv. 14, 15) あなたは深く隠された神、イスラエルの神、救い主」(イザヤ545:14, 15)

"Nonne Ego Jehovah, et non amplius Deus praeter Me, Deus justus et Salvator [[2]non] praeter Me" (Esai. xlv. 21, 22) 「わたしはエホバでないか、またわたしのほかにもはや神はいない、わたしのほかに正義の神、救い主はいない」(イザヤ55:21, 22)

"Ego Jehovah, et non praeter Me Salvator" (Esai. xliii. 11). 「わたしはエホバ、また、わたしのほかに救い主はいない」(イザヤ43:11)

"Ego Jehovah Deus tuus et Deum praeter Me non agnosces, et Salvator non praeter Me" (Hosch. xiii. 4). 「わたしは、あなたの神、エホバ、またあなたはわたしのほかに神を認めない、またわたしのほかに救い主はいない」(ホセア13:4)

"Ut sciat omnis caro, quod Ego Jehovah Salvator tuus et Redemptor tuus" (Esai. xlix. 26; lx. 16). 「

"Quoad Redemptorem nostrum, Jehovah Zebaoth nomen Ipsius" (Esai. xlvii. 4). 「私たちの贖い主に関して、その方の名前は万軍の主」(イザヤ47:4)

"Redemptor eorum, fortis Jehovah Zebaoth nomen Ipsius" (Jerem. l. [3]34). 「彼らの贖い主は、強い、その方の名前は万軍の主」(エレミヤ50:34)

"Jehovah Petra mea et Redemptor meus" (Psalm. xix. 15 [B.A. 14]). 「エホバは、私の岩、また私の贖い主」(詩篇19:14)

"Sic dixit Jehovah Redemptor tuus, Sanctus Israelis, Ego Jehovah Deus tuus" (Esai. xlviii. 17; xliii. [4]14; xlix. 7; liv. 8). 「あなたの贖い主エホバ、イスラエルの聖なる者は、このように言った、わたしはエホバ、あなたの神〔である〕」(イザヤ48:1742:1449:756:8)

"Tu Jehovah Pater noster, Redemptor noster a saeculo nomen tuum" (Esai. lxiii. 16). 「あなたは、私たちの父、エホバ、あなたの名前は永久から私たちの贖い主」(イザヤ63:16)

"Sic dixit Jehovah, Redemptor tuus; 「あなたの贖い主エホバはこのように言った。

...Ego Jehovah faciens omnia, ....et solus a Me Ipso" (Esai. xliv. 24). ……わたしはすべてのものを造った……わたし自身からひとりで」(イザヤ44:24)

"Sic dixit Jehovah Rex Israelis, et Redemptor ejus Jehovah Zebaoth; 「イスラエルの王エホバ、またその贖い主、万軍のエホバがこのように言った。

Ego Primus et.. Ultimus, et praeter Me non Deus" (Esai. xliv. 6). わたしは初めと終わり〔である〕、またわたしのほかに神はいない」(イザヤ44:6)

"Jehovah Zebaoth nomen Ipsius, et Redemptor tuus Sanctus Israelis, Deus totius terrae vocabitur" (Esai. liv. 5). 「その方の名前は万軍のエホバ、また、あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれる」(イザヤ54:5)

"Ecce dies venient, ...cum suscitabo Davidi Germen justum, qui regnabit Rex; 「見よ〔その〕日が来る……その時、わたしはダビデに正しい若枝を起こす。

....et hoc Nomen Ipsius, Jehovah Justitia nostra" (Jerem. xxiii. 5, 6; xxxiii. 15, 16). ……またその方の名前は、エホバ、私たちの正義」(エレミヤ23:5, 633:15, 16)

"In die illo erit Jehovah in Regem super totam terram; 「その日に、エホバは全地の上に王となる。

in die illo erit Jehovah unus, et Nomen Ipsius unum" (Sach. xiv. 9). その日に、エホバはひとり、またその方の名前は一つとなる」(ザカリヤ14:9)

 

[4.] Ex his et illis sedentes super soliis confirmati unanimiter dixerunt, quod Ipse Jehovah assumpserit Humanum, ad redimendum et salvandum homines. [4] これらやそれらから椅子()上に座っている者は確信して、一致して言った、エホバご自身が人間性を取ったこと、人間を贖い、救うために。

Sed tunc audita est vox ex Romano-Catholicis, qui occultaverant se post altare, dicens, "Quomodo potest Jehovah Deus Homo fieri, estne Creator Universi?" しかし、その時、ローマカトリック教徒からの声が聞こえた、その者は祭壇に後ろに隠れていた、「どのように神エホバは人間になれることができなのか、全世界の創造者ではないのか?」

Et convertit se unus ex sedentibus super soliis secundi ordinis, et dixit, "Quis tunc?" また、第二列の椅子()上に座っている者からのある者が振り向いた、また言った、「その時☆、だれが?」

tuncには場合を示す「そのとき」の意味があり、ここでは「それでは」というニュアンスでしょう。

Et ille post altare tunc stans juxta altare respondit, "Filius ab aeterno." また祭壇の後ろの彼は、その時祭壇の近くに立って、答えた、「永遠からの子〔である〕」。

Sed responsum tulit, "Estne Filius ab aeterno secundum vestram confessionem etiam Creator universi? しかし、答えを受けた(fero)、「永遠からの子は、あなたがたの告白にしたがって、全世界の創造者でもまたないのか?

et quid Filius ac Deus natus ab aeterno? また、永遠から生まれた子、そして神とは何か?

et quomodo potest Divina Essentia, quae est una et individua, separari, ac unum ejus descendere, et non simul totum?" また神的な本質がどのようにしてできるのか? それは一つまた分割できないものである、分離されること、そしてその一つが降りてくること、また同時に全体〔であること〕」。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 00:55
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原典講読『真のキリスト教』 188(直訳[2])
 

[2.]Ac propositio et ventilatio prima fuit, Quis assumpsit Humanum in Maria Virgine?" [2] そして最初の命題と討議であった、「だれが処女マリアの中で人間性を取ったか?」

Et angelus stans ad mensam, super qua erat Verbum, legit coram illis haec apud Lucam: また机〔の脇〕に立っている天使が、その上にみことばがあった、彼らの前で「ルカ(福音書)」のもとのこれらを読んだ――

 

Angelus dixit ad Mariam, "Ecce concipies in utero, et paries Filium, et vocabis Nomen ejus Jesum: 天使はマリヤに言った、「見よ、あなたは胎の中にみごもっている、また子を産む、またそのま名前をイエスと呼ぶ(未来)――

Hic erit Magnus, et Filius Altissimi vocabitur. この者は偉大な者になる、またいと高き方の子を呼ばれる。☆

原文でここにピリオッドがありませんでした。

… Et Maria dixit ad angelum, Quomodo hoc fiet, quoniam virum non cognosco?  ……また、マリヤは天使に言った、どのようにこのことが起こるのか、私は男を知らないのに?

Et respondens angelus dixit, Spiritus Sanctus veniet super te, et virtus Altissimi obumbrabit te, unde quod nascitur ex te Sanctum, vocabitur Filius Dei" (i. 31, 32, 34, 35). また、天使は答えて、言った、聖霊があなたの上にやって来る、またいと高き方の力があなたをおおう、そこから(それゆえに)、あなたから聖なる者が生まれる、神の子と呼ばれる」(1:31, 32, 34, 35)

 

Tum etiam legit haec apud Matthaeum: なおまた、これらもまた読んだ、「マタイ(福音書)」のもとに――

 

Angelus dixit Josepho in somnio, "Joseph, fili Davidis, ne timeas accipere Mariam sponsam tuam, nam quod in illa natum est, ex Spiritu Sancto est. 天使が夢の中でヨセフにいった、「ヨセフ、ダビデの子、あなたはあなたの婚約者マリヤを受け入れることを恐れるな、彼女の中に生まれる者は、聖霊からである。

… Et Joseph non cognovit illam, usque dum peperit Filium suum Primogenitum; ……またヨセフは彼女を知らなかった、自分の長子の息子を産む(pario)時まで。

et vocavit nomen Ejus Jesum" (i. 20, 25): またその名前をイエスと呼んだ」(1:20, 25)

 

et praeter haec legit plura ex Evangelistis (Ut Matth. iii. 17; xvii. 5; Joh. i. 18; iii. 16; xx. 31), またほかにもこれらを読んだ福音書からの多くのもの(例えば、マタイ3:17, 17:5、ヨハネ1:183:1620:31)

 

et multoties alibi, ubi Dominus quoad Humanum suum Vocatur Filius Dei, et ubi Ipse ex Humano suo Jehovam vocat Patrem suum; また他のところの多くの場合に、そこに主はご自分の人間性に関して神の子と呼ばれている、またそこにその方はご自分の人間性からエホバを自分の父と呼んでいる。

ut et ex Prophetis, ubi praedicitur, quod Ipse Jehovah in mundum venturus esset; そのようにまた、預言者(の書)から、そこに予言されている、エホバご自身が世の中にやって来ること。

inter quae etiam haec duo, apud Esaiam: それらの間に、このれら二つもまた、「イザ()」のもとに、

 

"Dicetur in die illo, Ecce Deus noster Hic, quem exspectavimus ut liberet nos; その日に言われる、見よ、この方は私たちの神、その方を私たちは待ち望んだ、私たちを救うようにと。

Hic Jehovah, quem exspectavimus, exsultemus et laetemur in salute Ipsius" (xxv. 9): この方はエホバ、その方を私たちは待ち望んだ、私たちは小躍りして喜ぶ、また喜ぶ、その方の救いの中で」(25:9)

"Vox clamantis in deserto, Parate viam Jehovae, complanate in solitudine semitam Deo nostro: 「荒野の中で叫ぶ声、エホバの道を備えよ、荒れ地で私たちの神の大路を地ならしせよ――

....revelabitur enim gloria Jehovae; ……というのは、エホバの栄光が現わされるから。

et videbunt omnis caro simul. また、すべての肉が一緒に見る。

....Ecce Dominus Jehovih in forti venit, ....sicut Pastor gregem suum pascet" (Esai. xl. 3, 5, 10, 11). ……見よ、神エホバが力の中にやって来られる……ご自分の群れを飼う、羊飼いのように」(イザヤ40:3, 5, 10, 11)

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 02:02
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原典講読『真のキリスト教』 188(原文と直訳[1]まで)
 

(1) 原文

188. Quartum Memorabile:

 

Quoniam a Domino datum est mihi videre mirabilia, quae in caelis et sub caelis sunt, ex mandato me oportet memorare quod visum est.

Visum est palatium magnificum, et in ejus intimo templum; in medio ejus erat mensa ex auro, super qua erat Verbum, cui adstabant bini Angeli. Circum illam erant solia in triplici ordine: solia primi ordinis erant obtecta panno holoserico purpurei coloris; solia secundi ordinis panno holoserico caerulei coloris; et solia tertii ordinis panno albo.

Sub tecto alte supra mensam apparuit aulaeum expansum, fulgens ex lapidibus pretiosis, e quorum splendore effulsit sicut iris cum serenatur caelum post pluviam. Subito tunc visi sunt totidem ex clero sedentes super soliis, omnes induti vestibus ministerii sacerdotalis. Ad unum latus erat cimeliarchium, ubi stetit angelus custos, et inibi in pulchro ordine jacebant vestes splendidae.

Erat concilium convocatum a Domino; et audivi vocem e caelo dicentem, "Deliberate."

Sed dicebant, "De qua re?"

Dictum est, "De Domino Salvatore, et de Spiritu Sancto." At cum de illis cogitabant, non erant in illustratione, quare supplicabant, et tunc lux defluxit e caelo, quae primum illuminabat occipitia illorum, et postea tempora, et demum facies illorum: et tunc inchoabant; ac ut mandatum est, Primum, de Domino Salvatore.

Ac propositio et ventilatio prima fuit, Quis assumpsit Humanum in Maria Virgine?"

Et angelus stans ad mensam, super qua erat Verbum, legit coram illis haec apud Lucam:

 

Angelus dixit ad Mariam, "Ecce concipies in utero, et paries Filium, et vocabis Nomen ejus Jesum: Hic erit Magnus, et Filius Altissimi vocabitur Et Maria dixit ad angelum, Quomodo hoc fiet, quoniam virum non cognosco? Et respondens angelus dixit, Spiritus Sanctus veniet super te, et virtus Altissimi obumbrabit te, unde quod nascitur ex te Sanctum, vocabitur Filius Dei" (i. 31, 32, 34, 35).

 

Tum etiam legit haec apud Matthaeum:

 

Angelus dixit Josepho in somnio, "Joseph, fili Davidis, ne timeas accipere Mariam sponsam tuam, nam quod in illa natum est, ex Spiritu Sancto est. … Et Joseph non cognovit illam, usque dum peperit Filium suum Primogenitum; et vocavit nomen Ejus Jesum" (i. 20, 25):

 

et praeter haec legit plura ex Evangelistis (Ut Matth. iii. 17; xvii. 5; Joh. i. 18; iii. 16; xx. 31),

 

et multoties alibi, ubi Dominus quoad Humanum suum Vocatur Filius Dei, et ubi Ipse ex Humano suo Jehovam vocat Patrem suum; ut et ex Prophetis, ubi praedicitur, quod Ipse Jehovah in mundum venturus esset; inter quae etiam haec duo, apud Esaiam:

 

"Dicetur in die illo, Ecce Deus noster Hic, quem exspectavimus ut liberet nos; Hic Jehovah, quem exspectavimus, exsultemus et laetemur in salute Ipsius" (xxv. 9):

"Vox clamantis in deserto, Parate viam Jehovae, complanate in solitudine semitam Deo nostro: ....revelabitur enim gloria Jehovae; et videbunt omnis caro simul. ....Ecce Dominus Jehovih in forti venit, ....sicut Pastor gregem suum pascet" (Esai. xl. 3, 5, 10, 11).

 

[3.] Et angelus dixit, "Quoniam Ipse Jehovah in mundum venit, et assumpsit Humanum [[1]et per id salvavit et redemit homines], ideo Ipse apud Prophetas vocatur Salvator et Redemptor." Et tunc coram illis legit haec sequentia:

 

"Tantummodo inter te Deus, et praeterea non Deus. Profecto Tu Deus occultus, Deus Israelis Salvator" (Esai. xlv. 14, 15)

"Nonne Ego Jehovah, et non amplius Deus praeter Me, Deus justus et Salvator [[2]non] praeter Me" (Esai. xlv. 21, 22)

"Ego Jehovah, et non praeter Me Salvator" (Esai. xliii. 11).

"Ego Jehovah Deus tuus et Deum praeter Me non agnosces, et Salvator non praeter Me" (Hosch. xiii. 4).

"Ut sciat omnis caro, quod Ego Jehovah Salvator tuus et Redemptor tuus" (Esai. xlix. 26; lx. 16).

"Quoad Redemptorem nostrum, Jehovah Zebaoth nomen Ipsius" (Esai. xlvii. 4).

"Redemptor eorum, fortis Jehovah Zebaoth nomen Ipsius" (Jerem. l. [3]34).

"Jehovah Petra mea et Redemptor meus" (Psalm. xix. 15 [B.A. 14]).

"Sic dixit Jehovah Redemptor tuus, Sanctus Israelis, Ego Jehovah Deus tuus" (Esai. xlviii. 17; xliii. [4]14; xlix. 7; liv. 8).

"Tu Jehovah Pater noster, Redemptor noster a saeculo nomen tuum" (Esai. lxiii. 16).

"Sic dixit Jehovah, Redemptor tuus; ...Ego Jehovah faciens omnia, ....et solus a Me Ipso" (Esai. xliv. 24).

"Sic dixit Jehovah Rex Israelis, et Redemptor ejus Jehovah Zebaoth; Ego Primus et.. Ultimus, et praeter Me non Deus" (Esai. xliv. 6).

"Jehovah Zebaoth nomen Ipsius, et Redemptor tuus Sanctus Israelis, Deus totius terrae vocabitur" (Esai. liv. 5).

"Ecce dies venient, ...cum suscitabo Davidi Germen justum, qui regnabit Rex; ....et hoc Nomen Ipsius, Jehovah Justitia nostra" (Jerem. xxiii. 5, 6; xxxiii. 15, 16).

"In die illo erit Jehovah in Regem super totam terram; in die illo erit Jehovah unus, et Nomen Ipsius unum" (Sach. xiv. 9).

 

[4.] Ex his et illis sedentes super soliis confirmati unanimiter dixerunt, quod Ipse Jehovah assumpserit Humanum, ad redimendum et salvandum homines.

Sed tunc audita est vox ex Romano-Catholicis, qui occultaverant se post altare, dicens, "Quomodo potest Jehovah Deus Homo fieri, estne Creator Universi?"

Et convertit se unus ex sedentibus super soliis secundi ordinis, et dixit, "Quis tunc?"

Et ille post altare tunc stans juxta altare respondit, "Filius ab aeterno."

Sed responsum tulit, "Estne Filius ab aeterno secundum vestram confessionem etiam Creator universi? et quid Filius ac Deus natus ab aeterno? et quomodo potest Divina Essentia, quae est una et individua, separari, ac unum ejus descendere, et non simul totum?"

[5.] Altera Ventilatio de Domino erat, annon sic Pater et Ipse unum sunt, sicut anima et corpus unum sunt. Dixerunt, quod hoc consequens sit, quia a patre est anima.

Tunc unus ex illis qui sedebant super soliis in tertio ordine, legebat ex Symbolica Fide, quae Athanasiana vocatur, haec:

 

"Tametsi noster Dominus Jesus Christus Filius Dei est Deus et Homo, usque non sunt duo, sed unus Christus, immo est prorsus unus, est una Persona; quoniam sicut anima et corpus faciunt unum hominem, ita Deus et Homo est unus Christus."

 

Dixit legens, quod Symbolum illud, ubi illa verba sunt, receptum sit in Universo Christiano orbe, etiam a Romano-Catholicis.

Et dixerunt, "Quid pluribus opus est? Sunt Deus Pater et Ipse unum, sicut anima et corpus unum sunt." Et dixerunt, "Quia ita est, videmus, quod Humanum Domini sit Divinum, quia est Humanum Jehovae; tum quod Dominus quoad Divinum Humanum adeundus sit, et quod sic et non aliter adiri possit Divinum quod Pater Vocatur. Hoc illorum conclusum confirmavit angelus per plura ex Verbo, inter quae fuerunt haec. [Apud Esaiam:]

 

"Puer natus est nobis, Filius datus est nobis cujus nomen, Mirabilis, Consiliarius, Deus, Heros, Pater aeternitatis, Princeps pacis" (ix. 5 [B.A. 6]):

 

apud eundem,

 

"Abraham non cognoscit nos, et Israel non agnoscit nos; Tu Jehovah Pater noster, Redemptor noster a saeculo nomen tuum" (lxiii. 16).

 

Et apud Johannem:

 

"Jesus.. dixit, Qui credit in Me, ...credit in Ipsum qui misit Me, et qui videt Me, videt Ipsum qui misit Me" (Joh. xii. 44, 45).

"Dixit Philippus" ad Jesum, "Monstra nobis Patrem...; dicit illi Jesus, ....Qui vidit Me, vidit Patrem; quomodo ergo tu dicis, monstra nobis Patrem? Nonne credis, quod Ego in Patre et Pater in Me? ....Credite Mihi, quod Ego in Patre et Pater in Me" (xiv. 8, 9[, 10, 11]).

Jesus dixit, "Ego et Pater unum sumus" (x. 30):

 

tum,

 

"Omnia quae Pater habet, Mea [5]sunt,". ..."et omnia Mea" Patris (xvi. 15; xvii. 10).

 

Demum,

 

"Jesus.. dixit, Ego sum via, Veritas et Vita, nemo venit ad Patrem, nisi per Me" (xiv. 6).

 

[6.] His legens addidit, quod similia quae a Domino de Se et suo Patre hic dicta sunt, etiam ab homine de se et sua anima dici possint. His auditis dixerunt omnes uno ore et corde, quod Humanum Domini sit Divinum, et quod hoc adeundum sit ut adeatur Pater; quoniam Jehovah Deus, per illud Se misit in mundum, et Se fecit visibilem oculis hominum, et sic accessibilem: pariter fecit Se visibilem, et sic accessibilem in forma Humana antiquis, sed tunc per angelum; sed quia haec forma fuit repraesentativa Domini Venturi, ideo omnia ecclesiae apud antiquos fuerunt repraesentativa.

[7.] Post haec sequebatur Deliberatio de Spiritu Sancto. Et primum detecta est plurium idea de Deo Patre, Filio, et Spiritu Sancto, quae erat, quod Deus Pater sederet in alto, et Filius ad dextram Ipsius, et a Se emitterent Spiritum Sanctum, ad illustrandum, docendum, justificandum et sanctificandum homines.

At tunc audita est vox e caelo, dicens, "Non sustinemus illam cogitationis ideam: quis non scit, quod Jehovah Deus sit omnipraesens? Qui hoc scit et agnoscit, etiam agnoscet, quod Ipse illustret, doceat, justificet et sanctificet, et quod non sit Deus medians, distinctus ab Ipso, minus a duobus, ut persona a persona; quare removeatur prior idea, quae est vana, et recipiatur haec, quae est justa, et videbitis hoc clare.

[8.] Sed tunc audita est vox a Romano-Catholicis, qui juxta altare Templi stabant, dicens, "Quid tunc est Spiritus Sanctus, qui in Verbo nominatur apud Evangelistas, et apud Paulum, a quo tot docti e clero, imprimis a nostro, se dicunt duci? Quis hodie in Christiano orbe Spiritum Sanctum, et ejus operationes, negat?"

Ad haec convertit se unus ex illis, qui super soliis secundi ordinis sedebant; et dixit, "Vos dicitis, quod Spiritus Sanctus sit Persona per se, et Deus per se; sed quid est Persona exiens et procedens a Persona, nisi operatio exiens et procedens? Non potest una persona ex altera exire et procedere, sed operatio potest. Aut qui est Deus exiens et procedens a Deo, nisi Divinum exiens et procedens? Non potest Deus unus ab altero, per alterum exire et procedere, sed Divinum potest ex Deo Uno.

[9.] His auditis, sedentes super soliis unanimiter concluserunt quod Spiritus Sanctus non sit Persona per se, ita nec Deus per se, sed quod sit Sanctum Divinum exiens et procedens ex Unico Deo omnipraesente, qui est Dominus.

Ad haec dixerunt angeli stantes ad mensam auream, super qua erat Verbum, "Bene; non legitur ullibi in Vetere Foedere quod Prophetae locuti sint Verbum ex Spiritu Sancto, sed ex Jehovah; et ubi in Novo Foedere dicitur Spiritus Sanctus, intelligitur Divinum procedens, quod est Divinum illustrans, docens, vivificans, reformans et regenerans."

[10.] Post haec successit altera ventilatio de Spiritu Sancto, quae erat, A quo procedit Divinum, quod intelligitur per Spiritum Sanctum, num ex Patre vel num ex Domino. Et cum hoc ventilabant, affulsit lux e caelo, ex qua viderunt, quod Sanctum Divinum, quod intelligitur per Spiritum Sanctum, non procedat ex Patre per Dominum, sed ex Domino a Patre, comparative sicut apud hominem, ejus activum non procedit ab anima per corpus, sed ex corpore ab anima.

Hoc angelus stans ad mensam confirmavit per haec e Verbo:

 

"Ille, quem misit Pater, verba Dei loquitur; non.. ex mensura [6]dat Deus Illi Spiritum; Pater amat Filium, et omnia dedit in manum Ipsius" (Joh. iii. 34, 35).

"Exibit virga de trunco Jischaji; ....quiescet super Ipso Spiritus Jehovae, spiritus sapientiae et intelligentiae, spiritus consilii et virtutis" (Esai. xi. 1[, 2]).

Quod Spiritus Jehovae datus sit super Illum, et quod esset in Illo (Esai. xlii. 1; lix. 19, 20; lxi. 1; Luc. iv. 18).

"Quando venerit Spiritus Sanctus, quem ego missurus sum vobis a Patre" (Joh. xv. 26).

"Ille Me glorificabit, quia ex meo accipiet, et annuntiabit vobis; omnia, quaecunque Pater habet, Mea sunt; propter hoc dixi, quod ex Meo accepturus sit, et annuntiaturus vobis" (Joh. xvi. 14, 15).

"Si abivero, mittam" Paracletum "ad vos" (Joh. xvi. 7).

Quod Paracletus sit Spiritus Sanctus (Joh. xiv. 26).

"Nondum erat Spiritus Sanctus, quia Jesus nondum glorificatus erat" (Joh. vii. 39).

 

Post glorificationem autem,

 

Jesus inspiravit et dixit Discipulis, "Accipite Spiritum Sanctum" (Joh. xx. 22).

 

Et in Apocalypsi:

 

"Quis non.... glorificet Nomen tuum Domine, quia solus Sanctus es" (xv. 4).

 

[11.] Quoniam Divina operatio Domini ex Divina omnipraesentia Ipsius per Spiritum Sanctum intelligitur, ideo cum ad discipulos locutus est de Spiritu Sancto, quem Ipse a Patre missurus est, etiam dixit,

 

"Non relinquam vos orphanos; ....abeo et venio ad vos; ....et in die illo cognoscetis, quod Ego in Patre meo, et vos in Me, et Ego in vobis" (Joh. xiv. 18, 20, 28).

 

Et mox antequam abivit e mundo, dixit,

 

"Ecce Ego vobiscum sum omnibus diebus usque ad consummationem saeculi" (Matth. xxviii. 20).

 

His coram illis lectis, dixit angelus, "Ex illis et pluribus aliis ex Verbo patet quod Divinum, quod vocatur Spiritus Sanctus, procedat ex Domino a Patre.

Ad haec sedentes super soliis, dicebant, "Hoc est Divina Veritas.

[12.] Demum factum est decretum, hoc: "Quod ex deliberatis in hoc Concilio clare viderimus, et inde pro sancta Veritate agnoscamus, quod in Domino Deo Salvatore Jesu Christo, sit Divina Trinitas, quae est, Divinum a Quo quod vocatur Pater, Divinum Humanum quod vocatur Filius, et Divinum procedens quod Vocatur Spiritus Sanctus: conclamantes,

 

Quod in Christo omnis plenitudo Divinitatis habitet corporaliter (Coloss. ii. 9).

 

Ita est unus Deus in Ecclesia."

[13.] Postquam haec in magnifico illo Concilio conclusa sunt, surrexerunt; et venit angelus custos ex cimeliarchio, et apportabat cuivis ex illis, qui super soliis consederunt, vestes splendidas, hic et ibi intertextas filis aureis, et dixit, "Accipite Vestes nuptiales." Et deducti sunt in gloria in Novum Caelum Christianum, cum quo Ecclesia Domini in terris, quae est Nova Hierosolyma, conjuncta erit.

 

   @1 Verba uncis inclusa videantur, Apoc. Rev., n. 962. @2 Vide Apoc. Rev., n. 962. @3 34 pro “24” @4 14 pro “24” @5 sunt (cum exemplo Auctoris,) pro “suae” @6 dat Deus (cum exemplo Auctoris, ) pro “dedit”

 

(2) 直訳

188. Quartum Memorabile:― 第四のメモラビリア――

Quoniam a Domino datum est mihi videre mirabilia, quae in caelis et sub caelis sunt, ex mandato me oportet memorare quod visum est. 主により私に驚くべきことを見ることが与えられたので、それは天界の中と天界の下にある、命令から、私に記録することが義務である、見られたものを。

Visum est palatium magnificum, et in ejus intimo templum; 荘厳宮殿られたまたその最内部神殿

in medio ejus erat mensa ex auro, super qua erat Verbum, cui adstabant bini Angeli. そのでできたがあったそのみことばがあったそれに二人の天使がそばに立った。

Circum illam erant solia in triplici ordine: その前に椅子()があった、三列に(三重の順序の中に)

solia primi ordinis erant obtecta panno holoserico purpurei coloris; 第一列の椅子()は純粋な絹でつくられた掛け布で覆われていた、紫色の色の。

solia secundi ordinis panno holoserico caerulei coloris; 第二列の椅子()は青い色の純粋な絹でつくられた掛け布で。

et solia tertii ordinis panno albo. また第三列の椅子()は白い掛け布で。

Sub tecto alte supra mensam apparuit aulaeum expansum, fulgens ex lapidibus pretiosis, e quorum splendore effulsit sicut iris cum serenatur caelum post pluviam. 机の上の高い屋根の下に広大な広がりの幕☆が見られた、宝石から輝く、それらの輝きから輝き出た、雨の後、天がしずまったときの虹のように。

『レキシコン』にありませんでしたが、ここは「天蓋(てんがい)」がよいです、語彙の追加です。

Subito tunc visi sunt totidem ex clero sedentes super soliis, omnes induti vestibus ministerii sacerdotalis. 突然に、その時、椅子()の上に座っている聖職者からのそれでだけ多くの者が見られた、すべてのものは祭司の職能の衣服を着ていた。

Ad unum latus erat cimeliarchium, ubi stetit angelus custos, et inibi in pulchro ordine jacebant vestes splendidae. 一つの側に宝庫があった、そこに守護の天使が立っていた、また内部に美しい順序で光輝く(みごとな)衣服が置かれていた。

Erat concilium convocatum a Domino; 「主により招集された会議」であった。

et audivi vocem e caelo dicentem, "Deliberate." また、私は天界からの声を聞いた、「熟考せよ」と言っている。

Sed dicebant, "De qua re?" しかし、彼らは言った、「どの事柄について?」

Dictum est,

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 00:41
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原典講読『真のキリスト教』 187
 

(1) 原文

187. Tertium Memorabile:

 

Quondam cum meditabar de Dracone, Bestia et Pseudopropheta, de quibus in Apocalypsi, apparuit mihi spiritus angelicus, et quaesivit, "Quid meditaris?" et dixi, quod de Pseudopropheta.

Tunc ille dixit, "Deducam te ad locum, ubi sunt, qui per 'Pseudoprophetam' intelliguntur:" et inquiit, quod iidem sint qui (in capite xiii. Apocalypseos) intelliguntur per "Bestiam ex terra," quae habebat duo cornua similia agno, et locuta est sicut draco.

Secutus sum illum, et ecce vidi turbam, in cujus medio erant antistites ecclesiae, qui docuerunt quod nihil hominem salvet, quam Fides in meritum Christi, et quod opera sint bona, sed non ad salutem; et quod usque docenda sint ex Verbo, ut laici, imprimis simplices, strictus in vinculis obedientiae erga magistratus teneantur, ac sicut ex religione, ita interius, ad charitatem moralem exercendam adigantur.

[2.] Et tunc unus ex illis me videns dixit, "Vis videre nostrum Fanum, in quo est imago repraesentativa nostrae Fidei?"

Accessi et vidi, et ecce erat magnificum, et in medio ejus imago mulieris, indutae veste coccinea, tenentis in dextra nummum aureum, et in sinistra catenam ex unionibus: sed erant et imago et fanum inducta per phantasiam; possunt enim spiritus infernales per phantasias repraesentare magnifica, occludendo interiora mentis, et aperiendo solum exteriora ejus. Sed cum animadverti, quod tales praestigiae essent, oravi ad Dominum, et subito aperta sunt interiora mentis meae, et tunc vidi loco magnifici fani domum rimosam a tecto usque ad imum, in qua nihil cohaesit; et vidi loco mulieris in domo illa pendens simulacrum, cujus caput erat simile draconi, corpus simile pardo, pedes sicut ursi, et os sicut leonis, ita prorsus sicut describitur "Bestia a mare" (Apoc. xiii. 2): et loco soli erat palus, in qua multitudo ranarum: et dictum est mihi, quod sub palude esset Lapis magnus caesus, sub quo jaceret Verbum penitus reconditum.

[3] His visis dixi ad praestigiatorem, "Est hoc Fanum vestrum?" et dixit, quod sit.

At subito tunc aperiebatur etiam illi visus interior, ex quo vidit similia quae ego. Quibus visis clamavit clamore magno, "Quid hoc, et unde hoc?"

Et dixi, quod sit ex luce e caelo, quae detegit qualitatem cujusvis formae, et sic qualitatem vestrae Fidei separatae a charitate spirituali.

Et illico flavit ventus orientalis, et sustulit fanum cum imagine, et quoque exsiccabat paludem, et sic nudabat Lapidem, sub quo jacuit Verbum. Et post haec spiravit calor sicut vernalis e caelo, et ecce tunc in eodem loco visum est Tabernaculum, quoad formam externam simplex.

Et dicebant angeli qui apud me erant," Ecce Tabernaculum Abrahami, quale id fuit, quando tres angeli ad illum venerunt, et annuntiarunt de Isaco nascituro. Hoc apparet coram oculis simplex, sed usque fit secundum influxum lucis e caelo plus et plus magnificum."

Et datum est illis aperire caelum in quo erant angeli spirituales, qui in sapientia sunt, et tunc ex luce inde influente apparebat Tabernaculum illud sicut Templum simile Hierosolymitano; quod cum introspexi, vidi Lapidem fundi, sub quo Verbum erat repostum, circum obsitum lapidibus pretiosis, e quibus sicut fulgur emicuit in parietes, super quibus erant formae cheruborum, et pulchre variegavit illos coloribus.

[4.] Cum haec admiratus sum, dixerunt angeli, "Videbis adhuc mirabilius." Et datum est illis aperire caelum tertium, in quo erant angeli caelestes, qui in amore sunt; et tunc ex luce flammea inde influente, totum illud Templum evanuit, et loco ejus visus est Dominus Solus, stans super Lapide fundi, qui erat Verbum, in simili effigie, in qua visus est Johanni (Apoc. i.). At quia sanctitas tunc implevit interiora mentis angelorum, ex qua illis fuit nisus procidendi super facies, subito obstruebatur a Domino via lucis e caelo tertio, et aperiebatur via lucis e caelo secundo, ex quo rediit aspectus prior Templi, et quoque Tabernaculi, sed hoc in medio Templi.

Ex his illustratum est, quid intelligitur in Apoc. (xxi.), per hoc:

 

"Ecce Tabernaculum Dei cum hominibus, et habitabit cum illis" (vers. 3):

 

et per hoc:

 

"Templum non vidi" in Nova Hierosolyma, "quia Dominus Deus omnipotens Templum ejus, et Agnus" (vers. 22)

 

(2) 直訳

187. Tertium Memorabile:― 第三のメモリビリア――

Quondam cum meditabar de Dracone, Bestia et Pseudopropheta, de quibus in Apocalypsi, apparuit mihi spiritus angelicus, et quaesivit, "Quid meditaris?" かつて、私は竜、獣、また偽預言者について熟考していたとき、それらについて「黙示録」の中に、私に天使的な霊が現われた、また彼が質問した、「何を、あなたは熟考しているのか?」。

et dixi, quod de Pseudopropheta. また、私は言った、偽預言者について〔であった〕こと。

Tunc ille dixit, "Deducam te ad locum, ubi sunt, qui per 'Pseudoprophetam' intelliguntur:" その時、彼は言った、「私はあなたを場所へ導く(未来)、そこにいる、その者は「偽預言者」によって意味される」――

et inquiit, quod iidem sint qui (in capite xiii. Apocalypseos) intelliguntur per "Bestiam ex terra," quae habebat duo cornua similia agno, et locuta est sicut draco. また言う、(「黙示録」第13章の中で)「地からの獣」によって意味されるものと同じであること、それは小羊に似た二本の角を持つ、また竜のように話した。

Secutus sum illum, et ecce vidi turbam, in cujus medio erant antistites ecclesiae, qui docuerunt quod nihil hominem salvet, quam Fides in meritum Christi, et quod opera sint bona, sed non ad salutem; 私は彼を従った(sequor)、また見よ、私は群衆を見た、その真ん中に教会の高位聖職者たちがいた、その者たちは教えた、キリストの功績への信仰を除いては、人間はまったく救われないこと、また働きは善であること、救いへ〔向かうもので〕ないこと。

et quod usque docenda sint ex Verbo, ut laici, imprimis simplices, strictus in vinculis obedientiae erga magistratus teneantur, ac sicut ex religione, ita interius, ad charitatem moralem exercendam adigantur. また、それでも、みことばから教えなければならないこと、平信徒のために、特に単純な者たち、行政長官に対する従順の束縛の中に厳密に保たれる、そして宗教からのように、このように内部(内心)から、道徳的な仁愛へ向けて実践することを促される。

[2.] Et tunc unus ex illis me videns dixit, "Vis videre nostrum Fanum, in quo est imago repraesentativa nostrae Fidei?" [2] またその時、彼らからの一人が私を見て、言った、「あなたは私たちの神殿を見ることを欲する、その中に私たちの信仰を表象する像がある?」

Accessi et vidi, et ecce erat magnificum, et in medio ejus imago mulieris, indutae veste coccinea, tenentis in dextra nummum aureum, et in sinistra catenam ex unionibus: 私は近づき、見た、また見よ、荘厳であった、その真ん中に女の像があった、緋色の衣服を着て、右〔手〕に金の硬貨をつかんで、また左〔手〕に真珠でできた鎖を。

sed erant et imago et fanum inducta per phantasiam; しかし、幻想によって与えられた像と神殿であった。

possunt enim spiritus infernales per phantasias repraesentare magnifica, occludendo interiora mentis, et aperiendo solum exteriora ejus. というのは、地獄の霊は幻想によって荘厳なものを見せることができるから、心の内的なものを閉ざして、またその外的なものだけを開いて。

Sed cum animadverti, quod tales praestigiae essent, oravi ad Dominum, et subito aperta sunt interiora mentis meae, et tunc vidi loco magnifici fani domum rimosam a tecto usque ad imum, in qua nihil cohaesit; しかし、私が気づいたとき、このようなものが欺瞞(魔法)であったこと、私は主に祈った、また突然に、私の心の内的なものが開かれた、またその時、私は荘厳な神殿の代わりに屋根から最も下のものまで割れ目でいっぱいの家を見た、その中に密着したものは何もない。

et vidi loco mulieris in domo illa pendens simulacrum, cujus caput erat simile draconi, corpus simile pardo, pedes sicut ursi, et os sicut leonis, ita prorsus sicut describitur "Bestia a mare" (Apoc. xiii. 2): また私は、女の代わりに、その家の中にぶらさがっている彫像を見た、その頭は竜に似ていた、身体はヒョウに似て、足は雌熊のよう、また口はライオンのよう、そのように完全に描かれているよう〔であった〕「海からの獣」(黙示録13:2)

et loco soli erat palus, in qua multitudo ranarum: また地面()代わりに沼、その中にカエルの多数。

et dictum est mihi, quod sub palude esset Lapis magnus caesus, sub quo jaceret Verbum penitus reconditum. また、私に言われた、沼の下に切り出された大きな石があったこと、その下に、深く隠されたみことばが横たわる。

[3] His visis dixi ad praestigiatorem, "Est hoc Fanum vestrum?" [3] これらで見られて、私は魔術師に言った、「これがあなたがたの神殿ですか?」

et dixit, quod sit. また言った、〔そう〕であること。

At subito tunc aperiebatur etiam illi visus interior, ex quo vidit similia quae ego. しかし、突然にその時、彼らにもまた内的な視覚が開かれた、それ〔視覚〕から似たものを見た、それを私が〔見た〕。

Quibus visis clamavit clamore magno, "Quid hoc, et unde hoc?" これらで見られて、大きな叫びで叫んだ、「これは何か、またこれはどこからか?」

Et dixi, quod sit ex luce e caelo, quae detegit qualitatem cujusvis formae, et sic qualitatem vestrae Fidei separatae a charitate spirituali. また私は言った、天界からの光からであること、それはそれぞれの形の本質を明かす、またこのように霊的な仁愛から分離したあなたがたの信仰の本質を。

Et illico flavit ventus orientalis, et sustulit fanum cum imagine, et quoque exsiccabat paludem, et sic nudabat Lapidem, sub quo jacuit Verbum. また、直ちに、東風が吹いた(flo)、また像とともに神殿を取り去った(tollo)、そしてまた沼を干し上がらせた、またこのように石を裸にした、その下に、みことばが横たわる。

Et post haec spiravit calor sicut vernalis e caelo, et ecce tunc in eodem loco visum est Tabernaculum, quoad formam externam simplex. またこの後、天界から春のような熱(暖かさ)吹き込んだ、また見よ、その時、同じ場所に幕屋(天幕)が見られた、外なる形に関して単純なもの。

Et dicebant angeli qui apud me erant," Ecce Tabernaculum Abrahami, quale id fuit, quando tres angeli ad illum venerunt, et annuntiarunt de Isaco nascituro. また天使たちは言った、その者は私のもとにいた、「見よ、アブラハムの天幕を、それはそのようであった、三人の天使が彼にやって来た時、またイサクの〔これから後に〕生まれることについて知らせた。

Hoc apparet coram oculis simplex, sed usque fit secundum influxum lucis e caelo plus et plus magnificum." これは目の前に単純なものに見える、しかしそれでも、天界からの光の流入にしたがってますます荘厳になる」。

Et datum est illis aperire caelum in quo erant angeli spirituales, qui in sapientia sunt, et tunc ex luce inde influente apparebat Tabernaculum illud sicut Templum simile Hierosolymitano; また彼らに天界を開くことが与えられた、その中に霊的な天使たちがいた、その者は知恵の中にいる、またその時、光から、ここから流入して、その天幕がエルサレムの神殿に似たもののように見えた。

quod cum introspexi, vidi Lapidem fundi, sub quo Verbum erat repostum, circum obsitum lapidibus pretiosis, e quibus sicut fulgur emicuit in parietes, super quibus erant formae cheruborum, et pulchre variegavit illos coloribus. 私がそれをのぞきこんだとき、私は土台の石を見た、その下にみことばが蓄えられていた、宝石でおおわれて、それらから壁の中に稲妻のように〔光が〕輝き出る、その上にケルビムの形があった、また色でそれらを美しく多様に変化させた。

[4.] Cum haec admiratus sum, dixerunt angeli, "Videbis adhuc mirabilius." [4] 私がこれらを驚かされたとき、天使たちは言った、「あなたはさらに驚くべきものを見ます」。

Et datum est illis aperire caelum tertium, in quo erant angeli caelestes, qui in amore sunt; また、彼らに第三の天界を開けることが与えられた、その中に天的な天使たちがいた、その者は愛の中にいる。

et tunc ex luce flammea inde influente, totum illud Templum evanuit, et loco ejus visus est Dominus Solus, stans super Lapide fundi, qui erat Verbum, in simili effigie, in qua visus est Johanni (Apoc. i.). またその時、燃えるような光から、ここから流入して、その神殿全体が消えた(evanesco)、またそれに代わって(その場所に)、主おひとりが見られた、土台の石の上に立って、それはみことばであった、似た姿の中で、ヨハネに見られたその〔姿の〕中に(黙示録第1章)。

At quia sanctitas tunc implevit interiora mentis angelorum, ex qua illis fuit nisus procidendi super facies, subito obstruebatur a Domino via lucis e caelo tertio, et aperiebatur via lucis e caelo secundo, ex quo rediit aspectus prior Templi, et quoque Tabernaculi, sed hoc in medio Templi. しかし、聖なるものが、天使たちの心の内的なものを満たしたので、そのことから彼らに生じた、顔の上にうつ伏せに倒れようとする努力が、突然に、主によりふさがれた(遮断された)、第三の天界からの光の道が、また第二の天界からの光の道が開かれた、それ〔光の道〕から前の神殿の外観が戻った、そしてまた天幕(幕屋)が、しかし、これは神殿の真ん中に。

Ex his illustratum est, quid intelligitur in Apoc. (xxi.), per hoc: これらから明らかにされた、「黙示録」(21)の中の、これらによって、何が意味されるか――

"Ecce Tabernaculum Dei cum hominibus, et habitabit cum illis" (vers. 3): 「見よ、神の幕屋が人ともに〔ある〕、また〔神は〕彼らとともに住む」(3節)――

et per hoc: またこれらによって――

"Templum non vidi" in Nova Hierosolyma, "quia Dominus Deus omnipotens Templum ejus, et Agnus" (vers. 22) 新しいエルサレムの中に「私は神殿を見なかった」、「全能の神、主が、また小羊が、その神殿〔だ〕からである」(22節)。

 

(3) 訳文

187. 第三のメモリビリア――

 かつて、私、「黙示録」中の竜、獣、また偽預言者について熟考していたとき、私天使的われ、「何あなたは熟考しているのか?」と質問した。私った、偽預言者についてであったこと

 その時、彼った、「私はあなたをそこに「偽預言者」によって意味されるがいる場所導きましょう」――また、(「黙示録」第13章の中で)小羊に似た二本の角を持ち、竜のように話した「地からの獣」によって意味されるものと同じである、と言った。

私は彼に従った、すると見よ、私は群衆を見た。その真ん中に教会の高位聖職者たちがいて、その者たちは、キリストの功績への信仰を除いては、人間はまったく救われないこと、また働きは善であるが、救いへ〔向かうもので〕ないことを教えた。また、それでも、平信徒、特に単純な者たちのために、みことばから教えなければならないこと、行政長官に対する従順の束縛の中に厳密に保たれ、そして宗教からのように、このように内心から、道徳的な仁愛へ向けて実践することを促される〔からである〕。

[2] またその時、彼らからの一人が私を見て、言った、「あなたは私たちの神殿を見ることを欲しますか? その中に私たちの信仰を表象する像があります」。

 私は近づき、見た。すると見よ、荘厳であった。その真ん中に、緋色の衣服を着て、右手に金の硬貨を、左手に真珠でできた鎖をつかんでいる女の像があった。しかし、幻想によって与えられた像と神殿であった。というのは、地獄の霊は幻想によって、心の内的なものを閉ざして、またその外的なものだけを開いて、荘厳なものを見せることができるから。

 しかし、私が、このようなものが魔法であったことに気づいたとき、私は主に祈った。また突然に、私の心の内的なものが開かれ、またその時、私は荘厳な神殿の代わりに屋根から最も下のものまでその中に密着したものは何もない割れ目でいっぱいの家を見た。また私は、女の代わりに、その家の中にぶらさがっている彫像を見た。その頭は竜に、身体はヒョウに似て、足は雌熊のよう、また口はライオンのようであり、完全に「海からの獣」(黙示録13:2)描かれているもののよう〔であった〕。

また地面代わりに沼があり、その中にカエルの多数いた。また、私に、沼の下に切り出された大きな石があり、その下に、深く隠されたみことばが横たわっている、と言われた。

 [3] これらを見て、私は魔術師に言った、「これがあなたがたの神殿ですか?」 彼は言った、〔そう〕であること。

 しかし、突然にその時、彼らにもまた内的な視覚が開かれ、その視覚から、私が見たのと似たものを見た。これらを見て、大きく叫んだ、「これは何か、またこれはどこからか?」

 また私は言った、それぞれの形の本質を、またこのように霊的な仁愛から分離したあなたがたの信仰の本質を明かす天界からの光からであること。

 また、直ちに、東風が吹き、像とともに神殿を取り去り、そしてまた沼を干し上がらせ、またこのように、下に、みことばが横たわる石をむき出しにした。

 またこの後、天界から春のような暖かさが吹き込んだ。すると見よ、その時、同じ場所に外なる形に関して単純な天幕原文

186. Secundum Memorabile:

 

Quondam cogitatione versavi in quanam regione mentis resident theologica apud hominem; quae quia spiritualia et caelestia, credidi primum quod in suprema; mens enim humana distincta est in tres regiones, sicut domus in tres mansiones, similiter sicut habitationes angelorum in tres caelos.

Et tunc adstitit angelus, et dixit, "Theologica apud illos qui amant verum quia est verum, emergunt usque in supremam regionem, quia ibi est caelum illorum, et in luce sunt in qua angeli; moralia autem theoretice lustrata et percepta se locant sub illis in secunda regione, quia communicant cum spiritualibus; et politica sub his in prima; scientifica autem, quae multiplicia sunt, ac in genera et in species referri possunt, faciunt januam ad superiora illa. Illi, apud quos spiritualia, moralia, politica, et scientifica, ita subordinata sunt, ex justitia et judicio cogitant quae cogitant, et faciunt quae faciunt. Causa est, quia lux veri, quae etiam est lux caeli, e suprema regione illuminat consequentia, sicut lux Solis transiens aetheres, et progressive aerem, illuminat visus hominum, bestiarum et piscium. Aliter vero theologica apud illos, qui non amant verum quia est verum, sed solum propter gloriam famae suae: apud hos resident theologica in ultima regione ubi scientifica, cum quibus apud quosdam se commiscent, et apud quosdam se non possunt commiscere. Sub his in eadem regione sunt politica, et sub his moralia, quoniam apud hos binae regiones superiores non apertae sunt a parte dextra; quare illis non est aliqua interior ratio judicii, nec affectio justitiae, sed modo ingeniositas, ex qua de omni re possunt loqui sicut ex intelligentia, et confirmare quicquid obvenit sicut ex ratione; sed objecta rationis, quae principaliter amant, sunt falsa, quia haec cum fallaciis sensuum cohaerent. Inde est, quod dentur tot in mundo, qui vera doctrinae ex Verbo non plus vident quam caeci nati; et cum audiunt illa, comprimunt nares, ne odor illorum infestet et nauseam moveat; at vero ad falsa aperiunt omnes sensus, et hauriunt illa sicut balaenae aquas."

 

(2) 直訳

186. Secundum Memorabile:― 第二のメモラビリア――

Quondam cogitatione versavi in quanam regione mentis resident theologica apud hominem; かつて、私は思考をひっくり返した(熟考した)、心のどの領域の中に住んでいるか、人間のもとの神学が。

quae quia spiritualia et caelestia, credidi primum quod in suprema; それは霊的なもの、また天的なものなので、私は最初、最高のものの中に〔住んでいる〕ことを信じた。

mens enim humana distincta est in tres regiones, sicut domus in tres mansiones, similiter sicut habitationes angelorum in tres caelos. というのは、人間の心は三つの領域に分けられているから、家が三つの階に〔分けられている〕ように、天使たちの住まいが三つの天界に〔分けられている〕ようにと同様に。

Et tunc adstitit angelus, et dixit, "Theologica apud illos qui amant verum quia est verum, emergunt usque in supremam regionem, quia ibi est caelum illorum, et in luce sunt in qua angeli; またその時、天使がそばにいた、また言った、「彼らのもとの神学は、その者は真理であるからと真理を愛する、最高の領域まで上がる、そこに彼らの天界があるので、また光の中にいる、その中に天使たちが。

moralia autem theoretice lustrata et percepta se locant sub illis in secunda regione, quia communicant cum spiritualibus; けれども、道徳的なものは、理論的に考察された、また知覚された、それ自体をそれらの下、第二の領域の中に置く、霊的なものと伝達するので。

et politica sub his in prima; また政治上の事柄はこれらの下、第一のもの〔領域〕の中に。

scientifica autem, quae multiplicia sunt, ac in genera et in species referri possunt, faciunt januam ad superiora illa. けれども、記憶知は、それらは数多い。そして全般的なものと特定的なものを述べることができる、それら高いものの入り口をつくる。

Illi, apud quos spiritualia, moralia, politica, et scientifica, ita subordinata sunt, ex justitia et judicio cogitant quae cogitant, et faciunt quae faciunt. 彼らは、その者のもとに霊的なもの、道徳的なもの、政治上の事柄、また記憶知が、このように従属している、公正と判断(思慮分別)から、考えるものを考える、また行なうものを行なう。

Causa est, quia lux veri, quae etiam est lux caeli, e suprema regione illuminat consequentia, sicut lux Solis transiens aetheres, et progressive aerem, illuminat visus hominum, bestiarum et piscium. 理由である、真理の光は、それは天界の光でもある、最高の領域から論理的な推理(演繹、成り行き)を照らすからである、太陽の光がエーテルを通り過ぎて、また空気の中に前進して、人間の、獣の、また魚の視覚を照らす(明るくする)うに。

Aliter vero theologica apud illos, qui non amant verum quia est verum, sed solum propter gloriam famae suae: しかし、彼らのもとの神学は異なる、その者は真理であるからと真理を愛さない、しかし、単に自分の評判の栄光(称賛)ために。

apud hos resident theologica in ultima regione ubi scientifica, cum quibus apud quosdam se commiscent, et apud quosdam se non possunt commiscere. これらの者のもとに神学は最も低い領域の中に住む、そこに記憶知〔がある〕、それらとあるもののもとでそれ自体を交わらせる、またあるもののもとでそれ自体を交わらせることができない。

Sub his in eadem regione sunt politica, et sub his moralia, quoniam apud hos binae regiones superiores non apertae sunt a parte dextra; それらの下に、同じ領域の中に政治上の事柄がある、またこれらの下に道徳的なもの、これらのもとに高い二つの領域が右の部分から開かれていないので。

quare illis non est aliqua interior ratio judicii, nec affectio justitiae, sed modo ingeniositas, ex qua de omni re possunt loqui sicut ex intelligentia, et confirmare quicquid obvenit sicut ex ratione; それゆえ、彼らに何らかの公正な内的な理性はない、公正の情愛もない、しかし、単に才気〔がある〕、その才気からすべての事柄で話すことができる、知性からのように、また心に浮かぶ何でも確信すること、理性からのように。

sed objecta rationis, quae principaliter amant, sunt falsa, quia haec cum fallaciis sensuum cohaerent. しかし、理性の対象は、それをことのほか愛する、虚偽である、これらが感覚の欺きに密着しているので。

Inde est, quod dentur tot in mundo, qui vera doctrinae ex Verbo non plus vident quam caeci nati; ここからである、世の中にこのように多く存在すること、その者は、みことばからの教えの真理を、生まれながらの盲目の者よりもさらに多く見ない。

et cum audiunt illa, comprimunt nares, ne odor illorum infestet et nauseam moveat; また、それらを聞くとき、鼻を締めつける、それらのにおいが悩ます、また吐き気を起こさせないように。

at vero ad falsa aperiunt omnes sensus, et hauriunt illa sicut balaenae aquas." しかし、虚偽に向けてすべての感覚を開ける、またそれらを吸収する、クジラが水をのように」。

 

(3) 訳文

186. 第二のメモラビリア――

 かつて、私、人間のもとの神学のどの領域んでいるか、思考をひっくりしたそれは霊的また天的なものなので、私最初、最高のものの〔住んでいることをじたというのは、天使たちのまいがつの天界けられているのと同様、家つのにように、人間つの領域けられているから

 またその時、そばにいた天使った、「真理であるからと真理するのもとの神学最高領域までがるそこに天使たちの天界があり、光にいるからであるけれども、理論的考察され、知覚された道徳的なものは、霊的なものと伝達するのでそれ自体をそれらの下に、第二領域また政治上事柄はこれらの下、第一領域にあるけれども、記憶知それらは数多そして全般的なものと特定的なものをべることができるがそれらいもののをつくる

 霊的なもの、道徳的なもの、政治上事柄、また記憶知このように従属しているのもとでは、公正判断から、考えるものを、行なうものをなう

 その理由、天界でもある真理、太陽がエーテルを、空気前進して、人間、獣、魚視覚るくするように、最高領域から論理的推理らすからである

 しかし、真理であるからと真理さないでしかし、単自分評判称賛ためにするのもとの<

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 01:53
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原典講読『真のキリスト教』 185(訳文)
 

(3) 訳文

185. ここに次のメモラビリアが付けられる。第一のものはこれ――

 霊界の中に自然界の中のように等しく気候と地帯がある。霊界の中にないものは自然界の中にも存在しない。しかし、起源が異なる。

 自然界の中に赤道からの太陽の距離にしたがっていろいろな気候がある。霊界の中に、意志の情愛とここから真の愛と真の信仰からの理解力の思考の距離にしたがって気候がある。そこの〔自然界〕すべてのものはこれらの対応物である。

 霊界の中の寒冷地帯の中に、自然界の中の寒冷地帯の中の似たものが見られる。そこに凍るような寒さで締め付けられた地が、同様に水が、そしてまたそれらの上に雪が見られる。

 そこへやって来て、そこに住む者は、世の中で、霊的なものについての思考の無活動ら理解力を眠らせ、また同時に、ここから何らかの役立ちを行なうには無活動の中にいた――〔彼らは〕北の霊と呼ばれる。

 [2] かつて、私に、そこに北の霊がいた寒冷地帯の中のある地域を見ようとする欲望が歩きまわった。またそれゆえ、霊の中で私は北に、そこにすべての地は雪でおおい隠されて、またすべての水は氷でしばられて見えた地方に導かれた。その日は安息日であった。私は人間を見た、すなわち、世の人間と似た身長の霊である。しかし、寒さのために、頭に関してライオンの皮を着ていて、その口は彼らの口〔の部分〕で利用されていた。けれども身体に関して、正面と後ろの部分から、腰の上までヒョウの皮で、また足に関して雄熊の皮でおおわれていた。

 そしてまた、私は馬車に、そしてある者は竜の形の中の彫刻された馬車に乗っている多くの者を見た、その竜の角は前方へ伸びていた。彼らの馬車は小さな馬に引っ張られ、それらの尾は切断されていた。恐ろしい野獣のように走った、そして乗り手は手の平の手綱をつかんで、常に進路の中へ駆り立て、追い立てた。

 最後に私は、群衆が雪でおおい隠されて見えなかった神殿へ群がり集まったのを見た――しかし、神殿の見張りの者たちが雪かきをし、掘り出すことによって、礼拝に来る者に入り口を用意した。その者たちは降り、入った。

 [3] 私にもまた内側から神殿を見ることが与えられた。おびただしい明かりと油ランプで照らされていた。

 そこに切られた石でできた祭壇があり、その後ろに、板が掛けられていて、それに、「神的な三一性、父、子、聖霊、それらは本質的に一つの神である、しかし、位格的に三つである」と書かれていた。

 最後に祭司が祭壇に立って、三度、祭壇の板に膝を曲げた後、手の中の本とともに説教壇にのぼり、神的な三一性からの説教を始めた。

 また、叫んだ、「おお、いと高きところの中の神が永遠からの子を生み、またその者によって聖霊を導き出したことは、どれほど大きな奥義であるか。その三つは本質によってそれ自身を結合した、しかし、属性によってそれ自身を切り離した、それらは転嫁、贖い、また働き(活動)ある。

 しかし、もし、このことを私たちが理性で熟慮するなら、視覚が暗黒の中にあって、またその前に、太陽を裸眼で見定めるときに生じるような斑点(しみ)が生じる。それゆえ、私の傾聴者たちよ、このことに関して、私たちは理解力を信仰の服従の下に保とう

 [4] この後、再び叫んで、言った、「おお、私たちの聖なる信仰は、どれほど大きな奥義であるか。それらはこれらである――父なる神は子に義を転嫁し、聖霊を送り、その聖霊はその転嫁されたものから、義認の報酬を働く、それは要するに、罪の赦し、更新、再生、救いである。その流入または活動について、人間はロトの妻は変えられた塩の像よりもより多く知らない。またその住むことまたは状態について、海の中の魚よりも多く知らない。

 しかし、私の友たちよ。その中に宝物が、その小片〔すら〕が明らかでないように、そのようにまれ、しまい込まれて、隠れている。それゆえ、このことに関してもまた、私たちは理解力を信仰の服従の下に保とう

 [5] 何らかのため息の後、再び叫んで、言った、「おお、選びは、どれほど大きな奥義であるか。

 選ばれた者になり、その者に神はその信仰を転嫁し、それを好みの自由からまた純粋な恩恵から、欲するだれにでも、欲する時に、注ぎ込まれる。また、人間は注ぎ込まれるとき、〔何もない〕幹のようである、しかし、注ぎ込まれたとき〔葉の茂る〕木のようになる。

 けれども、善の働き(わざ)である実は、確かにその木からぶら下がるが、それは象徴的な意味の中で私たちの信仰である。しかし、それでも密着していない。それゆえ、その木の価値は実からではない。しかし、このことは異端のように響く、またそれでも奥義の真理である。私の兄弟よ、私たちは理解力をこの信仰の服従の下に保とう

 [6] またさらに、何らかの隙間の後、さらに何かを記憶から引き出すように立って、続けて、言った――「奥義の堆積から、私はさらに一つを取り出そう。それは、霊的なものの中で、人間に選択の自由が微塵もないことである。というのは、私たちの君主である高位聖職者と指導者たちは、自分たちの規範の神学の中で、人間は、信仰と救いに属するもの、特に霊的なものと呼ばれるものの中で、どんなものも意志し、考え、理解することができない、またそれらを取り入れることへ向けて、自分自身を適合させ、適用することも決してできないからである。それゆえ、私は、私から言う、人間がそれらについて自分自身から、理性から考えることは、また思考からむだなおしゃべりをすることは、オウム、カケスまたはカラスができるのと異ならない。そのように、人間は霊的なものの中で真にロバであり、また自然的なものの中でだけ人間である。

 しかし、私の仲間よ、このことに、他のことのように、あなたがたの理性を悩ませないように、私たちは理解力を信仰の服従の下に保とう。というのは、私たちの神学は底なしの深淵であるから。その中に、もしあなたがた理解力の視覚を入れるなら、あなたがたは沈み、難破船〔のように〕滅びる。

 しかし、やはり聞け――それでもなお、私たちは福音の光そのものの中にいる、その光は高いところで私たちの頭の上方で輝く。しかし、ああ、悲しい。私たちの頭髪は、私たちの頭蓋骨は、その光が私たちの理解力の部屋の中に内部に届かないように、妨げ、抑える」。

 [7] これらを言って、降り、祭壇へ願いを祈った後、礼拝は終わった。私は、自分たちの間で話している者たちに近づいた、そこに祭司もいた。その祭司に取り囲む者たちが言った、「私たちはあなたに不滅の感謝を行ないます、これほどにりっぱな、また豊饒な知恵〔のある〕説教ゆえにです。

 しかし、その時、私は彼らに言った、「あなたがたは何らかのものを理解しなかったのではないですか?」 彼らは答えた、「私たちはすべてのものを完全な耳で把握しました。しかし、なぜ、あなたは、私たちが理解したかどうか質問するのですか? 理解力はこのようなものの中で鈍るのですか?」

 また祭司は彼らに言って、このことを言い足した、「あなたがたは聞し、また理解しませんでした。ここからあなたがたに救いが〔ある〕ので、あなたがたは幸せです」。

 [8] その後、私は祭司話し、彼に月桂冠をかぶったか質問した。彼は、「私は「師」の月桂冠をかぶった者である」と答えた。

 また、その時、私は言った、「師よ、私はあなたの奥義の説教を聞きました――もしそれをあなたが知っていて、また〔そこに〕含まれる何らかのものを知らないなら、あなたは何も知りません。というのは、それらは単に三つの錠前で閉ざされた箱のようであるから、それはあなたがたに開けられ、のぞきこまれないなら、そのことは理解力によって生じますが、あなたがたは、内部に貴重なものがあるかどうか、あるいは価値がないものが、あるいは害するものがあるかどうか知りません。「イザヤ書」の記述にしたがって(59:5)、マムシの卵、クモの巣であるかもしれません」。

 これらを聞いて、祭司はいかめしい顔つきで私を注視した。礼拝者たちは、矛盾に酔って、無意味なものに愚鈍にされ、信仰の事柄と救いの手段のすべてのものの中で暗黒に取り囲まれて、去り、自分たちの馬車に上った。

author:yasubee, category:原典講読『真教』第3章, 23:01
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