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原典講読『真のキリスト教』 281(訳文)
(3) 訳文〔これは『啓示された黙示録』153からの再録である〕
281. 第四のメモラビリア――
 
 主により霊界同時自然界にいることまたここから天使人間とのように話すこと、またそのことによって、死後、今まで知らなかったその世界の中に到着する者の状態を知ることが与えられた(ので (というのは、私は私のすべての親類また友と話したから、そしてまた王や大公と、たとえばまた学問のある者と、その者は自分の運命を果たした(死んだ)、またこのことが今や二十七年の間、絶えず〔与えられている〕からである)そのためにきた経験から死後人間状態べることができるよくきた者の〔状態どんなものであるかまた悪く〔生きた〕者〔状態がどんなものであるか〕。
 しかし、ここに虚偽の教えの中に自分自身をみことばから確信した、その者は特に彼らである、その者は信仰のみによって義認として(のために)それを行なった者の状態について何らかのものだけを私は話しに出す。
 これらの継続する状態、今やこのようにけられる――
(1) 死んで霊に関して生き返った時、一般的に心臓が叩き続けることをやめた後、第三日に生じることであるが、自分自身に似た身体の中に見られる、その中に以前に世の中で〔いた〕、今でも以前の世の中に生きていること以外に、これほどまでも、異なって知らない(ように)、けれども、物質的な身体の中にいない、しかし、実体的な身体の中にいる、それは彼らの感覚の前に物質的なもののように見える、それでも〔そうでは〕ない。
[2](2) 何日か後に彼らは、そこにいろいろな社会が設立されている世界の中にいること見る、それは「霊たちの世界」と呼ばれる天界と地獄の間の中間にある世界である。
 そこのすべての社会は、それらは無数にあって、善と悪の自然的な情愛にしたがって驚くほど秩序づけられている。善の自然的な情愛にしたがって秩序づけられた社会は、天界と伝達る、また悪の情愛にしたがっえ秩序づけられた社会は、地獄と伝達る。
 [3](3) 新しくやって来た霊は、すなわち、霊的な人間は、善いもの(社会)も悪いもの(社会)も、いろいろな社会の中へ導かれ、引き渡され、また、善と真理に情愛を感じたかどうか、またどのようにか、あるいは悪と虚偽に情愛を感じたかどうか、またどのようにか調べられる。
 [4](4) もし善と真理に情愛を感じたなら、悪の社会から導き出され、善の社会の中へ、そしてまたいろいろなもの〔社会〕の中へ、自分の自然的な情愛に対応する社会の中にやって来る(時)で、またそこにその情愛に対応する善を享受する、またこのことを自然的な情愛を脱ぐ(時)で導き入れられ、また霊的なもの(情愛)を着るが、その時、天界の中へ上げられる。しかし、このことは、世の中で仁愛の生活を、またこのように信仰の生活もまた送った者に生じる、それは、主を信じ、また悪を罪として避けた生活である。
 [5](5) しかし、自分自身に虚偽を、理性的なもの(推論)によって、特にみことばによって確信し、また自然的でしかないような生活を、そのように悪の〔生活〕を送った者は、なぜなら、悪は虚偽を同伴し、虚偽に悪はしがみつくからであるが、善と真理に情愛を感じないで、しかし悪と虚偽に〔情愛を感じる〕者は、善の社会から導き出される、そして、悪の社会の中へ、そしてまたいろいろなもの〔社会〕の中へ、自分の欲望の愛に対応する何らかのもの(社会)の中にやって来る(時)で導き入れられる。
[6](6) しかし、世なるものの中で善の情愛を偽り装った、それでも、彼らの内なるものの中で悪または欲望の情愛でないなら存在しなかったので、時々、外なるものの中に保たれる。また、世集団支配した者は、ここでまた支配する。霊たちの世界の社会で、公けのもの、または一部の中で、以前に職務であったそれらの地位(階級)にしたがって。しかし、真理さないので、公正さない、何真理公正るようにまでらされることもできないそれゆえ、数日後解雇される
 私ある社会から社会へこのような移行するまたどこでもらに統治(管理)えられしかし時間の後、何度も免職となった。
 [7](7) たびたびの拒絶後、さらに職務めることを、あるきからしないある名声われるれからあえてしないそれゆえ退またふさぎまたその時、さびしい場所られそこに小屋がありそれにまたそこで、彼らにらかの仕事するようとえられるするかぎり、食物またもししないなら、飢えるまたらないそれゆえ、強制いる
 そこの食物たちの世界食物ているしかし、霊的起源からのものでありすべてのにそれをなう役立ちにしたがって、主により天界からえられる。怠には、役立たないので、与えられない
[8](8) ある期間後、仕事嫌気がするまたその時、小屋から。彼らが聖職者だったなら、建設することをするまた、直ちにその時、切られた石、れんが、厚板、板、なおまたとイグサからの、粘土から、石灰、また瀝青堆積われるそれらをるとき、建築する欲望がたきつけられあるある材木あるあるはイグサをある粘土、一つをもうつの手当たり次第置いて、しかし、彼らの視野秩序正しく、家建築することをめるしかしそれは、昼間らが建築、夜崩壊するしかし、次れたがれきからそして建築するそれらを建築することにきるまで――このことは対応からずるそれらは、信仰虚偽確認するためにみことばから箇所またそれらの虚偽教会なって建築しないことである
 [9](9) きから去り、その後、孤独、暇のままに座。怠には天界から食物えられないので、言われたように、飢え始める。どのようにして食物を受け取るか、また飢えを鎮めること以外に他のことをえることをない――この状態にいるとき、彼らにあるたちがやってそのたちにしを懇願するまた、彼らは言う、「なぜ、そのように怠け者〔として〕あなたがたは座っているのか? 私たちと、私たちの家に来い。私たちはあなたがたにするべき仕事を与え、あなたがたを養う」。
 その時、喜んで立ち上がり、彼らと彼らの家の中へ立ち去った、またそこにだれにも自分の仕事が与えられ、また仕事ゆえに食物が与えられる――しかし、自分自身に信仰の虚偽を確信したすべての者は、善の役立ちの仕事をすることができない、しかし悪の役立ちの仕事を、誠実に行なわないで、欺いて、そのようにまたいやいやながらする。それゆえ、自分の仕事を後に残し、社交)話すこと、歩くこと、眠ることだけを愛する。またその時、雇い主によりもはや仕事へ引き寄せることができないので、それゆえ、役に立たない者のように追い払われる。
 [10](10) 追い払われた時、彼らに目が開かれ、ある洞穴へ向かう道が見える。そこへやって来たとき、扉が開かれ、そこに食物があるか尋ねる。そこに食物が〔ある〕と答えられるとき、そこにとどまることを許すよう懇願する。許し、そして導き入れることが言われ、彼らの後ろで扉が閉ざされる――その時、その洞穴の長がやって来て、彼らに言う、「あなたがたはもはや出ることができない。あなたがたの仲間を見よ、すべての者は働いている、また働くかぎり、天界から彼らに食物が与えられる。このことを私は、あなたがたに知って〔もらう〕ように言う」。
 そしてまた、仲間が言う、「私たちの長は、それぞれの者がふさわしい仕事について知っている、このようにどんなものでも日々負わせる。それをあなたがたが果たしたその日に、あたがたに食物が与えられる。もし〔果たさ〕ないなら、食物も衣服も与えられない。またもしだれかが他の者に悪を行なうなら、洞穴の隅に投げつけられ、断罪のほこりまみれ寝台の上に置かれ、そこで悲惨に苦しめられる、またこのことが、長が彼のもとに悔い改めのしるしを見るまで〔続く〕。その時、解放され、彼に、自分の仕事を行なうように命令される」。
[11] そしてまた、彼らはそれぞれに、自分仕事後、歩くこと、会話することその後、眠ることが許される、とわれる――また洞穴内部かれそこに娼婦がいて、彼女たちからそれぞれのがある自分自身、自分ぶことことがされる、見境なく淫行にふけることはのもとにじられる
永遠強制収容所でしかないこのような洞穴から、地獄構成される
 私周知のものとする目的のために、私らかのものの、見ることことがえられたすべての者が卑しく見えた。彼らからのだれ一人も、世の中でだれ〔であり〕どんな職務の中にいたか知らなかった。しかし、私といた天使は、私に言った、「世の中で、この者は召使い、この者は兵士、この者は将校(長官)この者は聖職者、この者は要職にあった、この者は裕福であった。それでも、すべての者は、奴隷と似た(者同士の)仲間であったとしか以外に知らない」。この理由は、内的に似たものであり、それでも外的に異なっていた、そして内的なものが霊界の中ですべての者を仲間とするからである
 [12] 全般的に地獄について、それらはこのようなまったくの洞穴と強制収容所から、しかし、そこにサタンがいるのものとそこに悪魔がいる似ていないものから構成される。
虚偽とここからの悪の中にいた者はサタン、悪とここからの虚偽の中にいた者は悪魔、と言われる。
 サタンは天界の光の中で死体のような鉛色に、ある者はミイラのような黒い〔色に〕に見える。しかし、悪魔は天界の光の中で暗い火のように、ある者はすすのような黒いものに見える。しかし、すべての者は顔と身体に関して怪物のようである。しかし、炭火からの光のようである自分の光の中で、怪物のようではなく、人間のようである。このことは彼らに、仲間となることができるために与えられている。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 23:26
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原典講読『真のキリスト教』 281(直訳[11][12])
[11.] Et quoque dicitur ei, quod cuique liceat post opus suum ambulare confabulari, et postea dormire: [11] そしてまた、彼らは言われる、それぞれに許されること、自分の仕事の後、歩くこと、会話すること、またその後、眠ること。
et deducitur interius in cavernam, ubi sunt scorta, ex quibus licet unicuique aliquam sibi sumere, et nominare suam mulierem, at sub poena interdicitur scortari promiscue. また洞穴の中の内部へ導かれ、そこに娼婦がいる、彼女たちからそれぞれの者がある者(女)自分自身に取ることが許される、また自分の女と呼ぶこと、罰のもとに禁じられる、見境なく淫行にふけること。
Ex talibus cavernis, quae non sunt nisi quam aeterna ergastula, consistit infernum. このような洞穴から、それらは永遠の強制収容所以外でないならない、地獄は構成される。
Datum mihi est intrare in aliquas, et videre, propter finem ut notum facerem; 私に何らかのものの中に入ることが与えられた、また見ること、目的のために、周知のものと私がするように。
et visi sunt omnes ut viles; また視覚にある、すべての者が卑しいもののように(として)
nec unus ex illis scivit, quis et in quo munere fuerat in mundo; 彼らからの一人も知らなかった、世の中でだれ〔であり〕どんな職務の中にいたか。
sed Angelus, qui mecum erat, dixit mihi, quod hic fuerit in mundo famulus, hic miles, hic praefectus, hic sacerdos, hic in dignitate, hic in opulentia; しかし、天使は、その者は私といた、私に言った、この者は世の中で召使いであったこと、この者は兵士、この者は将校(長官)この者は聖職者(祭司)、この者は高位(要職)に、この者は裕福(な者)の中に。
et tamen omnes non sciunt alter quam quod servi et similes sodales fuerint; またそれでも、すべての者は異なって知らない、奴隷と似た(者同士の)仲間であったこと以外に。
hoc ex causa quia interius similes fuerant, tametsi exterius dissimiles, ac interiora consociant omnes in mundo Spirituali. このことは理由から、内的に似たものであったので、それでも外的に異なっている、そして内的なものが霊界の中ですべての者を仲間になる(仲間にする)
[12.] Quod inferna in genere attinet, consistunt illa ex meris talibus cavernis et ergastulis, sed ex dissimilibus ubi sunt satanae, et ubi sunt diaboli. [12] 全般的に地獄については、それらはこのようなまったくの洞穴と強制収容所から構成される、しかし、似ていないものから、そこにサタンがいる、またそこに悪魔がいる。
Satanae dicuntur qui in falsis et inde malis fuerunt, et diaboli qui in malis et inde falsis. サタンは言われる、その者は虚偽とここからの悪の中にいた、また悪魔は、その者は悪とここからの虚偽の中に。
Satanae apparent in luce caeli lividi sicut cadavera, et quidam nigri sicut mumia; サタンは天界の光の中で死体のような鉛色に見える、またある者はミイラのような黒い〔色に〕。
at diaboli apparent in luce caeli furve igniti, et quidam atri sicut fuligo; しかし、悪魔は天界の光の中で黒っぽい(暗い)火のように見える、またある者はすすのような黒いもの。
at omnes quoad facies et corpora monstrosi; しかし、すべての者は顔と身体に関して怪物のようである。
sed in sua luce, quae est instar lucis ex carbonibus ignitis, non ut monstra, sed ut homines; しかし、自分の光の中で、それは炭火からの光のようである、怪物のようでない、しかし、人間のよう〔である〕。
hoc illis datum est, ut consociari possint. このことは彼らに与えられている、仲間となることができるために。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 05:11
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原典講読『真のキリスト教』 281(直訳[9][10])
(2) 直訳
[9.] (ix.) Postea abeunt ex taedio, ac sedent solitarii et otiosi; [9](9) きから後、そして孤独また(怠惰)☆〔ままに〕座
ここの二つの属格は「述語的な属格」と言われるものです。主語の状態を述べます。副詞的に訳すとよいでしょう。
et quia otiosis non datur cibus e caelo, ut dictum est, incipiunt esurire; またには天界から食物えられないので、言われたように、飢えることを始める。
et non aliud cogitare, quam quomodo accepturi sunt cibum, et sedaturi famen: またのことをえることをない、どのようにして食物を受け取るか以外に、また飢えを鎮めること。
cum in hoc statu sunt, veniunt ad illos aliqui, a quibus petunt stipem; この状態の中にいるとき、彼らにある者たちがやって来る、その者たちから施しを懇願する。
et dicunt, "Cur ita otiosi sedetis? また、彼らは言う、「なぜ、そのように怠け者〔として〕あなたがたは座っているのか?
Venite nobiscum in nostras domus, et dabimus vobis opera ad faciendum, et cibabimus vos." 私たちと、私たちの家に来い、また私たちはあなたがたにするべき仕事を与える、またあなたがたを養う(食物を供給する)。
Et tunc laeti sergunt, et abeunt cum illis in domus illorum, et ibi cuilibet datur suum opus, et propter opus datur cibus: またその時、嬉しい者たち☆は立ち上がった、また、彼らと彼らの家の中に立ち去った、またそこにだれにも自分の仕事が与えられる、また仕事ゆえに食物が与えられる。
副詞的に[喜んで]と訳すのがよいでしょう。
sed quia omnes, qui se confirmaverunt in falsis fidei, non facere possunt opera boni usus, sed opera mali usus, nec faciunt fideliter, sed fraudulenter, ut et invito; しかし、すべての者は、その者は自分自身に信仰の虚偽を確信した、善の役立ちの仕事をすることができない、しかし悪の役立ちの仕事を、誠実に行なわない、しかし、欺いて、そのようにまたいやいやながら。
quare relinquunt sua opera, et modo amant conversari, loqui, ambulare, et dormire; それゆえ、自分の仕事を後に残す、また交わること(社交)だけを愛する、話すこと、歩くことまた眠ること。
et quia tunc ab heris non possunt adduci amplius ad opera, ideo sicut inutiles amandantur. またその時、雇い主によりもはや仕事へ引き寄せることができないので、それゆえ、役に立たない者のように追い払われる。
[10.] (x.) Quando amandati sunt, aperitur illis oculus, et vident viam tendentem ad quandam cavernam; [10](10) 追い払われた時、彼らに目が開かれる、またある洞穴へ向かう道が見える。
quo cum veniunt, aperitur ostium, ac intrant, et quaerunt num ibi cibus; そこへやって来たとき、扉(入り口)が開かれる、またそこに食物があるか尋ねる。
et cum respondetur quod ibi cibus, petunt ut libi liceat manere; またそこに食物が〔ある〕ことが答えられるとき、そこにとどまることを許すように求める(懇願する)
et dicitur quod liceat ac introducuntur, et post illos clauditur ostium: また言われる、許すことそして導き入れることが、また彼らの後ろで扉(入り口)が閉ざされる。
et tunc venit praesul illius cavernae, et dicit illis, "Non potestis amplius exire; またその時、その洞穴の長がやって来る、また彼らに言う、「あなたがたはもはや出ることができない。
videte sodales vestros, omnes laborant, et sicut laborant, victus e caelo illis datur; あなたがたの仲間を見よ、すべての者は働いている、また働くかぎり、天界から彼らに食物が与えられる。
hoc dico vobis ut sciatis." このことを私は言う、あなたがたに知って〔もらう〕ように」。
Et quoque dicunt sodales, "Praesul noster novit ad quod opus quisque idoneus est, et tale cuilibet injungit cottidie; そしてまた、仲間が言う、「私たちの長は向かって(まで、ついて)知っている、それぞれの者がふさわしい仕事を、このようにどんなものでも日々負わせる(押し付ける)
quo die id absolvitis, datur vobis cibus; その日に、それをあなたがたが果たした、あたがたに食物が与えられる。
et si non, non datur cibus nec vestis; またもし〔果たさ〕ないなら、食物も衣服も与えられない。
et si quis malum facit alteri, conjicitur ad angulum cavernae, in quendam lectum ex pulvere damnato, ubi miscere cruciatur, et hoc usque dum praesul videt signum paenitentiae apud illum; またもしだれかが他の者に悪を行なうなら、洞穴の隅に投げつけられる、有罪(断罪)のちり(ほこり)からのある寝台の上に、そこで悲惨に☆苦しめられる、またこのことが長が悔い改めのしるしを見るまで、彼のもとに。
ここにミスプリがありますmiscereでなくmisereです。初版は正しいです。
et tunc eximitur, et mandatur ei ut faciat opus suum. またその時、解放される、また彼に命令される、自分の仕事を行なうように。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 23:58
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原典講読『真のキリスト教』 281(直訳[6]〜[8])
(2) 直訳
[6.] (vi.) Sed quia in mundo simulaverunt affectiones bonas in externis, tametsi in internis illorum non essent nisi affectiones malae seu concupiscentiae, tenentur per vices in externis; [6](6) しかし、世なるものの中で善の情愛を偽り装ったので、それでも、彼らの内なるものの中で悪または欲望の情愛でないなら存在しなかった、時々(交互に)、外なるものの中に保たれる。
et illi qui in mundo praefuerunt coetibus, praeficiuntur hic et ibi in mundo spirituum societatibus, in communi aut in parte secundum amplitudinem officiorum quibus prius functi fuerant; またらはその集団支配した(=人々集団支配するであった)、ここにまたそこに支配する、霊たちの世界の中で、社会に、共通なもの(公衆の)中で、または一部の中で、それらの職務の地位(階級)にしたがって、以前に職務であった。
sed quia non amant verum, nec amant justum, nec illustrari possunt usque ut sciant quid verum et justum, ideo post aliquot dies abrogantur. しかし、真理さないので、公正さない、何真理公正るようにまでらされることもできないそれゆえ、数日後解雇される(らされる)
Vidi tales translatos ab una societate in alteram, et ubivis datam illis administrationem, sed post breve tempus toties abrogatos. 私はこのような移行するある社会からのもののまたどこでもらに統治(管理)えられたしかし時間(しばらくの)の後、これほど何度も免職(解雇)された。
[7.] (vii.) Post frequentes abdicationes quidam ex taedio non volunt, quidam ex timore jacturae famae non audent, amplius ambire functiones; [7](7) たびたびの拒絶の後、ある者は疲労(飽き)から欲しない、ある者は名声の奪われることの恐れからあえてしない、さらに職務を求めること。
quare recedunt, et sedent tristes, et tunc abducuntur in solitudinem, ubi sunt casae, quas intrant, et ibi datur illis aliquod opus ad faciendum; それゆえ、退く、またふさぎ込んで(悲しく)座る、またその時、さびしい場所(荒野)の中に連れ去られる、そこに小屋(あばら屋)がある、それに入る、またそこに、彼らに何らかの仕事が、するようと、与えられる。
et sicut faciunt, recipiunt cibum, et si non faciunt, esuriunt, et non recipiunt; また、するかぎり、食物を受け取る、またもし、しないなら、飢える、また受け取らない。
quare necessitas cogit. それゆえ、強制が強いる(強制する)
Cibi ibi sunt similes cibis in nostro mundo, sed sunt ex origine spirituali, et dantur e caelo a Domino omnibus secundum usus quos faciunt; そこに食物は私たちの世界の食物と似ている、しかし、霊的な起源から(のもの)である、また主により天界から与えられる、すべての者にそれを行なう役立ちにしたがって。
otiosis, quia inutiles sunt, non dantur. 怠け者に、役立たないので、与えられない。
[8.] (viii.) Post aliquod tempus fastidiunt opus; [8](8) ある時間(期間)の後、仕事に嫌気がする。
et tunc exeunt e casis; またその時、小屋から出る。
et si fuerunt sacerdotes, volunt aedificare; また、もし彼らが聖職者だったなら、建設することを欲する。
et illico tunc apparent strues lapidum caesorum, laterum, asserum, tabularum, tum acervi ex cannis et juncis, ex argilla, calce, et bitumine; また、直ちに、その時、切られた石の堆積が見られる(現われる)、れんが、厚板、板、なおまた葦(あし)とイグサからの塊り、粘土から、石灰(calx)、また瀝青。
quae cum vident, incenditur libido aedificandi, et incipiunt struere domum, sumendo nunc lapidem, nunc lignum, nunc cannam, nunc lutum, et ponunt unum supra alterum inordinate, at in illorum visu ordinate; それらを見るとき、建築する欲望がたきつけられる(点火される)、また家を建築することを始める、取って、ある時は石を、ある時は材木を、ある時は葦を、ある時はイグサを、ある時は粘土を、また一つをもう一つの上に手当たり次第に置く、しかし、彼らの視野の中で秩序正しく。
sed quod interdiu aedificant, noctu dilabitur; しかし、それは、昼間に彼らが建築する、夜に、崩壊する。
at sequente die colligunt ex rudere lapsa, ac iterum aedificant, et hoc tamdiu, usque dum illos taedet aedificare: しかし、次の(続く)日に、落ちた(崩れた)がれきから、そして再び建築する、それらを建築することに飽きる(疲れる)まで。
hoc fit ex correspondentia, quae est, quod congesserint loca ex Verbo, ad confirmandum falsa fidei, et falsa illorum non aliter aedificant ecclesiam. このことは対応から生ずる、それらである、みことばから箇所を積み上げる、信仰の虚偽を確認するために、またそれらの虚偽は教会を異なって建築しない。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 23:54
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原典講読『真のキリスト教』 281(原文と直訳[5]まで)
(1) 原文
281. Quintum Memorabile:
 
Quoniam a Domino mihi datum est simul in mundo spirituali et in mundo naturali esse, et inde loqui cum angelis sicut cum hominibus, et per id cognoscere status illorum qui post mortem alluunt in hactenus ignotum illum mundum (locutus enim sum cum omnibus meis affinibus et amicis, et quoque cum regibus et ducibus, ut et cum eruditis, qui fata sua obiverunt, et hoc nunc continue per viginti septem annos); quapropter ab experientia viva possum discribere status hominum post mortem, quales sunt illorum qui bene vixerunt, et illorum qui male. Sed hic modo aliqua memorabo de statu illorum, qui in falsis doctrinae se confirmaverunt ex Verbo, qui sunt in specie illi qui pro justificatione per solam fidem id fecerunt. Status horum successivi sunt sicut nunc sequitur:
(i.) Quando defuncti sunt, et quoad spiritum revivunt, quod fit communiter tertio die postquam cor cessavit pulsare, apparent sibi in simili corpore, in quo prius in mundo, usque adeo, ut non sciant aliter, quam quod adhuc in priori mundo vivant, verum non in corpore materiali, sed in corpore substantiali, quod coram sensibus illorum apparet sicut materiale, tametsi non est.
[2.] (ii.) Post aliquot dies vident quod in mundo sint, ubi sunt variae Societates institutae, qui mundus vocatur Mundus Spirituum, et est medius inter Caelum et Infernum. Omnes societates ibi, quae innumerae sunt, mirabiliter ordinatae sunt secundum affectiones naturales bonas et malas; societates ordinatae secundum affectiones naturales bonas, communicant cum caelo, et societates ordinatae secundum affectiones malas, communicant cum inferno.
[3.] (iii.) Novitius spiritus, seu spiritualis homo, deducitur et transfertur in varias societates, tam bonas quam malas, et exploratur num afficitur bonis et veris, et quomodo, vel num afficitur malis et falsis, et quomodo.
[4.] (iv.) Si afficitur bonis et veris, abducitur a societatibus malis, et inducitur in societates bonas, et quoque in varias, usque dum venit in societatem suae affectioni naturali correspondentem, et ibi fruitur bono isti affectioni correspondente, et hoc usque dum naturalem affectionem exuit, et spiritualem induit, et tunc elevatur in caelum; sed hoc fit illis, qui in mundo vixerunt vitam charitatis, et sic quoque vitam fidei, quae est, quod crediderint in Dominum, et fugerint mala ut peccata.
[5.] (v.) At illi qui se in falsis confirmaverunt per rationalia, imprimis per Verbum, et sic non aliam vitam quam mere naturalem ita malam vixerunt, nam mala comitantur falsa, et falsis adhaerent mala, hi quia non afficiuntur bonis et veris, sed malis et falsis, abducuntur a societatibus bonis, ac inducuntur in societates malas, et quoque in varias, usque dum veniunt in aliquam sui amoris concupiscentiis correspondentem.
[6.] (vi.) Sed quia in mundo simulaverunt affectiones bonas in externis, tametsi in internis illorum non essent nisi affectiones malae seu concupiscentiae, tenentur per vices in externis; et illi qui in mundo praefuerunt coetibus, praeficiuntur hic et ibi in mundo spirituum societatibus, in communi aut in parte secundum amplitudinem officiorum quibus prius functi fuerant; sed quia non amant verum, nec amant justum, nec illustrari possunt usque ut sciant quid verum et justum, ideo post aliquot dies abrogantur. Vidi tales translatos ab una societate in alteram, et ubivis datam illis administrationem, sed post breve tempus toties abrogatos.
[7.] (vii.) Post frequentes abdicationes quidam ex taedio non volunt, quidam ex timore jacturae famae non audent, amplius ambire functiones; quare recedunt, et sedent tristes, et tunc abducuntur in solitudinem, ubi sunt casae, quas intrant, et ibi datur illis aliquod opus ad faciendum; et sicut faciunt, recipiunt cibum, et si non faciunt, esuriunt, et non recipiunt; quare necessitas cogit. Cibi ibi sunt similes cibis in nostro mundo, sed sunt ex origine spirituali, et dantur e caelo a Domino omnibus secundum usus quos faciunt; otiosis, quia inutiles sunt, non dantur.
[8.] (viii.) Post aliquod tempus fastidiunt opus; et tunc exeunt e casis; et si fuerunt sacerdotes, volunt aedificare; et illico tunc apparent strues lapidum caesorum, laterum, asserum, tabularum, tum acervi ex cannis et juncis, ex argilla, calce, et bitumine; quae cum vident, incenditur libido aedificandi, et incipiunt struere domum, sumendo nunc lapidem, nunc lignum, nunc cannam, nunc lutum, et ponunt unum supra alterum inordinate, at in illorum visu ordinate; sed quod interdiu aedificant, noctu dilabitur; at sequente die colligunt ex rudere lapsa, ac iterum aedificant, et hoc tamdiu, usque dum illos taedet aedificare: hoc fit ex correspondentia, quae est, quod congesserint loca ex Verbo, ad confirmandum falsa fidei, et falsa illorum non aliter aedificant ecclesiam.
[9.] (ix.) Postea abeunt ex taedio, ac sedent solitarii et otiosi; et quia otiosis non datur cibus e caelo, ut dictum est, incipiunt esurire; et non aliud cogitare, quam quomodo accepturi sunt cibum, et sedaturi famen: cum in hoc statu sunt, veniunt ad illos aliqui, a quibus petunt stipem; et dicunt, "Cur ita otiosi sedetis? Venite nobiscum in nostras domus, et dabimus vobis opera ad faciendum, et cibabimus vos." Et tunc laeti sergunt, et abeunt cum illis in domus illorum, et ibi cuilibet datur suum opus, et propter opus datur cibus: sed quia omnes, qui se confirmaverunt in falsis fidei, non facere possunt opera boni usus, sed opera mali usus, nec faciunt fideliter, sed fraudulenter, ut et invito; quare relinquunt sua opera, et modo amant conversari, loqui, ambulare, et dormire; et quia tunc ab heris non possunt adduci amplius ad opera, ideo sicut inutiles amandantur.
[10.] (x.) Quando amandati sunt, aperitur illis oculus, et vident viam tendentem ad quandam cavernam; quo cum veniunt, aperitur ostium, ac intrant, et quaerunt num ibi cibus; et cum respondetur quod ibi cibus, petunt ut libi liceat manere; et dicitur quod liceat ac introducuntur, et post illos clauditur ostium: et tunc venit praesul illius cavernae, et dicit illis, "Non potestis amplius exire; videte sodales vestros, omnes laborant, et sicut laborant, victus e caelo illis datur; hoc dico vobis ut sciatis." Et quoque dicunt sodales, "Praesul noster novit ad quod opus quisque idoneus est, et tale cuilibet injungit cottidie; quo die id absolvitis, datur vobis cibus; et si non, non datur cibus nec vestis; et si quis malum facit alteri, conjicitur ad angulum cavernae, in quendam lectum ex pulvere damnato, ubi miscere cruciatur, et hoc usque dum praesul videt signum paenitentiae apud illum; et tunc eximitur, et mandatur ei ut faciat opus suum. [11.] Et quoque dicitur ei, quod cuique liceat post opus suum ambulare confabulari, et postea dormire: et deducitur interius in cavernam, ubi sunt scorta, ex quibus licet unicuique aliquam sibi sumere, et nominare suam mulierem, at sub poena interdicitur scortari promiscue. Ex talibus cavernis, quae non sunt nisi quam aeterna ergastula, consistit infernum. Datum mihi est intrare in aliquas, et videre, propter finem ut notum facerem; et visi sunt omnes ut viles; nec unus ex illis scivit, quis et in quo munere fuerat in mundo; sed Angelus, qui mecum erat, dixit mihi, quod hic fuerit in mundo famulus, hic miles, hic praefectus, hic sacerdos, hic in dignitate, hic in opulentia; et tamen omnes non sciunt alter quam quod servi et similes sodales fuerint; hoc ex causa quia interius similes fuerant, tametsi exterius dissimiles, ac interiora consociant omnes in mundo Spirituali.
[12.] Quod inferna in genere attinet, consistunt illa ex meris talibus cavernis et ergastulis, sed ex dissimilibus ubi sunt satanae, et ubi sunt diaboli. Satanae dicuntur qui in falsis et inde malis fuerunt, et diaboli qui in malis et inde falsis Satanae apparent in luce caeli lividi sicut cadavera, et quidam nigri sicut mumia; at diaboli apparent in luce caeli furve igniti, et quidam atri sicut fuligo; at omnes quoad facies et corpora monstrosi; sed in sua luce, quae est instar lucis ex carbonibus ignitis, non ut monstra, sed ut homines; hoc illis datum est, ut consociari possint.
 
(2) 直訳〔これは『啓示された黙示録』153からの再録である〕
281. Quintum Memorabile:― 第四のメモラビリア――
 
Quoniam a Domino mihi datum est simul in mundo spirituali et in mundo naturali esse, et inde loqui cum angelis sicut cum hominibus, et per id cognoscere status illorum qui post mortem alluunt in hactenus ignotum illum mundum (locutus enim sum cum omnibus meis affinibus et amicis, et quoque cum regibus et ducibus, ut et cum eruditis, qui fata sua obiverunt, et hoc nunc continue per viginti septem annos); 主により霊界同時自然界にいることがえれらたのでまたここから天使人間とのように話すことが、またそのことによって彼らの状態を知ること、死後、その者は今まで知らなかったその世界の中に到着する(というのは、私は私のすべての親類また友と話したから、そしてまた王や侯爵(大公)と、たとえばまた学問のある者と、その者は自分の運命を果たした(死んだ)、またこのことが今や二十七年の間、絶えず〔与えられている〕からである)
quapropter ab experientia viva possum discribere status hominum post mortem, quales sunt illorum qui bene vixerunt, et illorum qui male. そのために(その理由)きた経験から死後人間状態べることができる、彼らの〔状態どんなものであるかそのはよくきたまたらの〔状態がどんなものであるか〕その者は悪く〔生きた〕。
Sed hic modo aliqua memorabo de statu illorum, qui in falsis doctrinae se confirmaverunt ex Verbo, qui sunt in specie illi qui pro justificatione per solam fidem id fecerunt. しかし、ここに何らかのものだけを私は話しに出す、彼らの状態について、その者は虚偽の教えの中に自分自身をみことばから確信した、その者は特に彼らである、その者は信仰のみによって義認として(のために)それを行なった。
Status horum successivi sunt sicut nunc sequitur:― これらの継続する状態、今やこのようにけられる――
(i.) Quando defuncti sunt, et quoad spiritum revivunt, quod fit communiter tertio die postquam cor cessavit pulsare, apparent sibi in simili corpore, in quo prius in mundo, usque adeo, ut non sciant aliter, quam quod adhuc in priori mundo vivant, verum non in corpore materiali, sed in corpore substantiali, quod coram sensibus illorum apparet sicut materiale, tametsi non est. (1) 死んだ時、また霊に関して生き返った、一般的に心臓が叩き続けることをやめた後、第三日に生じること、自分自身に似た身体の中に見られる、その中に以前に世の中で〔いた〕、これほどまでも、異なって知らない(ように)、今でも以前の世の中に生きていること以外に、けれども、物質的な身体の中に〔い〕ない、しかし、実体的な身体の中に、それは彼らの感覚の前に物質的なもののように見える、それでも〔そうでは〕ない。
[2.] (ii.) Post aliquot dies vident quod in mundo sint, ubi sunt variae Societates institutae, qui mundus vocatur Mundus Spirituum, et est medius inter Caelum et Infernum. [2](2) 何日か後に彼らは見る、世界の中にいること、そこにいろいろな社会が設立されている、それは「霊たちの世界」と呼ばれる世界である、また天界と地獄の間の中間にある。
Omnes societates ibi, quae innumerae sunt, mirabiliter ordinatae sunt secundum affectiones naturales bonas et malas; そこにすべての社会は、それらは無数にある、善と悪の自然的な情愛にしたがって不思議に(驚くほど)秩序づけられている。
societates ordinatae secundum affectiones naturales bonas, communicant cum caelo, et societates ordinatae secundum affectiones malas, communicant cum inferno. 善の自然的な情愛にしたがって秩序づけられた社会は、天界と伝達(交通)る、また悪の情愛にしたがっえ秩序づけられた社会は、地獄と伝達(交通)る。
[3.] (iii.) Novitius spiritus, seu spiritualis homo, deducitur et transfertur in varias societates, tam bonas quam malas, et exploratur num afficitur bonis et veris, et quomodo, vel num afficitur malis et falsis, et quomodo. [3](3) 最近の(新しくやって来た)霊は、すなわち、霊的な人間は、いろいろな社会の中へ導かれ、引き渡される、善いもの(社会)も悪いもの(社会)も、また調べられる、善と真理に情愛を感じたかどうか、またどのように、あるいは悪と虚偽に情愛を感じたかどうか、またどのように。
[4.] (iv.) Si afficitur bonis et veris, abducitur a societatibus malis, et inducitur in societates bonas, et quoque in varias, usque dum venit in societatem suae affectioni naturali correspondentem, et ibi fruitur bono isti affectioni correspondente, et hoc usque dum naturalem affectionem exuit, et spiritualem induit, et tunc elevatur in caelum; [4](4) もし善と真理に情愛を感じたなら、悪の社会から導き出される、また善の社会の中へ導き入れられる、そしてまたいろいろなもの〔社会〕の中へ、自分の自然的な情愛に対応する社会の中にやって来る(時)で、またそこにその情愛に対応する善を享受する、またこのことを自然的な情愛を脱ぐ(時)で、また霊的なもの(情愛)を着る、またその時、天界の中へ上げられる。
sed hoc fit illis, qui in mundo vixerunt vitam charitatis, et sic quoque vitam fidei, quae est, quod crediderint in Dominum, et fugerint mala ut peccata. しかし、このことは彼らに生じる、その者は世の中で仁愛の生活を送った、またこのように信仰の生活もまた、それである、主を信じたこと、また悪を罪として避けた。
[5.] (v.) At illi qui se in falsis confirmaverunt per rationalia, imprimis per Verbum, et sic non aliam vitam quam mere naturalem ita malam vixerunt, nam mala comitantur falsa, et falsis adhaerent mala, hi quia non afficiuntur bonis et veris, sed malis et falsis, abducuntur a societatibus bonis, ac inducuntur in societates malas, et quoque in varias, usque dum veniunt in aliquam sui amoris concupiscentiis correspondentem. [5](5) しかし、彼らは、その者は自分自身を虚偽の中で確信した、理性的なもの(推論)によって、特にみことばによって、またこのように他の生活を、単に自然的な以外の、そのように悪の〔生活〕を送った、なぜなら、悪は虚偽を同伴するから、また虚偽に悪はしがみつく、この者は善と真理に情愛を感じないので、しかし悪と虚偽に〔情愛を感じる〕、善の社会から導き出される、そして、悪の社会の中へ導き入れられる、そしてまたいろいろなもの〔社会〕の中へ、自
分の欲望の愛に対応する何らかのもの(社会)の中にやって来る(時)で。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 22:05
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原典講読『真のキリスト教』 280(訳文)
(3) 訳文
280. 第四のメモラビリア――
 
 かつてくから木々の順序の間の遊歩道を、またそこに、群れの中に集まっている若者たちを見た。知恵事柄についてしているそれだけくのわりがあったこのことは霊界の中であった。
 私は近づいた。また私が近くに進むとき、私はある者を見た。残りの者はその者を自分たちの第一人者(リーダー)として、残りの者よりも知恵がまさっていた理由のために尊んだ。
 この者は私を見て言った、「私は驚いている、私が道の中の上ってくるあなたを見たとき、時に、あなたは私の見えないものの中に落ち込む、時に、そこからあなたは出る、すなわち、時には、あなたは私に見え、また急に見えなくなる。確かに、あなたは私たちの国のいのちの状態の中にいない」。
 これにほほ笑んで私は答えた、「私は演技者でも、ウェルトゥムヌス☆でもありません。しかし、私は交互に、時にはあなたがたの光の中に、また時には、あなたがたの陰の中にいます、このようにここではよそ者であり、そしてまた土着の者です」。
 このことにその賢明な者は私を熟視し、言った、「あなたは、異質なことと驚くべきことを話す。私に、あなたはだれ(何)であるか言いなさい」。
 また私は言った、「私は自然界と呼ばれる世界の中にいます、その中にあなたがたはいました、またそこからあなたがたは出ました。そしてまた、私は霊界と呼ばれる世界の中にいます、その中にあなたがたはいます――ここから、私は自然的な状態の中に、また同時に霊的な状態の中にいます。自然的な状態の中で地球の人間とともに、また霊的な状態の中であなたがたとともにいます。また私が自然的な状態の中にいる時、私はあなたがたを見ません、しかし、霊的な状態の中で、私は見ます――私がこのようであることは、主により与えられました。
 照らされた方よ、あなたに、自然界の人間は霊界の人間を見ないこと、その逆もまたよく知られています。それゆえ、私の霊が私の身体の中に入れられるとき、あなたに私は見られません、しかし、私が身体から出るとき、私は見られます――またこのことは霊的なものと自然的な者の間の相違から生じます」。
 [2] 彼は、霊的なものと自然的なものの間の相違を聞いたとき、言った。「何が相違か? それは多いか少ないかする純粋なものの間のようなものであるのか? そのように、自然的なものの純粋なものでないなら霊的なものとは何か?」
 また、私は答えた、「相違はそのようなものではありません。自然的なものは決して純化作用によって霊的なものに近づくことができません、そのようにであるのは、その相違は前のものと後ろのものの間のようであり、それらの間に有限な比率は存在しないからです。というのは、原因がその結果の中にあるように、前のものは後ろのものの中にあり、そして結果がその原因から存在するように、後ろのもの前のものから存在するからです。ここから、一方がはもう一方に見られません」。
 これに、その賢明な者は言った、「私はこの相違について熟考した、しかし、それでも、むだだった。それを私が知覚させてもられるとよいのに」。
 また、私は言った、「あなたは霊的なものと自然的なものの間の相違を知覚するだけでなく、しかしさらにまた見るでしょう」。
 またその時、私はこれらを言った――「あなたはあなたがたのもとにいる時、霊的な状態の中にいます、しかし、私のもとで自然的な状態の中にいます。というのは、あなたはすべての霊と天使に共通であるあなたがたの霊的な言語で話します、しかし、私とあなたは私の母語で話すからです。なぜなら、すべての霊と天使は人間と話すとき、彼の固有の言語で、そのようにフランス人とフランス語で、ギリシア人とギリシア語で、アラビア人とアラビア語で話すからです、等々。
 [3] そこで、あなたが言語に関して霊的なものと自然的なものの間の相違を知るために、このように行ないなさい。あなたがたの中にへ入り、またそこで何かを話しなさい、そして音声を心に保ち、またこれらをともに記憶の中に戻り、また私の前にそれらを発声してみてください」。
 そしてそのように行なった、また私のところに口の中のそれらの言葉とともに戻った、またそれは発言され(effort)、音声はまったく異質で奇妙であり、それは自然界の中の何らかの言語の中に存在しないものだった。数回繰り返されたこの経験によって、はっきりと明らかになった。霊界の中のすべての者に、何らかの自然的な言語と共通なものを何も得ていない霊的な言語があること、またすべての人間はその言語の中に、死後、自分自身からやって来ることである。
 かつて、私もまた経験から学んだ。霊的な言語の音声そのものが自然的な言語の音声から、霊的な大きな音声もまた少しも自然的な人間から聞かれない、自然的な音声も霊的な人間から聞かれないように、これだけ異なっていることである。
 [4] その後、私は彼と周りに立つ者に、自分のところに入り、また何らかの(短い)を紙の上に書き、またその紙とともに私のところに出てきて、また読むように頼んだ。
 彼らはそのように行ない、手の中の紙とともに戻った。しかし、彼らが読んだとき、その書いたものはただ上にねじれある何らかのアルファベットの文字から構成されていた、ねじれのそれぞれは何らかの意味の事柄を意味していた。アルファベットの中のそれぞれの文字はそこに何らかのものを意味するので、そこから、主が「アルファとオメガ」と言われることの意味が明らかである。
 〔そのとき〕彼らは再びまた再び、入り、書き、戻った。その書いたものは無数のものを含み、包含しているが、それらを決して何らかの自然的な書いたものは表わすことができない。また、このことが、霊的な人間が自然的な人間に〔とって〕理解できないものと言い表わすことができないものを考えているからであること、またこれらを何らかの書いたものを何らかの言語の中に持ち込むことができないことである、言われた。
 [5] その時、そばに立っている者が、霊的な思考がこんな程度に、比較すればい表わすことができないようにも、自然的な思考にまさっていること把握したがらなかったので私は彼らに言った、「経験してください。あなたがたの霊的な社会の中へ入って、何らかの事柄を考え、そしてそれらを心にとどめ、戻り、私の前にそれらを述べてみてください」。
 そして、彼らは、入り、考え、心にとどめ、また思考の事柄を述べるとき、できなかった。というのは、何らかの純粋な霊的な思考の観念に釣り合った自然的な思考の観念を何も考え出さなかったから。そのようにそれらを述べる何らかの言葉がない、なぜなら、思考の観念は話しのことばを生ずるからである。また再び入り、戻った後、霊的な観念は超自然的で、言い表せないもの、言葉にできないもの、また自然的な人間に理解できないものであったことを確信した。
またこれほどに卓越したものであるので、彼らは、霊的な観念または思考は自然的なものに比べて観念の観念、また思考の思考であること、またそれらによって性質の性質が、また情愛の情愛が表わされる、したがって、霊的な思考は自然的な思考の始まり、そして起源であった、と言った。ここからもまた、霊的な知恵は知恵の知恵であり、そのように自然界の中のだれか知恵のある者に言い表せないことが明らかである。
 [6] その時、さらに上の天界から言われた。さらに、内的なまたはさらに上の知恵があること、それは天的なものと呼ばれ、霊的な知恵へのその関係は、自然的な〔知恵〕へのこの関係と同様である。
またこれらは天界にしたがった順序の中で主の神的な知恵から流入し、それは無限である。
 これに私と話している男が、「このことを私は見る、私は知覚したので、一つの自然的な観念を多くの霊的な観念の容器であること。そしてまた、一つの霊的な観念は多くの天的な観念の容器であること。これらからもまたこの結果が生じる。分割したものはさらにまたさらに単純なものとならない、しかし、さらにまたさらに多種多様なものとなる、無限へとさらに近くまたさらに近く近づくからである、その中にすべてのものが無限にある」と言った。
 [7] れらが行なわれて、私は傍観者に言った、「これらの三つの経験からの証拠から、あなたは、霊的なものと自然的なものの間の相違がどんなものであるか、そしてまた、なぜ自然的な人間が霊的な人間に見られないか、また霊的な人間が自然的な人間に見られないか、その理由を知るでしょう。それでも両者とも完全に人間の形です、またこの形そのものからある者が他の者のように見られます。しかし、心する内的なものがそのをつくりますそして天使霊的ものから形作られています。また人間の心は、世の中に生きる間、自然的なものから形作られています」。
 これらの後、高天界からそばにっていたある、「ここへ」と言う声こえた。上、戻り、また、「天使以前霊的ものと自然的なものの間の相違を知らなかった。その理由は、両方の世界の中に同時にいたある人間のともに、比較の何らかの機会が与えられ、また比較と関係なしにその相違はそれより以前に知ることができないからである」と言った。
 [8] たちが、再、私たちはこの事柄についてまたった、「それらの相違、霊界のあなたがたは物質的ではなく実体的であるという以外源泉からではありませんそして実体物質まりです――物質は実体の集まりでないなら何ですか?
 そこで、あなたがたは始まり(基本物質)の中に、またこのように個々のもの(特定のもの、限られたもの)の中にいます、けれども、私たちは(最初の原理からの)派生物の中に、また合成物(いろいろな要素を含むもの)の中にいます。あなたがたは個別のものの中にいます、けれども、私たちは全般的なものの中にいます。また全般的なものが個別のものの中に入ることができないように、そのように物質的なものである自然的なものは、それらは、実体的なものである霊的なものの中に入るがことできない。まったく、船のロープが裁縫の針の穴を通って入るかまたは導かれることができないような、また小繊維から神経が存在するのに、神経が小繊維からの一つに引き入れられることができないようなものである。
 そこで、これらが、自然的な人間が霊的な人間が考えるものを考えることも、またここからそれを話すこともできない理由である。それゆえ、パウロは第三の天界から聞いたそれらを言い表わすことができないものと呼んだ。
 [9] 追加の事実は、霊的に考えることは時間と空間なしに考え、また自然的に考えることは時間と空間とともに考えることである。というのは、すべての自然的な思考の観念には時間と空間からの何らかのものがくっついています、けれども、何らかの霊的な観念にくっついていないからです。その理由は、霊界は自然界のように空間と時間の中になく、しかし、それらの二つの外観の中にあるからです。このことの中で思考と知覚もまた相違します。
 そのために、あなたがたは永遠からの、すなわち、世の創造前の神の本質と遍在について考えることができます。あなたがたは時間なしの神の本質について、また空間なしにその方の遍在について考えるので、またこのようにあなたがたは人間の自然的な観念を超えているようなものを把握します」。
 [10] またその時、私は、かつて私が永遠からの神の本質と遍在について、すなわち、世の創造の前の神について、考えたことを、また私の思考の観念から時間と空間をまだ取り除くことができなかったので、神の代わりに然の観念が入ったので、私が悩まされたことを話した。しかし、私に言われた、「空間と時間の観念を取り除け、するとあなたは見る」。
 また、取り除くことが与えられ、私は見た。またその時から私は永遠からの自然ではまったくない永遠からの神を考えることができた。神はすべての時間の中に、時間なしに存在するからである。またすべての空間の中に、空間なしに、また自然はその時間と空間とともに始まらないことができない、けれども、神は〔そうしたことは〕ない、その者は空間と時間なしである。それゆえ、自然は神から、永遠からでなく、しかし、時間の中に、その時間と空間とともに一緒に存在する。
 
ウェルトゥムヌスは四季の推移の神、形の変化や変わりやすさの典型。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 23:36
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原典講読『真のキリスト教』 280(直訳[7]-[10])
(2) 直訳
[7.] His peractis dixi ad adstantes, "Ex his tribus experientiae documentis videtis quale est discrimen inter spirituale et naturale, et quoque causam cur naturalis homo non apparet spirituali, et spiritualis homo non naturali, tametsi uterque in perfecta forma humana est, et ex hac forma videtur ipsi sicut unus videret alterum; [7] れらで行なわれて、私は傍観者に言った、「これらの三つの経験からの証拠から、あなたは見る、霊的なものと自然的なものの間の相違がどんなものであるか、そしてまた、理由を、なぜ自然的な人間が霊的な〔人間〕に見られないか、また霊的な人間が自然的な〔人間に見られ〕ないか、それでも両者とも完全に人間の形である、またこの形そのものからある者が他の者のように見られる。
sed sunt interiora, quae mentis sunt, quae faciunt illam formam, ac mens spirituum et angelorum formata est ex spiritualibus et mens hominum, quamdiu in mundo vivunt, ex naturalibus." しかし、内的なものであるそれらはするそれらがそのをつくるそして天使霊的ものから形作られている、また人間の心は、世の中に生きる間、自然的なものから〔形作られている〕」。
Post haec, audita est vox e superiori caelo ad quendam, qui adstitit, dicens, "Ascende huc;" これらの後、高天界からあるこえたそのはそばにっていた、言って、「ここへ上れ」。
et ascendit, et rediit, et dixit, quod angeli non prius noverint differentias inter spirituale et naturale, propter causam, quia non prius apud quendam hominem, qui in utroque mundo simul fuit, aliqua copia collationis data est, et differentiae illae absque collatione et relatione non noscibiles sunt. またったまたったまたった、天使以前霊的ものと自然的なものの間の相違を知らなかったこと、理由のために、以前にある人間のともに、そのものは両方の世界の中に同時にいた、比較の何らかの機会が与えられた、また比較と関係なしにその相違は知ることができないからである。
[8.] Antequam secessimus, iterum locuti sumus de hac re, et dixi, quod discrimina illa non aliunde existant, quam "quia vos in mundo spirituali, estis substantiales, et non materiales, ac substantialia sunt initia materialium: [8] 私たちが去る前に、再び、私たちはこの事柄について話した、また私は言った、「それらの相違は別の源泉からではない、以外の、「☆霊界の中のあなたがたは実体的であるので、物質的ではない、そして実体は物質の始まりである。
ここの引用符はその前に移動する方がよいと思えます。
quid materia nisi congregatio substantiarum?  物質は実体の集まりでないなら何か?
Vos itaque estis in principiis, et sic in singularibus, nos autem in principiatis et compositis; そこで、あなたがたは始まり(基本物質)の中にいる、またこのように個々のもの(特定のもの、限られたもの)の中に、けれども、私たちは(最初の原理からの)派生物の中にない、また合成物(いろいろな要素を含むもの)
vos estis in particularibus, nos autem in communibus; あなたがたは個別のものの中にいる、けれども、私たちは共通の(全般的な)ものの中に。
et sicut communia non possunt intrare in particularia, ita nec possunt naturalia, quae sunt materialia, intrare in spiritualia, quae sunt substantialia; また共通の(全般的な)ものが個別のものの中に入ることができないように、そのように自然的なものはできない、それらは物質的なもの、霊的なものの中に入ること、それらは実体的なもの。
prorsus sicut funis nauticus non potest intrare seu traduci per foramen acus netorii, aut sicut nervus non potest induci in unam ex fibris, ex quibus ille est. まったく〜のように、船のロープが入るまたは導かれることができない、裁縫の針の穴を通って、または〜のように、神経が小繊維からの一つに引き入れられること、それらからそれが存在する。
Haec nunc causa est, quod naturalis homo non possit cogitare illa quae spiritualis homo, et inde nec loqui illa; そこで(さて)、これらが理由である、自然的な人間がそれを考えることができないこと、それらを霊的な人間は〔考える〕、またここから、それを話すことも〔でき〕ない。
quare Paulus illa quae audivit e tertio caelo vocat ineffabilia. それゆえ、パウロはそれらを、それらは第三の天界から聞いた、言い表わすことがものと呼んだ。
[9.] Accedit, quod spiritualiter cogitare sit absque tempore et spatio cogitare, et quod naturaliter sit cum tempore et spatio; [9] 追加の事実は☆、霊的に考えることは時間と空間なしに考えることである、また自然的に〔考える〕ことは時間と空間とともに。
accredit quod〜で「〜という事実がある、追加の事実は〜」の意味です。直訳は「〜ことを加える」
adhaeret enim omni ideae cogitationis naturalis aliquid e tempore et spatio, non autem alicui ideae spirituali; というのは、すべての自然的な思考の観念には時間と空間からの何らかのものがくっついているから、けれども、何らかの霊的な観念に〔くっついてい〕ない。
causa est, quia spiritualis mundus non est in spatio et tempore, sicut mundus naturalis, sed est in duorum istorum apparentia: 理由である、霊界は空間と時間の中にないので、自然界のように、しかし、それらの二つの外観の中にある。
in hoc differunt etiam cogitationes et perceptiones. この(ことの)中で☆思考と知覚もまた相違する。
in hocだけではわかりづらいと思います。霊界と自然界の違いは、空間と時間のある、なしであり、思考や知覚もその相違を前提としているので、当然、異なってくる、ということです。
Quapropter vos potestis cogitare de Dei essentia et omnipotentia ab aeterno, hoc est, de Deo ante creationem mundi, quia cogitatis de Dei essentia absque tempore, et de Ipsius omnipotentia absque spatio, et sic comprehenditis talia, quae ideas naturales hominis transcendunt." そのために、あなたがたは永遠からの神の本質と遍在☆について考えることができる、すなわち、世の創造前の、あなたがたは時間なしの神の本質について考えるので、また空間なしにその方の遍在☆について、またこのようにあなたがたはこのようなものを把握します、それらは人間の自然的な観念を超えている」。
ここに二箇所、ちょっと考えられないようなミスプリがあります。omipraesentiaomnipotentia(全能)と取り違えていることです! 初版ではちゃんとomnipraesentiaとなっています。
[10.] Et tunc narravi, quod semel cogitaverim de Dei essentia et omnipraesentia ab aeterno, hoc est, de Deo ante creationem mundi, et quod quia nondum potui removere spatia et tempora ab ideis cogitationis meae, anxius factus sum, quoniam intravit idea naturae pro Deo; [10] またその時、私は話した、かつて私が永遠からの神の本質と遍在について考えたこと、すなわち、世の創造の前の神について、また私の思考の観念から時間と空間をまだ取り除くことができなかったので、私は悩まされた(不安になった)こと、神の代わりに(として)然の観念が入ったので。
sed dictum mihi est, "Remove ideas spatii et temporis, et videbis." しかし、私に言われた、「空間と時間の観念を取り除け、また(すると)あなたは見る」。
Et datum est removere, et vidi; また、取り除くことが与えられた、また私は見た。
et ab illo tempore potui cogitare Deum ab aeterno, et prorsus non naturam ab aeterno, quia Deus in omni tempore est absque tempore, et in omni spatio est absque spatio, natura autem in omni tempore est in tempore, et in omni spatio est in spatio, et natura cum suo tempore et spatio non potuit non inchoare, non autem Deus, qui est absque tempore et spatio: またその時から私は永遠からの神を考えることができた、また永遠からの自然ではまったくない、神はすべての時間の中に、時間なしに存在するからである、またすべての空間の中に、空間なしに、また自然はその時間と空間とともに始まるらないことができない、けれども、神は〔そうしたことは〕ない、その者は空間と時間なしである。
quare natura a Deo est, non ab aeterno, sed in tempore una cum suo tempore et spatio. それゆえ、自然は神から存在する、また永遠からでない、しかし、時間の中に、その時間と空間とともに一緒に。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 22:00
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原典講読『真のキリスト教』 280(直訳[5][6])
(2) 直訳
[5.] Tunc quia adstantes non voluerunt comprehendere quod spiritualis cogitatio in tantum excederet cogitationem naturalem, ut sit respective ineffabilis, dixi illis, "Facite experientiam, intrate, in societatem vestram spiritualem, et cogitate aliquam rem, ac retinete illam, et redite, et coram me expromite illam." [5] その時、そばに立っている者が把握することを欲しなかったので、霊的な思考がこんな程度に自然的な思考にすぐれる(まさる)こと、比較すれば(相対的に)い表わすことができないように、私は彼らに言った、「経験を行なえ、入れ、あなたがたの霊的な社会の中へ、また何らかの事柄を考えよ、そしてそれらを心にとどめよ、また戻れ、また私の前にそれらを表わせ(述べよ)」。
Ac intraverunt, cogitaverunt, retinuerunt, exiverunt, et cum exprimerent rem cogitatam, non potuerunt, non enim invenerunt ullam ideam cogitationis naturalis adaequatam alicui ideae cogitationis pure spiritualis; そして彼らは、入った、考えた、心にとどめた、また思考の事柄を表わす(述べる)とき、できなかった、というのは、自然的な思考の観念を何も見出さなかった(考え出さなかった)から、何らかの純粋な霊的な思考の観念に釣り合った(ふさわしい)。
ita non aliquas voces exprimentes illam, nam ideae cogitationis fiunt voces loquelae; そのようにそれらを表わす(述べる)何らかのことばがない、なぜなら、思考の観念は話しのことばを生ずる(になる)からである。
et postea reintrabant, et redibant, et confirmabant se, quod ideae spirituales essent supranaturales, inexpressibiles, ineffabiles, et incomprehensibiles naturali homini: また再び入った、また戻った後、また確信した、霊的な観念は超自然的で、言い表せない者、言葉にできないものあったこと、また自然的な人間に理解できない。
et quia tam supereminentes sunt, dicebant quod spirituales ideae seu cogitationes respective ad naturales essent ideae idearum, et cogitationes cogitationum, et quod ideo per illas exprimerentur qualitates qualitatum, et affectiones affectionum; またこれほどに卓越したものであるので、彼らは言った、霊的な観念または思考は自然的なものに比べて(相対的に)観念の観念、また思考の思考であること、またそれらによって性質の性質が、また情愛の情愛が表わされること。
consequenter quod cogitationes spirituales essent initia ac origines cogitationum naturalium: したがって、霊的な思考は自然的な思考の始まりそして起源であったこと。
inde etiam patuit, quod sapientia spiritualis esset sapientia sapientiae, ita inexpressibilis alicui sapienti in naturali mundo, ここからもまた明らかである、霊的な知恵は知恵の知恵であったこと、そのように自然界の中のだれか知恵のある者に言い表せない。
[6.] Tunc dictum est e caelo superiori, quod adhuc sit sapientia interior seu superior, quae vocatur caelestis, cujus respectus ad sapientiam spiritualem, similis est respectui hujus ad naturalem; [6] その時、さらに上の天界から言われた、さらに、内的なまたはさらに上の知恵があること、それは天的な者と呼ばれる、霊的な知恵へのその関係は、自然的な〔知恵〕へのこの関係と同様である。
et quod hae in ordine secundum caelos influant ex Divina Domini Sapientia, quae est infinita. またこれらは天界にしたがった順序の中で主の神的な知恵から流入する、それは無限である。
Ad haec dixit vir loquens mecum, "Hoc video, quia percepi, quod una idea naturalis sit continens plurium idearum spiritualium; これに私と話してる男が言った、「このことを私は見る、私は知覚したので、一つの自然的な観念を多くの霊的な観念の容器であること。
et quoque quod una idea spiritualis sit continens plurium idearum caelestium; そしてまた、一つの霊的な観念は多くの天的な観念の容器であること」。
ex his fit etiam hoc consequens, quod divisum non fiat plus et plus simplex, sed plus et plus multiplex, quia propius et propius accedit ad Infinitum, in quo infinite omnia sunt." これらからもまたこの結果が生じる、分割したものはさらにまたさらに単純なものとならない、しかし、さらにまたさらに多種多様なもの(複合体)〔となる〕、無限へとさらに近くまたさらに近く近づくからである、その中にすべてのものが無限にある」。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 23:04
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原典講読『真のキリスト教』 280(直訳[4])
(2) 直訳
[4.] Postea rogavi illum et circumstantes, ut intrarent ad suos, et scriberent aliquam sententiam super charta, et cum charta illa exirent ad me, et legerent. [4] その後、私は彼と周りに立つ者を頼んだ(お願いした)、自分のところに入るように、また何らかの意見(文☆)を紙の上に書く、またその紙とともに私のところに出て行く、また読む。
『レキシコン』には載っていませんでしたが、「短い文、命題」の意味があるとわかります。
Fecerunt ita, et redierunt cum charta in manu: 彼らはそのように行なった、また手の中の紙とともに戻った。
at cum legerent, non potuerunt, quoniam scriptura illa constabat modo ex aliquibus litteris alphabeticis cum strophis supra, quarum unaquaevis aliquem sensum rei significabat: しかし、彼らが読んだとき、その書いたものはただ上にねじれ(渦巻き)ある何らかのアルファベットの文字から構成されていた、それら(ねじれ)のそれぞれは事柄の何らかの意味を意味していた。
quia unaquaevis littera in alphabeto significat ibi aliquem sensum, patet unde est, quod Dominus dicatur "Alpha et Omega." アルファベットの中のそれぞれの文字はそこに何らかの意味を意味するので、そこから明らかである、主が言われること「アルファとオメガ」。
Cum illi iterum et iterum intrarent, scriberent, et redirent, comperti sunt, quod scriptura illa involveret et comprehenderet innumera quae nusquam aliqua scriptura naturalis posset exprimere; 彼らは再びまた再び、入った、書いた、また戻った、その書いたものは無数のものを含む、またつかんでいる(包含している)、それらを決して何らかの自然的な書いたものは表わすことができない。
et dictum est, quod hoc sit, quia spiritualis homo cogitat incomprehensibilia et ineffabilia naturali homini, et quod haec in aliam scripturam et in aliam linguam inferri nequeant. また言われた、このことであること、霊的な人間は自然的な人間に〔とって〕理解できないものと言い表わすことができないものを考えているからであること、またこれらを何らかの書いたものと何らかの言語の中に持ち込むことができないこと。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 23:23
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原典講読『真のキリスト教』 280(直訳[2][3])
(2) 直訳
[2.] Ille cum audivit discrimen inter spirituale et naturale, dixit, "Quid discrimen? [2] 彼は、霊的なものと自然的なものの間の相違を聞いたとき、言った、「何が相違か?
Estne id sicut inter purum magis et minus? それは純粋なものの間のようであるのか? 多いまた少ない。
ita quid spirituale nisi purius naturale?" そのように、自然的なものの純粋なものでないなら霊的な物とは何か?」
Et respondi, "Discrimen non tale est; また、私は答えた、「相違はそのようなものでない。
naturale nusquam per subtilisationem potest approximare ad spirituale ita ut fiat illud, est enim discrimen quale inter prius et posterius, inter quae ratio finita non datur; 自然的なものは決して昇華(純化作用)によって霊的なものに近づくことができない、そのようにそれ(のように)なる、というのは相違は前のものと後ろのものの間のようであるから、それらの間に有限な比率は存在しない。
est enim prius in posteriori, sicut causa in suo effectu, ac posterius est ex priori, ut effectus ex sua causa; というのは、前のものは後ろのものの中にあるから、原因がその結果の中に〔ある〕ように、そして後ろのもの前のものから存在する、結果がその原因から〔存在する〕ように。
inde est, quod unum non appareat alteri." ここからである、一つのものはもう一つのものに見られない。
Ad haec dixit ille sapiens, "Meditatus sum de hoc discrimine, sed huc usque in vanum; これに、その賢明な者は言った、「私はこの相違について熟考した、しかし、この点まで(それでも)、むだ(空しい)
utinam id percepero." それを私が知覚させてもられるとよいのに」。
Et dixi, "Non modo discrimen inter spirituale et naturale percipies, sed etiam videbis." また、私は言った、「あなたは霊的なものと自然的なものの間の相違を知覚するだけでない、しかしさらにまた見る」。
Et tunc dixi haec: またその時、私はこれらを言った――
"Tu es in statu spirituali dum apud tuos, at in statu naturali apud me; 「あなたは霊的な状態の中にいる、あなたがたのもとに〔いる〕時、しかし、自然的な状態の中に〔いる〕、私のもとで」
loqueris enim cum tuis lingua spirituali, quae est communis omni spiritui et angelo, at cum me loqueris lingua mea vernacula; というのは、あなたはあなたがたの霊的な言語で話すから、それはすべての霊と天使に共通である、しかし、私とあなたは私の母語で話す。
nam omnis spiritus et angelus loquens cum homine loquitur ejus linguam propriam, ita cum Gallo Gallicam, cum Graeco Graecam, cum Arabe Arabicam, et sic porro. なぜなら、すべての霊と天使は人間と話すとき、彼の固有の言語で話すからである、そのようにフランス人とフランス語で、ギリシア人とギリシア語で、アラビア人とアラビア語で、等々。
[3.] Ut itaque scias discrimen inter spirituale et naturale quoad linguas, fac ita; [3] そこで、あなたが言語に関して霊的なものと自然的なものの間の相違を知るために、このように行なえ。
intra ad tuos, et loquere aliquid ibi, ac retine voces, et cum his in memoria redi, et coram me enuntia illas." あなたがたへ入れ、またそこで何かを話せ、そして音声を保有せよ(心に保存せよ)、またこれらをともに記憶の中に戻れ、また私の前にそれらを発声せよ。
Ac fecit ita, et rediit ad me cum vocibus illis in ore, et effatus est illas, et erant voces prorsus alienae et peregrinae, quae non dantur in aliqua lingua mundi naturalis; そしてそのように行なった、また私のところに口の中のそれらの言葉とともに戻った、またそれは発言された(effort)、また音声はまったく異なる(異質)またよそ者(奇妙)であった、それは自然界の中の何らかの言語の中に存在しない。
per hanc experientiam aliquoties iteratam clare patuit quod omnibus in mundo spirituali sit lingua spiritualis, quae nihil commune cum aliqua lingua naturali obtinet, et quod omnis homo in illam linguam post obitum ex se veniat. 数回繰り返されたこの経験によって、はっきりと明らかになった、霊界の中のすべての者に霊的な言語があること、それは何らかの自然的な言語と共通なものを何も得ていない、またすべての人間はその言語の中に、死後、自分自身からやって来ること。
Semel etiam expertus sum, quod ipse sonus linguae spiritualis a sono linguae naturalis differet in tantum ut sonus spiritualis etiam altus ne hilum audiretur ab homine naturali, nec sonus naturalis ab homine spirituali. かつて、私もまた経験から学んだ、霊的な言語の音声そのものが自然的な言語の音声からこれだけ異なっていること、霊的な大きな音声もまた少しも自然的な人間から聞かれないように、自然的な音声も霊的な人間から〔聞かれ〕ない。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第4章, 23:02
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