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原典講読『真のキリスト教』507(直訳[5],[6])
[5.] Dein quaesivi, "Quomodo potuisti ita loqui, cum es ipse defraudator, et ipse adulter?" [5] その後、私は質問した、「どのように、そのように話すことができたのか、あなたがだます者そのもの、また姦淫者そのものであるとき?」
Respondit, "Sum alius dum in externis seu in corpore sum, et alius dum in internis seu in spiritu: 彼は答えた、「私は他の者である、私が外なるものの中に、すなわち、身体の中にいるとき、また他の者、内なるものの中に、すなわち、霊の中に――
in corpore sum angelus, sed in spiritu diabolus; 身体の中で私は天使である、しかし、霊の中で悪魔。
in corpore enim sum in intellectu, in spiritu autem sum in voluntate, ac intellectus me fert sursum, at voluntas me fert deorsum; と言うのは、身体の中で私は理解力の中にいる、けれども、霊の中で私は意志の中にいる、そして理解力が私を上方へもたらす(向ける)、しかし、意志が私を下方へもたらす(向ける)
et dum in intellectu sum, cingulum album circumvelat caput meum, at dum intellectus se prorsus emancipat voluntati, et fit ejus, quae est sors nostra ultima, tunc nigrescit cingulum, ac disparatur; また、私が理解力の中にいる時、私の頭を白い輪がまわりをおおう、しかし、理解力がそれ自体をまったく意志に引き渡す時、またその☆(状態?)になる、それは私たちの最後の運命(種類)である、その時、輪は黒くなる、そして見えなくなる。
このejusの後には何か省略されていると思えます、状態やその後の「運命」でしょうか、でも、直訳として「それになる」としておいてもよいでしょう。
quo facto, non possum amplius in lucem hanc ascendere." それで起こって、私はもはやこの光の中に上ることができない」。
Sed subito, ut vidit angelos apud me, inflammatus est facie et voce, et factus est niger, etiam quoad cingulum circum caput; しかし、急に、彼が私のもとの天使を見たために、顔と声で興奮した、また黒くなった、さらにまた頭のまわりの輪に関して。
et per aperturam, per quam surrexit, delapsus est in infernum. また開口部を通して、それを通して上がった(現われた)、地獄の中へ墜落した。
Adstantes ex illis visis et auditis fecerunt hoc conclusum, quod homo talis sit qualis est ejus voluntas, et non qualis est ejus intellectus, quoniam voluntas intellectum facile aufert in suas partes, et emancipat. 傍観者たちはそれらの見られ、また聞かれたものから、この結論をつくった、人間は彼の意志がどのようなものであるか〔によって〕そのようなものであること、また彼の理解力がどのようなものか〔によって〕ない、意志は理解力を容易に自分の部分の中に連れ去るから、また従属させる。
[6.] Tunc quaesivi angelos, "Unde rationalitas est diabolis?" [6] その時、私は天使(たち)に質問した、「どこからか? 悪魔に推理力がある」
Et dicebant, "Est ex gloria amoris sui; 彼らは言った、「自己愛の栄光(称賛)からである。
nam amor sui circumcingitur gloria, est enim haec splendor ignis ejus, et gloria illa elevat intellectum paene in lucem caeli; なぜなら、自己愛は栄光(称賛)取り巻かれているから、というのは、これ〔栄光(称賛)〕はその火の輝きであるから、またその栄光(称賛)が理解力をほとんど天界の光の中に上げる。
nam intellectus apud unumquemvis hominem elevabilis est secundum cognitiones, sed non voluntas nisi per vitam secundum ecclesiae et rationis vera; なぜなら、それぞれの人間のもとの理解力は思考にしたがって上げられることのできるものであるから、しかし、意志は〔上げられ〕ない、教会と理性の真理にしたがった生活によってでないなら。
inde est, quod ipsi athei, qui in gloria famae ex amore sui sunt, et inde in fastu propriae intelligentiae, gaudeant rationalitate sublimiore quam multi alii; ここからである、無神論者その者が、その者は自己愛からの名声の栄光(称賛)の中にいる、またここからプロプリウム(自己)の知性の高慢の中に、高尚な(高遠な)推理力を授けられている(恵まれている)、他の多くの者よりも。
sed tunc cum in cogitatione intellectus sunt, non autem cum in amore voluntatis, et amor voluntatis possidet internum hominem, at cogitatio intellectus externum." しかし、その時、理解力の思考の中にいるとき、けれども、意志の愛の中に〔い」ないとき、〔である〕、また意志の愛は内なる人を所有する(思いのままにする)、しかし、理解力の思考は外なる〔人を所有する〕。
Porro dixit angelus causam, cur homo conflatus est ex tribus amoribus, videlicet ex amore usus, ex amore mundi, et ex amore sui: さらに、天使は理由を言った、なぜ、人間は三つの愛からつくり上げられているいるか、すなわち、役立ちの愛から、世俗愛から、また自己愛から。
causa est, ut homo cogitet a Deo, tametsi prorsus ut ex se. 理由がある、人間が神から考えるため〔である〕、それでもまったく自分自身からのように。
Dixit, quod suprema in hominis mente versa sint sursum ad Deum, media ibi extrorsum ad mundum, ac infima ibi deorsum in corpus; 言った、人間の心の中の最高のものは神へと上へ向かっている、そこに中間のものは世へと外側へ向かって〔いる〕、そしてそこに最も低いものは身体の中へ下方へ。
et quia haec versa sunt deorsum, cogitat homo prorsus ut ex se, cum tamen a Deo. またこれが下方へ向きを変えられているので、人間はまったく自分自身からのように考える、そのときそれでも神から。
author:yasubee, category:原典講読『真教』第8章, 01:23
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