RSS | ATOM | SEARCH
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[11]と訳文)
(2) 直訳
[11.] His dictis adplaudebant multi, sed aliqui dicebant, "Expendemus." [11] これらで聞いて、多くの者は拍手喝さいした、しかし、ある者たちは言った、「私たちは熟考する(した)」。
Ego tunc abivi domum; 私は、その時、家を(へ)立ち去った。
et ecce super gymnasio illo, loco prioris meteori apparuit nubes candida absque striis seu radiis inter se dimicantibus; また見よ、その(高等)学校の上方に、以前の大気現象に代わって白く輝く雲が見られた、細い帯または光線なしに、互いに争って(闘う)。
quae nubes penetrans tectum intravit, ac illustravit parietes; その雲が屋根を貫通して入った、そして壁を照らした。
et audivi, quod viderint scripturas, ac inter alias etiam hanc, また、私は聞いた、彼らが書かれたものを見ていること、そして他のものの間にこれもまた〔見た〕、
 
"Jehovah Deus ....inspiravit in nares hominis Animam vitarum, et factus est homo in Animam viventem" (Gen. ii. 7). 「神エホバが……人間の鼻の中にいのちを息(霊魂)を吹き込んだ、また人間は生きている霊魂になった」(創世記2:7)
 
@1 vi. (cum exemplo Auctoris,) pro “v.” 注1 v.」の代わりにvi(著者の本(写し)に)
@2 12 (cum exemplo Auctoris,) pro “11” 注2 11」の代わりに12(著者の本(写し)に)
@3 13 (cum exemplo Auctoris,) pro “14” 注3 14」の代わりに13(著者の本(写し)に)
@4 37 (cum exemplo Auctoris,) pro “3” 注4 3」の代わりに37(著者の本(写し)に)
 
(3) 訳文
697. 第六のメモラビリア――
 
 かつて私から遠くない〔ところに〕私は大気現象を見た――私は小さい雲に分かれた雲を見た、それらのあるものは空色、またあるものは暗い色。また私は、互いに戦っているようなものを見た。細い帯の光線がそれらを輝き貫いき、それはある時は切っ先のように鋭く、ある時は折れた剣のように鈍く見えた。それらの光線はある時は向かい合って伸び、ある時はそれ自体の中に(それ自体を)っ込め、完全に拳闘家たちのよう〔であった〕。そのようにそれらのいろいろな色の小さな雲は、互いに闘っていた〔ように〕見えた、しかし、遊んでいた。
また、この大気現象は私から遠くない〔ところに〕見られたので、私は目を上げた、そして〔目の〕鋭さを注いだ、また私は、少年、若者、老人を、家の中に入っている者たちを見た、その家は大理石から、土台は班岩から造られていた。この家の上方にその現象があった。
 またその時、入っていく者たちからのある者に話しかけて、私は質問した、「ここに何が?」また答えた、「学校である、そこで若者たちが知恵に属するいろいろなものの中で手ほどきされる」。
 [2] 私はこれを聞いて、彼らと入った。私は霊の中に、すなわち、、その中に霊界の人間がいる、その者は霊と天使たちと呼ばれる、それと似た状態の中にいた――また見よ、その学校の中に前部に特別席が、真ん中に長椅子、脇に、まわりに座席、また入り口の上方に天井さじき(貴賓席)☆1が見られた。特別席☆2は、示されようとしている〔機会、場合に〕そ討議の議題に答える若者のためにあった長椅子は聴衆のために、脇の座席は以前に賢明に答えた者のために、また天井さじき(貴賓席)は判断し、判定する者である長老のためにあった。天井さじき(貴賓席)の中央に演壇かあった、そこに賢明な男が座っていた、その者を校長と呼んだ、その者は討議の議題を示した、それへ特別席の若者が答える。
またその後、〔彼らが〕集められ、演壇から男が立ち上がり、言った、「答えよ、今、私は『何が霊魂か、またその性質(どんなものか)?』この討議の議題に向けて尋ねる、また、もしあなたがたができるなら、それを解け」。
 [3] これらを聞いて、すべての者は驚いた、また(不平を)つぶやいた、また長椅子の上の集団からある者は叫んだ、「人間のだれが黄金時代(サートゥルヌスの時代)らこの私たちの時代まで、何が霊魂か、またさらにましてその性質を(それがどんなものか)理性のどんなものも思考で見ることまた把握することができたか? 
 これはすべての者の理解力のスフェア(領域)の上にあるのではないか?」
 しかし、これらに天井さじき(貴賓席)から言い返された、「これは理解力の上方にない、しかし、その中に、またその前に〔ある〕。ただ(単に)答えよ」。
 また、特別席にあがり、討論の議題に答える若者たちが、その日に選ばれて、立ち上がった。五人いた、その者は長老たちにより探し出され、そして、賢明を賦与されている者〔であると〕見つけられ、またその時、座席の脇に、列の上に座っている〔者であった〕。またこれらの者はその後、順にのぼって、その上に座った。まただれもがのぼるとき、オパールのような色の絹でできたシャツを、またその上に柔らかな羊毛のトーガを着せられた、それに花〔模様〕が織り込まれていた、またほかに帽子、そのてっぺんの上に小さいサファイアで取り囲まれたロザリオ〔のような飾り〕があった。
 [4] また私は、そのように着せられ、のぼる最初の者を見た、その者は言った、「霊魂とその性質は何か、創造の日からだれにも啓示されていない。神おひとりの宝庫の中の秘義である。
 しかし、霊魂は人間の中で女王のように住んでいることが明らかにされている――けれども、その宮殿がどこにあるか、学者たちは根拠を推測した。ある者は、大脳と小脳の間の小さな結節の中にあること〔を推測した〕、それは松果体と呼ばれる。この中に霊魂の座を想定した、その理由は、人間全体がこれらの二つの脳から統制されていて、またその結節がそれらを制御するからである。それゆえ、脳が意のままに制御する、これは人間全体もまた頭からかかとまで制御する」。
 また、言った、「ここから、このことは真理またはもっともらしいもののように世の中の多くの者に見られた、しかし、時代の後、このことは作り事として捨てられた」。
 [5] これを言い終わっ後、トーガ、シャツと帽子を脱いだ、それらを選ばれた者たちからの第二の者が受け入れ、そして座席に入った。
 霊魂について、天界全対の中に、また世全対の中に、霊魂とその性質が何か知られていないことの発言であった。
 「このことは、あること、また人間の中にあることが知られている、しかし、どこに〔あるの〕か推測されている。このことは、頭の中にあること確実がである、理解力(知力)がそこで考える、また意志がそこに意図する、また頭の中の正面方向に顔に、人間の五感があるので。これらやそれらに別の者は、頭の中の内部に住んでいる霊魂以外に、いのちを与えない、しかし、その集会所がそこにどこにあるか、あえて私は発言しない、しかし、私は彼らに同意した、その者はそれに脳の三つの脳室の中に、ある時にはそこの線条体の中に、ある時には両方の脳の髄質の中に、ある時には皮質の中に、ある時には硬膜の中に座を割り当てた。というのは、それぞれの座に対しての確信からの白色の小石☆3(=賛成票)を欠いていなかったから。
 脳の三つの脳室に対する〔賛成の〕小石(票)は、それらは霊魂精気と脳のすべてのリンパ液の容器であることであった。線条体に対する〔賛成の〕小石(票)は、これらは髄質をつくること、それによって神経が出る、またそれによって両方の脳が脊柱の中に続けられる、またこれから、またそれから繊維が突出する、それらから身体全体が構成されるからであった。両方の脳の髄質に対する〔賛成の〕小石(票)は、それがすべての繊維の集めることと積み重ねであること、それらは人間全体の最初の段階であるからであった。皮質に対する〔賛成の〕小石(票)は、そこに最初のものと最後のものの目的があること、またここからすべての繊維の始まり、またこのように感覚と運動〔がある〕からあった。硬膜に対する〔賛成の〕小石(票)は、それらは両方の脳の共通のおおいであること、またここからある連続(するもの)よってそれ自体を、心臓の上に、また身体の内臓の上に伸ばしているからであった。
 私に関しては、私は判断しない、あるものについてさらに、他のものについてよりも。あなたがたは、どうぞ、何が好ましいものか判断せよ、また選べ。
 [6] これらをって、座席からりたまた第三シャツトーガと帽子したその座席にのぼってこれらをした――
 「若者の私に、このように高尚な論証とともに何が〔あるのか〕?
私はここに脇へ座っている学者へ訴える、私は天井さじき(貴賓席)の中のあなたがた、賢明な者に訴える、それどころか、私は最高の天界の天使に訴える、だれが自分の理性的な光から霊魂について何らかの観念を自分自身に得ることができるのか。
 しかし、人間の中のその座について私は他の者のように(典拠確かに)表明することができる。また私は、心臓の中とここから血の中にあることを(典拠確かに)表明する。またこの私のものは(典拠確かに)表明される、心臓はその血によって身体と頭とを統制するからである。というのは、大動脈と呼ばれる大きな血管を全身の中に送り出す、そして頸動脈と呼ばれる血管を頭全体の中に送り出すから。ここから普遍的に同意されている、霊魂は心臓から血によって、(身体の)器官の全組織を、身体も頭も維持している、滋養物を与えている、生かしていること。この信念の主張に向けて、聖書の中に「霊魂と心臓(心)」がこれほど何度も言われているという事実がある、例えば、
 
 あなたは神を「全部の霊魂から、また全部の心(心臓)から」愛さなければならないこと。また神は人間の中に「新しい霊魂と新しい心(心臓)を」創造すること(申命記6:5、10:12、11:13、26:16、エレミヤ32:41、マタイ22:37、マルコ12:30, 33、ルカ10:27また他の箇所に)。そして、あからさまに、血は肉の霊魂であること(レビ記17:11, 14)」。
 
 これらを聞いて、ある者は、「学者らしい、学者らしい」と言って、声を上げた。聖職者からであった。
 [7] この後、この衣服第四、特別席に入って、言った――
「わたしもまた、何が霊魂か、またその性質が何か、吟味することができるような、だれかがこれほどに透徹したまた鋭利な才気がないことの疑念を抱く――それゆえ、私は思う、それ〔霊魂とその性質〕を調べることを欲する者のもとに、不必要な(余分な)精妙なもの(微妙な議論)浪費されている。しかしそれでも、子供時代から私は見解の信念の中にとどまった、その中に古代人はいた、人間の霊魂はその全体の中に、またこの全部の部分の中に、またこのように頭の中にも、またその個々のものの中に、身体の中にも、その個々のものの中にあること。また現代著述家によりされた空虚なことれにどこかに座を定めること、またどこでもなく。霊魂霊的実体でもあるそれについて拡大も場所も属性づけられない、しかし、住むことと充満〔が属性づけられる〕。
 さらにまた、霊魂のことを時、〔そのいのちは全部にまたどんなものでも部分にあるいのちをだれが理解しないか?」。
 これらをいて、講堂くの賛同した
 [8] この後、第五がったそして装飾って、特別席からこのこと()した――
 「霊魂がどこにあるか、何らかの部分にかあるいは全部のどこでもかうことをにしないしかし、私の蓄えと倉庫から私は、何が霊魂か、またその性質(どんなものか) このことについて心を開く。
 霊魂はある者により、純粋な何かのようにしか考えられていない、それはエーテルのまたは空気のまたは風になぞらえられる、その中に推理力からの生命力がある、それは人間に獣よりもある。
 この見解を私は、人間は最期の息を吐く時、霊魂または霊を息を吐き出すことまたは出すことが言われることの上に建てた。ここからもまた、死後に生きている霊魂はこのような息(発散気)あることが信じられている、その中に思考力のあるいのちがある、それは霊魂と呼ばれる。他の何が霊魂であることができるのか?
しかし、私は、霊魂についての討議の議題、霊魂は何か、その性質が〔何〕であるか、理解力の上方にない、しかし、その中に、またその前に〔ある〕ことを、天井桟敷(貴賓席)ら言っているのを聞いたので、私はこの永遠の秘義をあなたがた自身が明らかにするように求め、また願う」。
 [9] また、天井桟敷(貴賓席)の中の長老が討議の議題示した校長を覗き込んだその者は身振りから、下り、教えるように欲していることを理解した。また直ちに、彼は講壇から下り、講堂を通り抜け、また特別席に入り、またそこで手を伸ばして、言った。
「どうか、聞いてください。霊魂が人間の最内部の最も鋭敏な本質(エッセンス)とエッセ(存在)であることを、だれが信じないか? しかし、何らかの形なしの本質とは、創造の所産以外の何か?
それゆえ、霊魂は形である、しかし、形がどんなものであるか言われる。愛のすべてのものと知恵のすべてのものの形である。愛のすべてのものは情愛と呼ばれ、知恵のすべてのものは知覚と呼ばれる。それらからまたそれらとともにこれらは一つの形をつくる、その中に無数のものが一つの存在物(個体)と呼ばれることができるような秩序、連鎖と密着性の中にある。また、一つの存在物(個体)と呼ばれることができる、そのようなものであるために、ここから何らかのものを取り去ること、それへ何らかのものとを加えることもできないからである――このような形でないなら、何が人間の霊魂か? 愛のすべてのものと知恵のすべてのものがその形の本質的なものではないのか、またこれらが人間のもとに、霊魂の中にまた霊魂から、頭と身体の中にある。
 [10] あなたがたはや天使と呼ばれている。またあなたがたは世の中で、霊や天使は風またはエーテル、またこのように心とアニムス☆4のようであること信じた。また、今や、はっきりとあなたがたは、真に、実際に、事実上、人間であることを見る、その人間は、あなたがたが物質的な身体の中で生きた、また考えた世の中で、またあなたがたが、物質的な身体が生き、考えないと知った、しかしその身体の中の霊的な実体が〔生き、考えたと知った〕、またこれをあなたがたは霊魂と呼ぶ、またその形を知らなかった、またそれでも今や、あなたがたは見てきた、また見ている。
あなたがた、すべての者は霊魂であり、それらの不死性についてこのように多くのものを聞き、考え、言い、また書かれた。また、あなたがたは神からの愛と知恵の形であるので、永遠に死ぬことができない。
 そこで、霊魂は人間の形である、それについて少しも取り去ることができない、またそれに加えることもできない、そして最内部の形、身体全体のすべての形である。また外にある形は、最内部のものから本質と形とを受けるので、それゆえ、あなたがたは、あなたがたや私たちの前に見られているように、霊魂である。一言でいえば、霊魂は、最内部の人間であるので人間そのものであり、それゆえ、その形は十分に、完全に人間の形である。けれども、いのちではない、しかし、神からのいのちの最も近い容器、またこのように神の住まいである」。
 [11] これらを聞いて、多くの者は拍手喝さいした、しかし、ある者たちは言った、「私たちは熟考する」。
 私は、その時、家去った。また見よ、その)学校の上方に、以前の大気現象の場所に互いに争って(闘う) 細い帯または光線なしに白く輝く雲が見られた。その雲が屋根を貫通して入った、そして壁を照らした。また、私は書かれたものを見ていること聞いた、そして〔その書かれた〕他のものの間にこれもまた〔あった〕、
 
 「神エホバが……人間の鼻の中にいのちを息(霊魂)を吹き込まれた、人間は生きている霊魂になった」(創世記2:7)
 
 
☆1 古代ギリシアでは舞台前の合唱隊席をオーケストラと言い、その後、オペラが上演されるときの楽団席がオーケストラ席であり、ここからいわゆる管弦楽団を「オーケストラ」というようになりました。古代ローマ劇場では舞台前の「貴賓席」です。
 
2 「特別席」と意訳した原語cathedraは座席という意味ですが、単なる座席ではなく、正式な特別な座席です。通常は司教(主教)の席を意味します。その席が備わっている教会が「司教(主教)座教会」すなわち、カテドラル(大聖堂)となります。
 
3 古代では投票に小石を用いました、賛成が白石、反対が黒石です。ここでは「欠いていなかった」、とは、どれも「確信」からの賛意を得ていないこともなかった、すなわち、どれも、それなりに確信されていた、という意味です。
 
4 ここの心(mens)は特に「知的な心」を意味します、この意味で「知性」とも訳せます。アニムス(animus)は心でも特に「外的な、また自然的な心」を意味します。気質、性格とも訳せます。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 01:51
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[9],[10])
(2) 直訳
[9.] Et seniores in orchestra inspexerunt archididascalum, qui illud problema proposuerat, qui ex nutibus intellexit, quod vellent ut descenderet et doceret; [9] また、天井桟敷(貴賓席)の中の長老が上級の教師(校長)を熟視した(覘き込んだ)、その者は問題(討議の議題)を提出した(示した)、その者は身振りから理解した、下り、教えるように欲していること。
et actutum ille ex suggestu descendit, pertransivit auditorium, et ingressus est cathedram, et ibi exporrigens manum dixit. また直ちに、彼は講壇から下った、講堂を通り抜けた、また座席に入った、またそこで手を伸ばして、言った。
"Auscultate quaeso; 「聞け、どうぞ。
quis non credit Animam esse intimam et subtilissimam essentiam hominis? だれが信じないか、霊魂が人間の最内部の最も鋭敏な(微細な)本質(エッセンス)のエッセ(存在)であること?
at quid essentia absque forma aliud quam ens rationis? しかし、何らかの形なしの本質とは何か、創造の所産以外の?
quare anima est forma, sed qualis forma dicetur; それゆえ、霊魂は形である、しかし、形がどんなものであるか言われる。
est forma omnium amoris et omnium sapientiae; 愛のすべてのもの形と知恵のすべてのものの〔形〕である。
omnia amoris vocantur affectiones, et omnia sapientiae vocantur perceptiones; 愛のすべてのものは情愛と呼ばれる、また知恵のすべてのものは知覚と呼ばれる。
hae ex illis et sic cum illis faciunt unam formam, in qua innumerabilia in tali ordine, serie et cohaerentia sunt, ut vocari possint unum; それらからまたそれらとともにこれらは一つの形をつくる、その中に無数のものがこのような秩序、系列(連鎖)と密着性(整合性)の中にある、一つの存在物(個体)と呼ばれることができるような。
et vocari possunt unum, quia non potest inde aliquid auferri, nec ad illud aliquid addi, ut sit talis: また、一つの存在物(個体)と呼ばれることができる、ここから何らかのものを取り去ることできないからである、それへ何らかのものとを加えることも、そのようなものであるために――
quid anima humana nisi talis forma? 何が人間の霊魂が、このような形でないなら?
suntne omnia amoris et omnia sapientiae essentialia illius formae, et haec apud hominem sunt in anima et ex anima in capite et corpore. 愛のすべてのものと知恵のすべてのものがその形の本質的なものではないのか、またこれらが人間のもとにある、霊魂の中にまた霊魂から、頭と身体の中に。
[10.] Vos vocamini spiritus et angeli; [10] あなたがたは、(あなたがたは)や天使と呼ばれている。
et credidistis in mundo, quod spiritus et angeli sit sicut venti aut aetheres, et sic mentes et animi; またあなたがたは世の中で信じた、霊や天使は風またはエーテルのようであること、またこのように心とアニムス☆。
mensは心でも特に「知的な心」を意味します、この意味で「知性」とも訳せます。animusは心でも特に「外的な、また自然的な心」を意味します。気質、性格とも訳せます。
et nunc clare videtis, quod vere, realiter et actualiter sitis homines, qui in mundo vixistis et cogitavistis in materiali corpore, et scivistis quod corpus materiale non vivat et cogitet, sed substantia spiritualis in illo corpore, et hanc vocavistis animam, cujus formam nescivistis, et tamen nunc vidistis et videtis illam: また、今や、はっきりとあなたがたは見る、真に、実際に、事実上、人間であること、その者は世の中で、あなたがたが物質的な身体の中で生きた、また考えた、またあなたがたが知った、物質的な身体が生き、考えない、しかしその身体の中の霊的な実体が〔生き、考えた〕、またこれをあなたがたは霊魂と呼ぶ、またその形を知らなかった、またそれでも今や、あなたがたは見てきた、また見ている。
vos omnes estis animae, de quarum immortalitate tam multa audivistis, cogitavistis, dixistis et scripsistis; あなたがた、すべての者は霊魂である、それらの不死性についてこのように多くのものを聞いた、考えた、言った、また書いた。
et quia estis formae amoris et sapientiae a Deo, non potestis mori in aeternum. また、あなたがたは神からの愛と知恵の形である、永遠に死ぬことができない。
Anima itaque est forma humana, de qua ne hilum potest auferri, et ad quam ne hilum potest addi, ac est intima forma omnium formarum universi corporis; そこで、霊魂は人間の形である、それについて少しも取り去ることができない、またそれに加えることもできない、そして最内部の形である、身体全体のすべての形の。
et quia formae quae extra sunt ab intima accipiunt et essentiam et formam, ideo estis, sicut apparetis coram vobis et nobis, animae; また形は、それは外にある、最内部のものから本質と形とを受けるので、それゆえ、あなたがたは、あなたがたや私たちの前に見られているように、霊魂である。
verbo anima est ipse homo, quia est intimus homo, quare ejus forma est plene et perfecte forma humana; 一言でいえば、霊魂は人間そのものである、最内部の人間であるので、それゆえ、その形は十分に(まったく)完全に人間の形である。
verum non est vita, sed est proximum receptaculum vitae a Deo, et sic habitaculum Dei." けれども、いのちではない、しかし、神からのいのちの最も近い容器である、またこのように神の住まい」。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 23:05
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[8])
(2) 直訳
[8.] Post hunc surrexit quintus, ac iisdem insignibus ornatus, e cathedra edidit hoc: [8] この後、第五の者が立ち上がった、そして同じ装飾(目立つもの)飾って、座席からこのことを(声を)出した――
"Non moror dicere ubi est anima, num in aliqua parte, vel num ubivis in toto; 「言うことを私は愚図くずしない(延ばさない、気にしない)、霊魂がどこにあるか、何らかの部分の中にか、あるいは全部の中のどこでもか。
sed ex meo promo et condo aperiam mentem de hoc, quid anima et qualis illa. しかし、私の蓄えと倉庫から私はこのことについて心を開く、何が霊魂か、またその性質(どんなものか)
Anima non cogitatur ab aliquo, nisi sicut purum quid, quod assimilari potest aetheri aut aeri aut vento, in quo vitale est ex rationalitate, quae homini est prae bestiis. 霊魂はある者により考えられていない、純粋な何かのようにでないなら、それはエーテルのまたは空気のまたは風になぞらえられる、その中に推理力からの生命力がある、それは人間に獣よりもある。
Opinionem hanc fundavi super hoc, quod homo dum exspirat, dicatur efflare seu emittere animam seu spiritum; この見解を私はこのことの上に建てた、人間は最期の息を吐く時、霊魂または霊を息を吐き出すことまたは出すことが言われること。
inde etiam anima post mortem vivens creditur esse talis halitus, in quo est vita cogitativa, quae vocatur anima; ここからもまた、死後に生きている霊魂はこのような息(発散気)あることが信じられている、その中に思考力のあるいのちがある、それは霊魂と呼ばれる。
quid aliud potest anima esse? 他の何が霊魂であることができるのか?
Sed quia audivi ex orchestra dicentes, quod problema de anima, quid illa et qualis illa est, non sit supra intellectum, sed in illo et coram illo, rogo et precor, ut aeternum hoc arcanum vos ipsi aperiatis." しかし、私は天井桟敷(貴賓席)ら言っているのを聞いたので☆、霊魂についての問題(討議の議題)、それは何か、その性質が〔何〕であるか、理解力の上方にない、しかし、その中に、またその前に〔ある〕こと、私は求める(懇願する)また願う(祈る)、この永遠の秘義をあなたがた自身が明らかにするように」。
このquiaが「原文」のところでquaとなっていました。訂正します。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 00:52
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[7])
(2) 直訳
[7.] Post haec quartus hujus vestibus indutus, et ingressus cathedram, dixit: [7] この後、この衣服第四また座席に入って、言った――
"Suspicor etiam ego, quod non aliquis tam subtili et limato ingenio sit, ut dispicere possit quid anima, et qualis illa: 「わたしもまた疑念を抱く、だれかがこれほどに鋭い(透徹した)また鋭利な知力(才気)がないことないこと、吟味することができるような、何が霊魂か、またその性質が――
quare arbitror, quod apud illum, qui vult rimari illam, subtilitas supervacuis teratur; それゆえ、私は思う、彼のもとに、その者はそれ〔霊魂とその性質〕を調べることを欲する、不必要な(余分な)精妙なもの(微妙な議論)浪費されている。
sed usque a pueritia permansi in fide sententiae, in qua fuerunt antiqui, quod anima hominis sit in ejus toto, et in hujus omni parte, et sic quod tam in capite et in singulis ejus, quam in corpore et in singulis ejus; しかしそれでも、子供時代から私は見解の信仰(信念)の中にとどまった、その中に古代人はいた、人間の霊魂はその全体の中にあること、またこの全部の部分の中に、またこのように頭の中にも、またその個々のものの中に、身体の中にも、その個々のものの中に。
et quod vanum a neotericis inventum fuerit, designare ei sedem alicubi, et non ubivis; また現代著述家によりされた空虚なことれにどこかに座を定めること、またどこでもなく。
est quoque anima substantia spiritualis, de qua non praedicatur extensio nec locus, sed habitatio et impletio. 霊魂霊的実体でもあるそれについて拡大も場所も属性づけられない、しかし、住むことと充満〔が属性づけられる〕。
Quis etiam non intelligit vitam, dum nominat animam, estne vita in toto et in qualibet parte?" さらにまただれがいのちを理解しないか? 霊魂のことを言う時、〔その〕いのちは全部の中にまたどんなものでも部分にあるのではないか」。
His dictis favebant multi in auditorio. これらで聞いて、講堂の中の多くの者が賛同した。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 03:38
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[6])
(2) 直訳
[6.] His dictis e cathedra descendit, et tradidit tertio tunicam, togam, et pileum, qui scandens cathedram locutus est haec: [6] これらでって、座席からりたまた第三シャツトーガと帽子したその座席にのぼってこれらをした――
"Quid mihi juveni cum tam sublimi theoremate? 「何が〔あるのか〕私に若者に、このように高尚な論証とともに?
Provoco ad eruditos sedentes hic ad latera, provoco ad sapientes vos in orchestra, immo provoco ad supremi caeli angelos, num quisquam ex sua rationali luce potest aliquam de anima ideam sibi sumere. 私はここに脇へ座っている学者へ訴える、私は天井さじき(貴賓席)の中のあなたがた、賢明な者に訴える、それどころか、私は最高の天界の天使に訴える、だれが自分の理性的な光から霊魂について何らかの観念を自分自身に得ることができるのか。
At de sede ejus in homine possum ego sicut alii vaticinari; しかし、人間の中のその座について私は他の者のように(典拠確かに)表明することができる。
et vaticinor quod sit in corde et inde in sanguine; また私は(典拠確かに)表明する、心臓の中とここから血の中にあること。
et hoc meum vaticinium est, quia cor sanguine suo regit et corpus et caput; またこの私のものは(典拠確かに)表明される、心臓はその血によって身体と頭とを統制するからである。
emittit enim magnum vas aorta vocatum in universum corpus, ac emittit vasa carotides vocata in universum caput; というのは、大動脈と呼ばれる大きな血管を全身の中に送り出すから、そして頸動脈と呼ばれる血管を頭全体の中に送り出す。
inde universalis consensus est, quod anima ex corde per sanguinem sustentet, nutriat, vivificet universum systema organicum et corporis et capitis: ここから普遍的に同意されている、霊魂は心臓から血によって維持している、滋養物を与えている、生かしている、(身体の)器官の全組織を、身体も頭も。
ad fidem hujus assertionis accedit, quod in Scriptura Sacra toties dicatur `Anima et cor' ut この信仰(信念)の主張に向けて〜という事実がある、聖書の中にこれほど何度も言われている「霊魂と心臓(心)」例えば、
Quod amaturus sis Deum 'ex tota anima et ex toto corde;' あなたは神を愛さなければならないこと「全部の霊魂から、また全部の心(心臓)から」
et quod Deus creet in homine 'novam animam et novum cor' (Deut. [1]vi. 5; x. [2]12; xi. [3]13; xxvi. 16; Jerem. xxxii. 41; Matth. xxii. [4]37; Marc. xii. 30, 33; Luc. x. 27 et alibi). また神は人間の中に創造すること「新しい霊魂と新しい心(心臓)を」(申命記6:5、10:12、11:13、26:16、エレミヤ32:41、マタイ22:37、マルコ12:30, 33、ルカ10:27また他の箇所に)。
Ac aperte quod sanctis sit anima carnis (Levit. xvii. 11, 14)." そして、公然と(あからさまに)は肉の霊魂であること(レビ記17:11, 14)」。
His auditis aliqui extulerunt vocem, dicentes, "Docte, docte;" これらで聞いて、ある者は声を上げた、言って、「学者らしい、学者らしい」。
erant ex canonicis. 聖職者からであった。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 11:47
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[5])
(2) 直訳
[5.] Postquam haec dixerat, exuit togam, tunicam et pileum, quae secundus ex electis assumpsit, ac intravit cathedram. [5] これを言い終わった(過去完了)後、トーガ、シャツと帽子を脱いだ、それらを選ばれた者たちからの第二の者が受け入れた、そして座席に入った。
Hujus enuntiatum de anima erat, quod in universo caelo et in universo mundo nesciatur quid anima et qualis illa; 霊魂についてこの発言であった、全天界の中に、また全世(界)の中に、霊魂とその性質が何か知られていないこと。
"hoc scitur, quod sit, et quod in homine sit, sed ubi, divinatur; 「このことは知られている、あること、また人間の中にあること、しかし、どこにか推測されている。
hoc certum est, quod sit in capite, quoniam intellectus ibi cogitat, et voluntas ibi intendit, et antrorsum in capitis facie sunt quinque hominis sensoria; このことは確実である、頭の中にあること、理解力(知力)がそこで考えるので、また意志がそこに意図する、また頭の中の正面方向に顔に、人間の五感がある。
his et illis non aliud dat vitam quam anima quae intus in capite residet, at ubinam ejus curia est ibi, non ausim effari, sed consensi cum illis qui ei assignarunt sedem in tribus ventriculis cerebri, nunc cum illis qui in corporibus striatis ibi, nunc cum illis qui in substantia medullari utriusque cerebri, nunc cum illis qui in substantia corticali, nunc cum illis qui in dura matre; これらやそれらに別の者はいのちを与えない、霊魂以外に、それは頭の中の内部に住んでいる、しかし、その集会所がそこにどこにあるか、あえて私は発言しない、しかし、私は彼らに同意した(consentio)、その者はそれに脳の三つの脳室の中に座を割り当てた、ある時にはそれらに、それはそこに線条体の中に、ある時にはそれらに、それは両方の脳の髄質の中に、ある時にはそれらに、それは皮質の中に、ある時にはそれらに、それは硬膜の中に。
non enim defuerunt calculi sicut albi ex confirmationibus pro unaquavis sede. というのは、(投票用の)小石を欠いていなかったから(desum)、白色のような☆、それぞれの座に対して確信からの。
古代では投票に小石を用いました、賛成が白石、反対が黒石です。ここでは「欠いていなかった」、とは、どれも「確信」からの賛意を得ていないこともなかった、すなわち、どれも、それなりに確信されていた、という意味です。
Calculi pro tribus ventriculis in cerebro, fuerunt, quod illi sint receptacula spirituum animalium et lympharum omnium cerebri: 脳の三つの脳室に対する〔賛成の〕小石(票)は、であった、それらは霊魂精気と脳のすべてのリンパ液の容器であること。
calculi pro corporibus striatis fuerunt, quod haec faciant medullam per quam exeunt nervi, et per quam utrumque cerebrum continuatur in spinam, et ex hac et ex illa emanant fibrae ex quibus totum corpus contextum est:  線条体に対する〔賛成の〕小石(票)は、であった、これらは髄質をつくること、それによって神経が出る、またそれによって両方の脳が脊柱の中に続けられる、またこれから、またそれから繊維が突出する、それらから身体全体が構成される(編むかのように作られる)
calculi pro substantia medullari utriusque cerebri fuerunt, quod illa sit collectio et congeries omnium fibrarum, quae sunt initiamenta totius hominis: 両方の脳の髄質に対する〔賛成の〕小石(票)は、であった、それがすべての繊維の集めることと積み重ねであること、それらは人間全体の最初の段階である。
calculi pro substantia corticali fuerunt, quod ibi sint fines primi et ultimi, et inde principia omnium fibrarum, et sic sensuum et motuum: 皮質に対する〔賛成の〕小石(票)は、であった、そこに最初のものと最後のものの目的があること、またここからすべての繊維の始まり〔がある〕、またこのように感覚と運動の。
calculi pro dura matre fuerunt, quod illa sit tegumentum commune utriusque cerebri, et inde per quoddam continuum extendat se super cor et super viscera corporis. 硬膜に対する〔賛成の〕小石(票)は、であった、それらは両方の脳の共通のおおいであること、またここからある連続(するもの)よってそれ自体を伸ばしている、心臓の上に、また身体の内臓の上に。
Quod me attinet, non arbitror plus de uno quam de altero; 私に関しては、私は判断しない、あるものについてさらに、他のものについてよりも。
vos, quaeso, arbitramini et eligite quid potius. あなたがたは、どうぞ、判断せよ、また選べ、何が好ましいものか。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 23:53
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』697(直訳[3],[4])
(2) 直訳
[3.] His auditis obstupescebant omnes, et murmurabant, et aliqui e coetu super scamnis, exclamabant, "Quis hominum usque a Saturnino aevo ad hoc nostrum ulla rationis cogitatione videre et assequi potuit, quid anima, et adhuc minus qualis illa? [3] これらで聞いて、すべての者は驚いた、また(不平を)つぶやいた、また長椅子の上の集団からある者は叫んだ、「人間のだれが黄金時代(サートゥルヌスの時代)らこの私たちの〔時代〕まで、理性のどんなものも思考で見ることまた把握することができたか、何が霊魂か、またさらにましてその性質を(それがどんなものか)
Estne hoc supra omnium intellectus sphaeram?" これはすべての者の理解力のスフェア(領域)の上にあるのではないか?」
Sed ad haec retulerunt ex orchestra, "Hoc non est supra intellectum, sed in illo et coram illo; しかし、これらに天井さじき(貴賓席)から言い返された(refero)、「これは理解力の上方にない、しかし、その中に、またその前に〔ある〕。
respondete modo." ただ(単に)答えよ」。
Et surrexerunt juvenes illo die electi, qui ascenderent cathedram, et ad problema responderent; また、その日に選ばれた若者たちが立ち上がった、その者は座席にあがった(接続)また問題(討論の議題)答えた(接続)
erant quinque, qui a senioribus explorati ac inventi sagacitate pollentes, et tunc ad latera cathedrae super toris sedentes; 五人いた、その者は長老たちにより調べられた(探し出された)、そして見つけられた、賢明を賦与されている者、またその時、座席の脇に、列の上に座っている〔者であった〕。
et hi postea in ordine, in quo sedebant, ascenderunt; またこれらの者はその後、順に、その上に座った、のぼった。
et quisque cum ascenderet induebat tunicam ex serico opalini coloris, et super illa togam ex molli lana, cui flores erant intexti, et insuper pileum, super cujus vertice erat rosarium incinctum parvis sapphiris. まただれもがのぼるとき、オパールのような色の絹でできた下着(シャツ)を着せられた、またその上に柔らかな羊毛のローブ(トーガ)、それに花〔模様〕が織り込まれていた、またほかに帽子(かぶりもの)、そのてっぺんの上に小さいサファイアで取り囲まれたロザリオ〔のような飾り〕があった。
[4.] Et vidi primum ita indutum ascendentem, qui dixit "Quid anima et qualis illa, a die creationis non revelatum est ulli; [4] また私は最初の者をみた、そのように着せられた、のぼる者を、その者は言った、「霊魂とその性質は何か、創造の日からだれにも啓示されていない(知られるようにされていない)
est arcanum in thesauris solius Dei. 神おひとりの宝庫の中の秘義である。
Sed hoc detectum est, quod anima in homine sicut regina resideat: しかし、これは明らかにされている(示されている)、霊魂は人間の中で女王のように住んでいること。
verum ubinam ejus aula est, eruditi vates divinarunt; けれども、その宮殿がどこにあるか、学者たちは根拠を推測した。
quidam quod sit in parvo tuberculo inter cerebrum et cerebellum, quod vocatur glandula pinealis: ある者は〔推測した〕、大脳と小脳の間の小さな結節の中にあること、それは松果体と呼ばれる。
in hac finxerunt sedem animae, ex causa, quia totus homo regitur ex binis illis cerebris, et illud tuberculum disponit illa; この中に霊魂の座を想定した、理由から、人間全体がこれらの二つの脳から統制されているからである、またその結節がそれらを統制する(制御する)
quare quod disponit cerebra ad nutum, hoc etiam disponit totum hominem a capite ad calcem." それゆえ、()脳が意のままに統制する(制御する)こと、これは人間全体もまた頭からかかとまで統制する(制御する)」。
Et dixit, "Hoc inde sicut verum aut verosimile apparuit multis in mundo, sed post saeculum hoc ut figmentum est rejectum." また、言った、「ここから(それゆえ)このことは真理またはもっともらしいもののように多くの者に見られた、世の中の、しかし、時代の後、このことは作り事として捨てられた」。
 
◎『真のキリスト教』(上巻)を本日、印刷会社「一粒社」から入手しました。A4850ページの大著なので、手前味噌ながら迫力があります。スヴェーデンボリ出版に注文して、購入し、読んでもらえればうれしいです。なお、その本書の出版を祝っての祝賀会は、以前お知らせのように18日です、参加者は十数名の予定なのでさびしいですが。
 皆様のおかげで出版できたことをこのブログ上で感謝申し上げます(もちろん18日にも述べます)
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 23:07
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』697(原文と直訳[2]まで)
(1) 原文
697. Sextum Memorabile:
 
Quondam non procul a me vidi meteoron: vidi nubem divisam in nubeculas, quarum aliquae caeruleae, et aliquae opacae; et vidi illas inter se quasi collidentes; radii striatim transmicabant illas, qui nunc visi sunt acuti sicut mucrones, nunc obtusi sicut enses fracti; striae illae nunc excurrebant obviam, nunc retrahebant se in se, plane sicut pugiles: ita diversicolores illae nubeculae apparebant quasi inter se dimicarent, sed ludebant. Et quia hoc meteoron non procul a me visum est, sustuli oculos, ac intendi aciem, et vidi pueros, juvenes et senes intrantes in Domum, quae erat exstructa ex marmore, et substructa et ex porphyrite; super hac domo erat illud phaenomenon. Et tunc unum ex intrantibus allocutus quaesivi, "Quid ibi?"
Et respondit, "Est gymnasium, ubi juvenes initiantur in varia quae sapientiae sunt."
[2.] Hoc audito, intravi cum illis; eram in spiritu, hoc est, in simili statu in quo sunt homines mundi spiritualis, qui vocantur spiritus et angeli: et ecce in gymnasio illo anterius visa est cathedra, in medio scamna, ad latera circum circa sedilia, et supra introitum orchestra: cathedra erat pro juvenibus qui ad problema illa vice proponendum responderent, scamna pro auditoribus, sedilia ad latera pro illis qui prius sapienter responderunt, et orchestra pro senioribus, qui essent arbitri et judices: in medio orchestrae erat suggestum, ubi sedit vir sapiens, quem vocabant archididascalum, qui proposuit problemata, ad quae juvenes e cathedra responderent.
Et postquam congregati sunt, surrexit vir ex suggesto, et dixit, "Respondete nunc quaeso ad hoc problema, et solvite illud si potestis, Quid Anima, et qualis illa?"
[3.] His auditis obstupescebant omnes, et murmurabant, et aliqui e coetu super scamnis, exclamabant, "Quis hominum usque a Saturnino aevo ad hoc nostrum ulla rationis cogitatione videre et assequi potuit, quid anima, et adhuc minus qualis illa? Estne hoc supra omnium intellectus sphaeram?"
Sed ad haec retulerunt ex orchestra, "Hoc non est supra intellectum, sed in illo et coram illo; respondete modo."
Et surrexerunt juvenes illo die electi, qui ascenderent cathedram, et ad problema responderent; erant quinque, qui a senioribus explorati ac inventi sagacitate pollentes, et tunc ad latera cathedrae super toris sedentes; et hi postea in ordine, in quo sedebant, ascenderunt; et quisque cum ascenderet induebat tunicam ex serico opalini coloris, et super illa togam ex molli lana, cui flores erant intexti, et insuper pileum, super cujus vertice erat rosarium incinctum parvis sapphiris.
Et vidi primum ita indutum ascendentem, qui dixit "Quid anima et qualis illa, a die creationis non revelatum est ulli; est arcanum in thesauris solius Dei. Sed hoc detectum est, quod anima in homine sicut regina resideat: verum ubinam ejus aula est, eruditi vates divinarunt; quidam quod sit in parvo tuberculo inter cerebrum et cerebellum, quod vocatur glandula pinealis: in hac finxerunt sedem animae, ex causa, quia totus homo regitur ex binis illis cerebris, et illud tuberculum disponit illa; quare quod disponit cerebra ad nutum, hoc etiam disponit totum hominem a capite ad calcem." Et dixit, "Hoc inde sicut verum aut verosimile apparuit multis in mundo, sed post saeculum hoc ut figmentum est rejectum."
[5.] Postquam haec dixerat, exuit togam, tunicam et pileum, quae secundus ex electis assumpsit, ac intravit cathedram. Hujus enuntiatum de anima erat, quod in universo caelo et in universo mundo nesciatur quid anima et qualis illa; "hoc scitur, quod sit, et quod in homine sit, sed ubi, divinatur; hoc certum est, quod sit in capite, quoniam intellectus ibi cogitat, et voluntas ibi intendit, et antrorsum in capitis facie sunt quinque hominis sensoria; his et illis non aliud dat vitam quam anima quae intus in capite residet, at ubinam ejus curia est ibi, non ausim effari, sed consensi cum illis qui ei assignarunt sedem in tribus ventriculis cerebri, nunc cum illis qui in corporibus striatis ibi, nunc cum illis qui in substantia medullari utriusque cerebri, nunc cum illis qui in substantia corticali, nunc cum illis qui in dura matre; non enim defuerunt calculi sicut albi ex confirmationibus pro unaquavis sede. Calculi pro tribus ventriculis in cerebro, fuerunt, quod illi sint receptacula spirituum animalium et lympharum omnium cerebri: calculi pro corporibus striatis fuerunt, quod haec faciant medullam per quam exeunt nervi, et per quam utrumque cerebrum continuatur in spinam, et ex hac et ex illa emanant fibrae ex quibus totum corpus contextum est: calculi pro substantia medullari utriusque cerebri fuerunt, quod illa sit collectio et congeries omnium fibrarum, quae sunt initiamenta totius hominis: calculi pro substantia corticali fuerunt, quod ibi sint fines primi et ultimi, et inde principia omnium fibrarum, et sic sensuum et motuum: calculi pro dura matre fuerunt, quod illa sit tegumentum commune utriusque cerebri, et inde per quoddam continuum extendat se super cor et super viscera corporis. Quod me attinet, non arbitror plus de uno quam de altero; vos, quaeso, arbitramini et eligite quid potius.
[6.] His dictis e cathedra descendit, et tradidit tertio tunicam, togam, et pileum, qui scandens cathedram locutus est haec: "Quid mihi juveni cum tam sublimi theoremate? Provoco ad eruditos sedentes hic ad latera, provoco ad sapientes vos in orchestra, immo provoco ad supremi caeli angelos, num quisquam ex sua rationali luce potest aliquam de anima ideam sibi sumere. At de sede ejus in homine possum ego sicut alii vaticinari; et vaticinor quod sit in corde et inde in sanguine; et hoc meum vaticinium est, quia cor sanguine suo regit et corpus et caput; emittit enim magnum vas aorta vocatum in universum corpus, ac emittit vasa carotides vocata in universum caput; inde universalis consensus est, quod anima ex corde per sanguinem sustentet, nutriat, vivificet universum systema organicum et corporis et capitis: ad fidem hujus assertionis accedit, quod in Scriptura Sacra toties dicatur `Anima et cor' ut
 
Quod amaturus sis Deum 'ex tota anima et ex toto corde;' et quod Deus creet in homine 'novam animam et novum cor' (Deut. [1]vi. 5; x. [2]12; xi. [3]13; xxvi. 16; Jerem. xxxii. 41; Matth. xxii. [4]37; Marc. xii. 30, 33; Luc. x. 27 et alibi).
Ac aperte quod sanctis sit anima carnis (Levit. xvii. 11, 14)."
 
His auditis aliqui extulerunt vocem, dicentes, "Docte, docte;" erant ex canonicis.
[7.] Post haec quartus hujus vestibus indutus, et ingressus cathedram, dixit: "Suspicor etiam ego, quod non aliquis tam subtili et limato ingenio sit, ut dispicere possit quid anima, et qualis illa: quare arbitror, quod apud illum, qui vult rimari illam, subtilitas supervacuis teratur; sed usque a pueritia permansi in fide sententiae, in qua fuerunt antiqui, quod anima hominis sit in ejus toto, et in hujus omni parte, et sic quod tam in capite et in singulis ejus, quam in corpore et in singulis ejus; et quod vanum a neotericis inventum fuerit, designare ei sedem alicubi, et non ubivis; est quoque anima substantia spiritualis, de qua non praedicatur extensio nec locus, sed habitatio et impletio. Quis etiam non intelligit vitam, dum nominat animam, estne vita in toto et in qualibet parte?" His dictis favebant multi in auditorio.
[8.] Post hunc surrexit quintus, ac iisdem insignibus ornatus, e cathedra edidit hoc: "Non moror dicere ubi est anima, num in aliqua parte, vel num ubivis in toto; sed ex meo promo et condo aperiam mentem de hoc, quid anima et qualis illa. Anima non cogitatur ab aliquo, nisi sicut purum quid, quod assimilari potest aetheri aut aeri aut vento, in quo vitale est ex rationalitate, quae homini est prae bestiis. Opinionem hanc fundavi super hoc, quod homo dum exspirat, dicatur efflare seu emittere animam seu spiritum; inde etiam anima post mortem vivens creditur esse talis halitus, in quo est vita cogitativa, quae vocatur anima; quid aliud potest anima esse? Sed qua audivi ex orchestra dicentes, quod problema de anima, quid illa et qualis illa est, non sit supra intellectum, sed in illo et coram illo, rogo et precor, ut aeternum hoc arcanum vos ipsi aperiatis."
[9.] Et seniores in orchestra inspexerunt archididascalum, qui illud problema proposuerat, qui ex nutibus intellexit, quod vellent ut descenderet et doceret; et actutum ille ex suggestu descendit, pertransivit auditorium, et ingressus est cathedram, et ibi exporrigens manum dixit. "Auscultate quaeso; quis non credit Animam esse intimam et subtilissimam essentiam hominis? at quid essentia absque forma aliud quam ens rationis? quare anima est forma, sed qualis forma dicetur; est forma omnium amoris et omnium sapientiae; omnia amoris vocantur affectiones, et omnia sapientiae vocantur perceptiones; hae ex illis et sic cum illis faciunt unam formam, in qua innumerabilia in tali ordine, serie et cohaerentia sunt, ut vocari possint unum; et vocari possunt unum, quia non potest inde aliquid auferri, nec ad illud aliquid addi, ut sit talis: quid anima humana nisi talis forma? suntne omnia amoris et omnia sapientiae essentialia illius formae, et haec apud hominem sunt in anima et ex anima in capite et corpore. [10.] Vos vocamini spiritus et angeli; et credidistis in mundo, quod spiritus et angeli sit sicut venti aut aetheres, et sic mentes et animi; et nunc clare videtis, quod vere, realiter et actualiter sitis homines, qui in mundo vixistis et cogitavistis in materiali corpore, et scivistis quod corpus materiale non vivat et cogitet, sed substantia spiritualis in illo corpore, et hanc vocavistis animam, cujus formam nescivistis, et tamen nunc vidistis et videtis illam: vos omnes estis animae, de quarum immortalitate tam multa audivistis, cogitavistis, dixistis et scripsistis; et quia estis formae amoris et sapientiae a Deo, non potestis mori in aeternum. Anima itaque est forma humana, de qua ne hilum potest auferri, et ad quam ne hilum potest addi, ac est intima forma omnium formarum universi corporis; et quia formae quae extra sunt ab intima accipiunt et essentiam et formam, ideo estis, sicut apparetis coram vobis et nobis, animae; verbo anima est ipse homo, quia est intimus homo, quare ejus forma est plene et perfecte forma humana; verum non est vita, sed est proximum receptaculum vitae a Deo, et sic habitaculum Dei."
[11.] His dictis adplaudebant multi, sed aliqui dicebant, "Expendemus."
Ego tunc abivi domum; et ecce super gymnasio illo, loco prioris meteori apparuit nubes candida absque striis seu radiis inter se dimicantibus; quae nubes penetrans tectum intravit, ac illustravit parietes; et audivi, quod viderint scripturas, ac inter alias etiam hanc,
 
"Jehovah Deus ....inspiravit in nares hominis Animam vitarum, et factus est homo in Animam viventem" (Gen. ii. 7).
 
   @1 vi. (cum exemplo Auctoris,) pro “v.” @2 12 (cum exemplo Auctoris,) pro “11” @3 13 (cum exemplo Auctoris,) pro “14” @4 37 (cum exemplo Auctoris,) pro “3”
 
(2) 直訳
697. Sextum Memorabile:― 第六のメモラビリア――
 
Quondam non procul a me vidi meteoron: かつて私から遠くない〔ところに〕私は大気現象(流星)☆を見た。
☆『レキシコン』では訳語を「流星」だけとしましたが、ここの記事からは「大気現象」の訳語も追加したほうがよいです。(『真のキリスト教』110[1]参照)
vidi nubem divisam in nubeculas, quarum aliquae caeruleae, et aliquae opacae; 私は小さい雲に分かれた雲を見た、それらのあるものは空色、またあるものは暗い〔色〕。
et vidi illas inter se quasi collidentes; また私はそれらを見た、互いに戦っているもののようなもの。
radii striatim transmicabant illas, qui nunc visi sunt acuti sicut mucrones, nunc obtusi sicut enses fracti; 細い帯の光線がそれらを輝き貫いた、それはある時は切っ先のように鋭く見えた、ある時は折れた剣のように鈍く。
striae illae nunc excurrebant obviam, nunc retrahebant se in se, plane sicut pugiles: それらの光線はある時は向かい合って伸びる、ある時はそれ自体の中に(それ自体を)っ込める、完全に拳闘家たちのよう〔であった〕。
ita diversicolores illae nubeculae apparebant quasi inter se dimicarent, sed ludebant. そのようにそれらのいろいろな色の小さな雲は見えた、互いに闘っていた、しかし、遊んでいた。
Et quia hoc meteoron non procul a me visum est, sustuli oculos, ac intendi aciem, et vidi pueros, juvenes et senes intrantes in Domum, quae erat exstructa ex marmore, et substructa et ex porphyrite;  また、この大気現象は私から遠くない〔ところに〕見られたので、私は目を上げた(tollo)、そして鋭さを注いだ(向けた)、また私は、少年、輪やもの、また老人を見た、家の中に入っている者たち、それは大理石から造られていた、また土台はまた班岩☆から。
班岩は古代エジプトで産出した赤地に長石結晶を含んだ硬い岩石。
super hac domo erat illud phaenomenon. この家の上方にその現象があった。
Et tunc unum ex intrantibus allocutus quaesivi, "Quid ibi?" またその時、入っていく者たちからのある者に話しかけて、私は質問した、「何が、ここに?」
Et respondit, "Est gymnasium, ubi juvenes initiantur in varia quae sapientiae sunt." また答えた、「(高等)学校である、そこで若者たちがいろいろなものの中で手ほどきされる(導かれる)、それらは知恵に属すものである」。
[2.] Hoc audito, intravi cum illis; [2] これを私は聞いて、彼らと入った。
eram in spiritu, hoc est, in simili statu in quo sunt homines mundi spiritualis, qui vocantur spiritus et angeli: 私は霊の中にいた、すなわち、似た状態の中に、その中に霊界の人間はいる、その者は霊と天使たちと呼ばれる――
et ecce in gymnasio illo anterius visa est cathedra, in medio scamna, ad latera circum circa sedilia, et supra introitum orchestra: また見よ、その(高等)学校の中に前部に座席が見られた、真ん中に長椅子、脇に、まわりに座席、また入り口の上方に天井さじき(貴賓席)☆。
☆ 古代ギリシアでは舞台前の合唱隊席をオーケストラと言い、その後、オペラが上演されるときの楽団席がオーケストラ席であり、ここからいわゆる管弦楽団を「オーケストラ」というようになりました。古代ローマ劇場では舞台前の「貴賓席」です。
cathedra erat pro juvenibus qui ad problema illa vice proponendum responderent, scamna pro auditoribus, sedilia ad latera pro illis qui prius sapienter responderunt, et orchestra pro senioribus, qui essent arbitri et judices: 座席☆は若者のためにあった、その者は提出されようとしている(示されようとしている)〔機会、場合に〕そ問題(討議の議題)に答える、長椅子は聴衆のために、脇の座席は彼らのために、その者は以前に賢明に答えた、また天井さじき(貴賓席)は長老のために、その者は判断する者と、判断する(裁判する)者であった。
「カテドラ」は単なる座席ではなく、正式な特別な座席です、それでこれは「特別席」と意訳する方がよいでしょう。通常は司教(主教)の席を意味します。その席が備わっている教会が「司教(主教)座教会」すなわち、カテドラル(大聖堂)となります。
in medio orchestrae erat suggestum, ubi sedit vir sapiens, quem vocabant archididascalum, qui proposuit problemata, ad quae juvenes e cathedra responderent. 天井さじき(貴賓席)の中央に演壇かあった、そこに賢明な男が座っていた、その者を校長(上級の教師)と呼んだ、その者は問題(討議の議題)を提出した(示した)、それへ座席からの若者が答える。
Et postquam congregati sunt, surrexit vir ex suggesto, et dixit, "Respondete nunc quaeso ad hoc problema, et solvite illud si potestis, Quid Anima, et qualis illa?" またその後、〔彼らが〕集められた、演壇から男が立ち上がった、また言った、「答えよ、今、私はこの問題(討議の議題)に向けて尋ねる、またそれを解け、もしあなたがたができるなら、『何が霊魂か、またその性質(どんなものか)?』」
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 00:13
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』696(原文と対訳)
(1) 原文
696. Quintum Memorabile:
 
Quondam precatus sum ad Dominum, ut daretur loqui cum discipulis Aristotelis, et simul cum discipulis Cartesii et cum discipulis Leibnitzii, propter finem, ut opiniones mentis eorum de Commercio Animae et Corporis haurirem.
Post precationem aderant novem viri, tres Aristotelici, tres Cartesiani, et tres Leibnitziani, et steterunt circum me; a latere sinistro adoratores Aristotelis, ad dextrum sectatores Cartesii, et a tergo fautores Leibnitzii. E longinquo ad distantiam, et per intervalla inter se, visi sunt sicut tres laureati, et ex perceptione, quae e caelo influxit, cognovi quod essent ipsi antesignani seu archididascali. Post Leibnitzium stabat unus manu tenens alam vestis ejus, et dicebatur quod esset Wolfius.
[2.] Novem illi viri, cum intuerentur se mutuo, faceta voce se primum salutabant et affabantur. Sed mox tunc ex inferis exsurgebat spiritus cum facula in manu dextra, et vibrabat illam ante acies illorum, inde facti sunt inimici tres contra tres, et torvo vultu se aspiciebant: invasit enim libido altercandi et litigandi.
Et tunc exorsi sunt Aristotelici, qui quoque erant scholastici, dicentes, "Quis non videt quod objecta per sensus influant in animam, sicut quis per fores intrat in conclave, et quod anima cogitet secundum influxum? Nonne dum amator videt pulchram virginem aut sponsam, oculus ejus scintillat, et fert amorem ejus ad animam? Nonne avarus cum videt crumenas in quibus nummi ad illas ardet omni sensu, et inde hoc infert in animam, et excitat cupidinem possidendi illas? Nonne cum aliquis superbus audit laudes de se ab altero, arrigit aures, et hae perferunt illas ad animam? Suntne sensus corporis sicut atria, per quae ad animam unice fit ingressus? Quis ex his et innumeris similibus aliter potest concludere, quam quod influxus e natura seu physicus sit?"
[3.] Ad haec dicta sectatores Cartesii tenentes digitos sub fronte, et nunc retrahentes illos respondebant, dicendo, "Heu, loquimini ex apparentiis. Nonne scitis, quod non oculus amet virginem aut sponsam, sed anima? pariter quod nec sensus corporis cupiat nummos in crumena ex se, sed ex anima? pariter quod nec aures arripiant laudes assentantium aliter? Nonne perceptio est quae facit sentire? et perceptio est animae, et non organi. Dicite, si potestis, quid aliud facit linguam et labia, loqui quam cogitatio? et quid aliud facit manus operari quam voluntas? ac cogitatio et voluntas sunt animae: ita quid facit oculum videre et aures audire, ac reliqua organa sentire, attendere et advertere ad objecta, quam anima? Ex his et ex innumeris similibus aliis, unusquisque, qui supra sensualia corporis sapit, concludit, quod non sit influxus corporis in animam, sed animae in corpus, quem nos vocamus influxum occasionalem, et quoque spiritualem.
[4.] His auditis, tres viri, qui post triades priores steterunt, qui erant fautores Leibnitzii, extulerunt vocem, dicentes, "Audivimus argumenta ab utraque parte, et contulimus illa, et percepimus, quod in multis praevaleant haec illis, et in multis his illa; quare, si licet, componemus lites."
Et ad interrogationem "Quomodo" dixerunt, "Non est aliquis influxus animae in corpus, nec corporis in animam, sed est unanima et instantanea operatio utriusque simul, quam celebris auctor pulchro nomine insignivit, vocando harmoniam praestabilitam.
[5.] His peractis, rursus apparuit spiritus cum facula in manu, sed nunc sinistra, et vibravit illam ad occipitia illorum; inde confusae factae sunt ideae omnium, et conclamabant, "Non scit anima nostra nec corpus, in quam partem transeamus; quare dirimamus has lites per sortem; et sorti quae primum exit, favebimus.
Et sumpserunt tres schedulas, et uni illarum inscripserunt Influxus Physicus, alteri Influxus Spiritualis, et tertiae Harmonia Praestabilita; et miserunt tres illas in cavum pilei, et elegerunt unum qui expromeret; et hic immissa manu apprehendit illam super qua scriptum fuit Influxus Spiritualis: qua visa et lecta, dixerunt omnes, quidam tamen claro et fluente sono, quidam obscuro et intracto, "Faveamus huic, quia primum exivit." At subito tunc adstitit angelus, et dixit, "Ne credatis quod chartula pro Influxu Spirituali exiverit fortuito, sed ex proviso: vos enim, quia in confusis ideis estis, non videtis veritatem ejus, sed ipsa veritas obtulit se illam manui ut ei faveatis."
 
(2) 対訳
これは『霊魂と身体の交流』19番からの再録です。
「直訳と訳文」の形式でなく、「対訳」とします。
 
696. Quintum Memorabile:― 第五のメモラビリア――
 
Quondam precatus sum ad Dominum, ut daretur loqui cum discipulis Aristotelis, et simul cum discipulis Cartesii et cum discipulis Leibnitzii, propter finem, ut opiniones mentis eorum de Commercio Animae et Corporis haurirem. (かつて)アリストテレスの弟子たちと、同時にデカルトの弟子たちと、またライプニッツの弟子たちと話すことが与えられるよう、主に祈願しました。霊魂と身体の交流について彼らの心にある見解を私が汲み取れるように、との目的のためです。
Post precationem aderant novem viri, tres Aristotelici, tres Cartesiani, et tres Leibnitziani, et steterunt circum me; 祈願の後、三人のアリストレテス派の者、三人のデカルト派の者、三人のライプニッツ派の者、この九人の男たちが来て私のまわりに、
a latere sinistro adoratores Aristotelis, ad dextrum sectatores Cartesii, et a tergo fautores Leibnitzii. 左側にアリストテレスの礼拝者、右側にデカルトの追随者、背後にライプニッツの支持者が立ちました。
E longinquo ad distantiam, et per intervalla inter se, visi sunt sicut tres laureati, et ex perceptione, quae e caelo influxit, cognovi quod essent ipsi antesignani seu archididascali. 彼らとの間に距離をおいて、遠く隔てたところに、月桂冠で飾った者のように三人の者が見られました。流れ入る知覚から、私は彼らが主唱者、すなわち、師匠その人であると知りました。
Post Leibnitzium stabat unus manu tenens alam vestis ejus, et dicebatur quod esset Wolfius. ライプニッツの後ろに、一人の者が彼の衣服の裾を手に保持して立っており、その者はヴォルフであると語られました。
[2.] Novem illi viri, cum intuerentur se mutuo, faceta voce se primum salutabant et affabantur. [2] これらの九人の男たちは、相互に眺めたとき、最初、愛想のよい声で挨拶し、話しかけていました。
Sed mox tunc ex inferis exsurgebat spiritus cum facula in manu dextra, et vibrabat illam ante acies illorum, inde facti sunt inimici tres contra tres, et torvo vultu se aspiciebant: しかし、間もなく、下方から“霊”が、右手に松明をもって起き上がり、それを彼らの顔の前で振り回した時、そこから敵対が生じ、三人は三人に反対して、恐ろしい顔つきでにらみ合いました。
invasit enim libido altercandi et litigandi. というのは、口論し、争う欲望が入り込んだからです。
Et tunc exorsi sunt Aristotelici, qui quoque erant scholastici, dicentes, "Quis non videt quod objecta per sensus influant in animam, sicut quis per fores intrat in conclave, et quod anima cogitet secundum influxum? その時、アリストレテス派の者が、その者はスコラ哲学者でもありましたが、話し始めて、「ある者が入り口を通って部屋の中に入るように、対象は感覚を経て霊魂の中に流入することを、そして霊魂は流入にしたがって考えることをだれが認めませんか?
Nonne dum amator videt pulchram virginem aut sponsam, oculus ejus scintillat, et fert amorem ejus ad animam? 猯慕する者瓩美しい処女または婚約者を見る時、彼の目はきらめき、彼女の愛を霊魂に抱きませんか?
Nonne avarus cum videt crumenas in quibus nummi ad illas ardet omni sensu, et inde hoc infert in animam, et excitat cupidinem possidendi illas? 貪欲な者瓩、財布を、その中の金銭を見る時、すべての感覚がそれに対して燃え、そこから霊魂の中に入ってきて、それらを所有する欲望をかり立てませんか?
Nonne cum aliquis superbus audit laudes de se ab altero, arrigit aures, et hae perferunt illas ad animam? だれか犢睨な者瓩他人から自分についての称賛を聞く時、耳をそばだて、がそれらの称賛を霊魂へ伝えませんか?
Suntne sensus corporis sicut atria, per quae ad animam unice fit ingressus? 身体の感覚は玄関のようではありませんか? もっぱらそこを通ってだけ霊魂へ入ることが生じます。
Quis ex his et innumeris similibus aliter potest concludere, quam quod influxus e natura seu physicus sit?" これらや無数の同様の他のものから、猯入瓩麓然のものから、あるいは物質的なものであること以外に、だれが結論することができますか?」と言いました。
[3.] Ad haec dicta sectatores Cartesii tenentes digitos sub fronte, et nunc retrahentes illos respondebant, dicendo, "Heu, loquimini ex apparentiis. [3] これらの言説に、額に指をあてていたデカルトの追随者たちは、今やその指をもどし、応答して語りました。「ああ、あなたがたは外観から話しています。
Nonne scitis, quod non oculus amet virginem aut sponsam, sed anima? あなたがたは、目それ自体が処女または婚約者を愛するのではなく、霊魂が愛することを、
pariter quod nec sensus corporis cupiat nummos in crumena ex se, sed ex anima? 同じく、身体の感覚それ自体が財布の中の金銭を熱望するのではなく、霊魂が熱望することを、
pariter quod nec aures arripiant laudes assentantium aliter? 同様に、耳がおべっか使いの称賛を捕えるのではないことを知りませんか?
Nonne perceptio est quae facit sentire? et perceptio est animae, et non organi. 感じることを行なうものは知覚であり、知覚は霊魂に属し、器官に属さないのではありませんか?
Dicite, si potestis, quid aliud facit linguam et labia, loqui quam cogitatio? 思考以外に、他に何が舌と唇に話すようにさせますか、(もし、あなたにできるなら、話してください。)
et quid aliud facit manus operari quam voluntas? 意志以外に、他に何が手に行なうようにさせますか、
ac cogitatio et voluntas sunt animae: 思考と意志は身体ではなく霊魂に属します。
ita quid facit oculum videre et aures audire, ac reliqua organa sentire, attendere et advertere ad objecta, quam anima? 霊魂以外に、何が目に見ることを、耳に聞くことを、残りの器官に感じるようにさせますか、もし、あなたにできるなら、話してください。
Ex his et ex innumeris similibus aliis, unusquisque, qui supra sensualia corporis sapit, concludit, quod non sit influxus corporis in animam, sed animae in corpus, quem nos vocamus influxum occasionalem, et quoque spiritualem. これらから、また無数の他の同様のものから、身体の感覚的なものを味わうそれぞれの者は、身体から霊魂の中への流入はなく、霊魂から身体の中への流入があることを結論します。これを私たちは誘因による流入、そしてまた猯酖な流入と呼びます」。
[4.] His auditis, tres viri, qui post triades priores steterunt, qui erant fautores Leibnitzii, extulerunt vocem, dicentes, "Audivimus argumenta ab utraque parte, et contulimus illa, et percepimus, quod in multis praevaleant haec illis, et in multis his illa; [4] これらを聞くと、ライプニッツの支持者であった前の三人の集団の後ろに立っていた三人の男たちは、声を高くして、「私たちは両方の側からの論証を聞き、それらを比較し、多くの点で後者は前者にまさり、多くの点で前者は後者にまさることを知覚しました。
quare, si licet, componemus lites." それゆえ、もし許されるなら、私たちは論争をまとめます」と言いました。
Et ad interrogationem "Quomodo" dixerunt, "Non est aliquis influxus animae in corpus, nec corporis in animam, sed est unanima et instantanea operatio utriusque simul, quam celebris auctor pulchro nomine insignivit, vocando harmoniam praestabilitam. そして、「どのように」との質問に、「身体の中への霊魂の何らかの流入があるのでも、霊魂の中への何らかの身体の流入があるのでもなく、両方とも同時に一致して瞬間に起こる作用です。これをかの有名な著者は猴縦蠅気譴芯艦足瓩噺討嵌しい名称で区別しました」と語りました。
[5.] His peractis, rursus apparuit spiritus cum facula in manu, sed nunc sinistra, et vibravit illam ad occipitia illorum; [5] これらのことが行なわれて、再び猯遶瓩松明を手に、しかし今や左手にもって現われました。そしてそれらを彼らの後頭部へ向けて振り回しました。
inde confusae factae sunt ideae omnium, et conclamabant, "Non scit anima nostra nec corpus, in quam partem transeamus; ここから、すべての観念が混乱させられ、「私たちの霊魂も身体も、私たちがどの側へ移るべきか知りません、
quare dirimamus has lites per sortem; それゆえ、私たちはクジによってこれらの論争を解決しよう、
et sorti quae primum exit, favebimus. 最初に出て来るクジに同意しよう」と叫びました。
Et sumpserunt tres schedulas, et uni illarum inscripserunt Influxus Physicus, alteri Influxus Spiritualis, et tertiae Harmonia Praestabilita; 三つの紙切れを取り、それらの一つに物質的な流入、もう一つに霊的な流入、第三のものに予定された調和と書き、
et miserunt tres illas in cavum pilei, et elegerunt unum qui expromeret; それら三つを帽子のくぼみ(・・・)の中に入れ、取り出す者を一人選びました。
et hic immissa manu apprehendit illam super qua scriptum fuit Influxus Spiritualis: その者は手を入れ、霊的な流入と書かれている紙切れをつかみました。
qua visa et lecta, dixerunt omnes, quidam tamen claro et fluente sono, quidam obscuro et intracto, "Faveamus huic, quia primum exivit." それが見られ、読まれて、すべての者が、それでもある者ははっきりした流れる声で、ある者は不明瞭で引っ込めるような声で、「最初に出て来たのだから私たちはこれに賛成しよう」と言いました。
At subito tunc adstitit angelus, et dixit, "Ne credatis quod chartula pro Influxu Spirituali exiverit fortuito, sed ex proviso: しかし突然にその時、天使はそこに立って、「あなたがたは霊的な流入の紙切れが偶然に出て来たと信じないでください、摂理から出て来たのです。
vos enim, quia in confusis ideis estis, non videtis veritatem ejus, sed ipsa veritas obtulit se illam manui ut ei faveatis." というのは、あなたがたの観念は混乱していたので、その狄人瓩鮓ていません、しかし狄人瓩修里發里、あなたがたがこれに同意するように、彼〔クジを引いた者〕の手に与えたのです」と言いました。
 
◎『霊魂と身体の交流』の全文を「対訳」としたものは、SPSC版の「原典対訳No.2」としてこの6月に出版されています。ラテン語でスヴェーデンボリの著作を勉強したい人には最適の教材と思います。SPSCからお求めください。価格1000円です。なお希望に応じて他の著作についても『原典対訳』を発行したします。ご希望をお寄せください。
SPSC事務局(104-0053 東京都中央区晴海5-1-9-217)
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 22:29
comments(0), trackbacks(0), pookmark
原典講読『真のキリスト教』695(直訳[5]と訳文)
[5.] Postea locutus sum cum angelis illis de mirabilibus, quae ex influxu mundi spiritualis in naturalem existunt; [5] その後、れらの天使たちと驚くべきことについて話した、それらは霊界から自然界の中への流入が存在すること。
ut de vermibus dum fiunt papiliones, tum de apibus et fucis, et mirabilia de bombycibus, et quoque de araneis, et quod incolae telluris addicant illa luci et calori solis, et sic naturae; 例えばチョウになるについてなおまハチとハチについてまたカイコについての驚くべきこと、そしてまたクモについて、また地の住民がそれらを太陽の熱と光に帰していること、またこのように自然に。
et quod saepius miratus sum, per illa confirmant se pro natura, et per confirmationes pro natura somnum et letum inducunt mentibus, et fiunt athei. またしばしばいたことそれらによって自然に賛成して(のために)自分自身を確信させた、また自然に賛成して(のために)確信によって眠りと死を心にひき起こす、また無神論者になる。
Post haec narravi mirabilia de vegetabilibus, quod omnia illa a semine usque ad nova semina in justo ordine succedant, prorsus sicut terra sciret commodare et accommodare sua elementa prolifica seminis, et ex hoc educere germen, et hoc dilatare in caudicem, et ex hoc emittere ramos, et hos investire foliis, et postea insignire floribus, et ab interioribus horum initiare et producere fructus, et per hos, ut renascatur, semina ut proles. これらの後、私は植物について驚くべきことを語った、それらのすべてのものは種から新しい種まで正しい順序で続くこと、完全に地が貸し出すことと適用させることを知っているように、その種の生殖力の要素を、またこのことから芽を引き出すこと、またこれを茎(幹)の中に広げること、またこれから枝を出すこと、またこれに葉でつつむ(おおう)こと、またその後、花で飾ること、またこれらの内的なものから実を導くことと生み出すこと、またこれらによって、再生する(生まれ変わる)ように、子孫のように種を。
Sed haec quia per continuum aspectum, et perennem recursum solita, sueta et communia facta sunt, non ut mirabilia aspectant, sed ut meros effectus naturae; しかし、これらは絶え間のない見ることによって、持続するもの、繰り返すもの、普通のもの、ありふれたものと通常のものになるので、驚くべきものとして見られない、しかし自然の単なる結果として〔見る〕。
et hoc opinantur unice ex causa quia ignorant quod mundus aliquis spiritualis sit, et quod hic ab interiori operetur et actuet omnia et singula quae in mundo naturae, et super tellure ejus, existunt et formantur (et operatur sicut mens humana in corporis sensus et motus), et quod singula naturae sint sicut tunicae, vaginae et indusia, quae incingunt spiritualia, et proxime producunt effectus fini Dei Creatoris correspondentes. またこのことはひとえに由(原因)から意見たれる、(ある)霊界があることを無視するからであるまたこれが内的なものからすべてと個々のものに働きかける、また活動的にする、それらは自然界の中に、またその地の上に、存在するようになり、形成される(また、人間の心のように、身体の中の感覚、運動に働きかける)、また自然の個々のものは下着、鞘、衣服のようである、それらは霊的なものを取り囲む、またまもなく生み出す、創造の神の目的に対応する結果を。
 
(3) 訳文
695. 第四のメモラビリア――
 
死後のいのちを信じる今日の大部分の者は、さらにまた、天界の中で、彼らの思考は献身(信心)以外の、話すことは祈り以外の他のものでない、そしてこれ〔後者〕やそれ〔前者〕は顔の顔つき(要望)と身体の行動と一緒に、神の栄光以外の〔他のものではない〕と信じる。またこのように彼らの家はそれだけ多くの礼拝の家または宗教儀式の会館、またこのようにすべてのものが神の聖職者になる〔と信じる〕。
 しかし、私は、そこ〔天界〕に教会の神聖さが、たとえ純粋で内的であってもそこに神の礼拝が行なわれる心と家を、世の中で以上にさらに占めていないこと、しかしそこに市民の思慮分別に属すいろいろなものがあり、また理性的な者の学識(知識)属すいろいろなものがあり、それらはその卓越の中にある、と断言することができる。
 [2] かつて、ある日、私は天界の中に上げられ、またある会へ導かれた、そこに賢人がいた、その者は古代の時代に、理性と同時に役立ちのものであったようなものの中での研究と熟考から学識ですぐれていた、また現在、神を信じたので、また今や、主を〔信じ〕、また自分自身のように隣人を愛したので天界の中にいる。
またその後、私は彼らの集会の中へ導き入れられ、またそこで、私がどこからであるか質問された。また私は自然界の中で身体に、しかし、あなたがたの霊界の中で霊にいることを明らかにした。
 これらを聞いて、それらの天使たちは喜び、また尋ねた、「そこにあなたは身体でいる世の中で、何が、猯入瓩砲弔い特里蝓⇒解されているか?」
またその時、私はそれについて、有名な話しと書かれたものから私が吸収した何かを思い出した後、私は、まだだれも霊界から自然界の中への流入を知らないこと、しかし、自然〔界〕から自然界の中への流入を〔知っている〕と答えた。例えば、太陽からの生命のある身体の中への熱と光の流入について、そのようにまた木と果実の中に、ここからこれらとそれらの活性化、また逆に、冷たさが同じものの中に〔流入すると〕そこからそれらの壊死〔があることである〕。またほかに、目の中への光の流入について、そこから視覚〔があり〕、耳の中への音の流入について、そこから聴覚〔があり〕、そしてまた鼻の中へのにおいの流入について、そこから嗅覚〔があることである〕、その他。
 [3] これらのほかに、この時代の学者は、身体の中への霊魂の流入、また霊魂の中へのこの流入について、いろいろと推論し。またこれについて三つの部分の中に分かれている。すなわち、誘因的なものと呼ぶ、機会から身体の感覚の中へ作用する身体の中に霊魂の流入があるかどうかあるいは、対象感覚またこれらから霊魂中へ作用するので物質的なものとづける霊魂身体流入があるかどうかあるいは、身体の中へまた同時に)魂の中へ、それを予定されたものと名づける同時のまた即時の流入があるかどうか
 しかしながらそれぞれの自分流入について、自然の内部に存在すると考えている。
 ある霊魂がエーテルの小部分または一滴であることあるはそれをのボールまたは小粒であることあるそれ自体を脳の中に隠しているある存在物であることじるしかし、この者やその者は、彼らに霊魂は、確かに霊的なものと呼ばれるが、しかし、霊的なものによって純粋な自然的なものが意味される〔と信じる〕、というのは、霊界についてどんなものでも知らない、また自然界の中へのこの流入について、それゆえ、自然のスフェア(範囲)内部にとどまる〔からである〕。またそのまたまたその空中のワシのように自分自身げる(称賛する)また自然にとどまる、海らかの原住民のようでありそのはそれ以外らかの存在することをらないまた、川のようでありそのはそれらの空気存在することをらない。天使んでいるらから別個世界存在することそこにまたここからすべての流入人間そしてまた、木内的〔流入がある言及すると、幽霊についての幻想または占星術師のたわごとをくかように、不思議そうに立ちつくす。
 [4] ほかにたちの世界哲学者そこに身体でいるが、杯へのワインの流入について以外への流入についてまたへの味覚、そしてまたおそらく、肺への空気流入についてその他について他流入についてえないし、話さない
しかし、これらの者は、もし、霊界から自然界の中への流入について聞くなら、「流入すると言えば、流入すると言える☆、このことを知ることで、何が押しつけるか、また何に役立ちであるか?」と言う。
 そして、立ち去り、またその後、その流入について聞いたことについて話す時、それについてある者が指の間で小石ともに遊ぶように遊ぶ」。
 [5] その後、れらの天使たちと驚くべきことについて話した、それらは霊界から自然界の中への流入が存在することである。例えばチョウになるについてなおまハチとハチについてまたカイコについての驚くべきこと、そしてまたクモについて、また地の住民がそれらを太陽の熱と光に、またこのように自然に帰していること。またしばしばそれらによって自然に賛成して自分自身を確信させ、また自然に賛成した確信によって眠りと死を心にひき起こす、また無神論者になるこのに驚いたことである
 これらの後、私は植物について驚くべきことを語った。それらのすべてのものは種から新しい種までその種の生殖力の要素を、またこのことから芽を引き出すこと、またこれを茎(幹)の中に広げること、またこれから枝を出すこと、またこれに葉でつつむこと、またその後、花で飾ること、またこれらの内的なものから実を導くことと生み出すこと、またこれらによって、生まれ変わるように、子孫のように種を。完全に地が貸し出すことと適用させることを知っているように正しい順序で続くことである
 しかし、これらは絶え間く見ることによって、持続するもの、繰り返すもの、普通のもの、ありふれたものと通常のものになるので、驚くべきものとして見られない、しかし自然の単なる結果として見られる。またこのことはひとえに霊界があることを無視するというからその見解かれる。霊界内的なものからすべてと個々のものに働きかけ、また活動的にする、それらは自然界の中に、またその地の上に、存在するようになり、形成される(また、人間の心のように、身体の中の感覚、運動に働きかける)、また自然の個々のものは下着、鞘、衣服のようであり、それらは霊的なものを取り囲み、またまもなく、創造の神の目的に対応する結果を生み出す。
 
「流入する」が直接法と接続法で述べられています。日本語には「直接法と接続法」といった表現がありませんから、解説的に述べれば、もし「流入する」のが事実であれば(直接法)、「流入する」のだろう(接続法)、「流入する」といったことも考えられる(接続法)のニュアンスです。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第12章, 17:04
comments(0), trackbacks(0), pookmark