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原典講読『啓示された黙示録』 第21章(各節の内容)の訳文

(3) 訳文

 1. また、私は新しい天と新しい地を見た」は、主によりキリスト教徒からの新しい天界が形作られたことを意味する、それは今日、キリスト教の天界と呼ばれ、そこに主を礼拝し、みことばの中のその方の戒めにしたがって生きるする者がいて、それらの者にここから仁愛と信仰がある。その中に、キリスト教徒のすべての幼児もいる(876)。「前ったからである、主からでない、しかし、キリスト教界から霊界の中にやって来た者〔から〕つくられたその者自身からの天界が意味される、そのすべて者は最後の審判の日に追い散らされた(877)。「海はもはやなかった」は、最初の教会の設立〔のとき〕から、キリスト教徒から集められた天界の外なるものを意味し、主のいのちの書に書かれている者がここから取り除かれたまた救われた後に、同様に追い散らされたことを意味する(878)

 2. 「私、ヨハネは、天界を通って降った聖なる都、新しいエルサレムを見た」は、前のものの終わりの中で、主により設立されることになる新しい教会を意味する、それは教えに関してまた生活に関して、神的真理の中で新しい天界と交わることになる(879. 880)「夫のために花嫁のように飾られて準備された」は、みことばによって主と結合したその教会を意味する(881)

 3. 「また、私は天から言っている、大きな声を聞いた、見よ、人間とともに神の幕屋を」は、愛から話すまた福音をもたらす主を、その方がその神的人間性の中で今や人間のもとに現在することを意味する(882)「〔神は〕彼らとともに、また彼らはその方の民になり、その方は彼らとともに彼らの神になる」は、主の結合を意味する、それは、彼らがその方の中にまたその方が彼らの中にいるようなものである(883)

 4. 「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい取るであろう、死はもはやない、嘆きもない、叫びもない、労苦(苦悩)、もはやないであろう。前のものは過ぎ去ってしまったからである」は、主が彼らから心のすべての悲しみを、断罪に対する恐れを、地獄からの悪と虚偽に対する、それからの試練に対するものも、取り去ること、また竜がひき起こしたそれら思い出さないことを意味する、追い払われたからである(884, 885)

 5. 「また、王座の上に座っている方が言った、見よ、わたしは、すべてのものを新しくする」。また、私に言った、書け、これらのことばは真実であり、信ずるにたるものであるからである」は、最後の審判後、新しい天界と新しい教会のすべてのものについて、主の確証を意味する(886)

 6. 「また、私に言った、行なわれた」は、神的真理であることを意味する(887)。「わたしはアルファとオメガ、始めと終わりである」は、主が天地の神であること、またその方により天界と地上のすべてのものがつくられ、そしてその方の神的摂理によって支配され、それにしたがって行なわれることを意味する(888)。「わたしは、渇いている者に、いのちの水の泉から、ただで与える」は、主が、何らかの霊的な役立ちから真理を望む者に、みことばを通してご自分から彼らの役立ちに益するすべてのものを与えることを意味する(889)

 7. 「勝つ者は、すべてのものを相続して所有するであろう。わたしは彼に神となり、彼はわたしに息子となる」は、自分自身のもとの悪に、すなわち、悪魔に、勝つ者は、バビロンの住民と竜により誘惑されるとき惑わされず、天界の中にやって来る、またそこで主の中に生き、また主は彼らの中にいることを意味する(890)

 8. 「けれども、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者」は、何も信仰の中にいない、何も仁愛の中にいない、ここからすべての種類の悪の中にいる者を意味する(891)。「殺人者、淫行者、魔法使い、偶像崇拝者、またうそをつくすべての者」は、十戒の戒めを何も行なわない、そこに罪として名前を挙げられている何らかの悪を避けない、またそれゆえ、それらの中に生きるすべての者を意味する(892)。「彼らの部分が火と硫黄の燃える池の中に〔ある〕」は、彼らの地獄を意味する、そこには虚偽への愛と悪への欲望がある(893)。「それは第二の死である」は、断罪を意味する(894)

 9.「また、最後の七つの災害に満ちている七つの鉢を持っている七人の天使のひとりが私にやって来て、私に、言って、話した。来い、私はあなたに花嫁を小羊の妻を見せよう」は、、みことばによって主の結合があるであろう新しい教会について、主による最内部の天界からの流入と明示を意味する(895)

 10. 「また、私を、霊の中で、大きなまた高い山の上へ連れ去り、私に、神から天を通って降っている聖なる大きな都エルサレムを見せた」は、第三の天界の中に移され、またそこで彼の視覚が開かれ、その前に主の新しい教会が教えに関して都の形の中で示されたヨハネを意味する(896)

 11. 「都は〕神の栄光を持っている。その光は最も価値のある石に似ており、あたかも光り輝く水晶に似た碧玉のようであった」は、その教会の中に、みことばの理解力があるであろうことを意味する、その霊的な意味から透明であるからである(897)

 

 12. 「大きな高い城壁を持っている」は、文字どおりの意味のみことばを意味する、それから新しい教会の教えがある(898)。「十二の門を持っている」は、そこに真理と善のすべての認識(知識)があり、それらによって、人間は教会の中に導き入れられることを意味する(899)。「門の上に十二の天使〔がいて〕、イスラエルの子らの十二の部族の名前が書かれていた」は、天界の神的真理と善を意味する、それらは教会の、それらの知識(認識)の中の神的真理と善でもある、また、主からそれらの中にいるのでないなら、だれがか入らないようにとの保護を〔意味する〕 (900)

 13. 「東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門」は、天界からの真理と善の認識(知識)、多かれ少なかれ善の愛または情愛の中にいる、また多かれ少なかれ真理の知恵または情愛の中にいる者に対してあることを意味する、それらの中に霊的ないのちが主からあり、それらによって新しい教会教への導入が行なわれる(901)

 14. 「また、都の城壁は十二の土台を持っている」は、文字どおりの意味の中のみことばが新しい教会のすべての教えを含んでいることを意味する(902)。「それらの中に小羊の使徒の十二の名前が〔書かれていた〕」は、主についてまたその方の戒めにしたがった生活について、みことばからのすべての教えを意味する(903)

 15. 「また、私と話している者は、都とその門とその城壁を測るために金のアシを持っていた」は、愛の善にいて、理解するまた知る能力の中にいる者が、教えと導き入れるその真理に関して、またそれからのみことばに関して、主の新しい教会がどんなものであるか、彼らに与えられることを意味する(904)

 16. 「また、都は四角である」は、その中の公正を意味する(905)。「その長さはそれだけの幅である」は、その教会の中の善と真理が、本質と形のように一つのものとなっていることを意味する(906)。「また都はアシで、十二千スタディオンに測られた。その長さと幅と高さは等しかった」は、教えからその教会の性質が、そのすべてのものが愛の善からであったことが示されたことを意味する(907)

 17. 「また、その城壁が測られ、百四十四キュービット〔であった〕」は、その教会の中でみことばがどんなものであるか、それからそのすべての真理と善があることを示されたことを意味する(909)「人間の尺度で、それは天使の〔尺度でもある〕」は、その教会の性質が天界と一つのものとなっていることを意味する(910)

 18. 「その城壁の構造は碧玉であった」は、その教会の人間のもとの文字どおりの意味の中のすべての神的真理は、霊的な意味の中の神的真理から透明であることを意味する(911)。「都は純粋なガラスに似た純金〔であった〕」は、ここからその教会のすべてのものは、天界からの光と一緒に流入する主からの愛の善であることを意味する(912)

 19, 20. 「都の城壁の土台はすべての宝石で飾られていた」は、みことばの文字どおりの意味から取られた新しいエルサレムのすべての教えが、そこにいる者のもとで、受け入れにしたがって光の中で見られようになることを意味する(914)「第一の土台は碧玉、第二はサファイア、第三は玉髄、第四は緑玉(エメラルド)第五は紅しまめのう、第六は紅玉髄、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一はヒヤシンス石、第十二は紫水晶」は、その順序の中で、直接に主に近づき、悪を罪として避けて、十戒の戒めにしたがって生きる者のもとの、みことばの文字どおりの意味からのそのすべての教えを意味する。というのは、他の者でなく、これらの者が神への愛と隣人に対する愛の教えの中にいるからである、それら二つの愛は宗教の基礎である(915)

 21. 「十二の門は十二の真珠であり、それぞれの門は一つの真珠からであった」は、主の認知と知識が、みことばからの真理と善のすべての認識(知識)を、一つに結合し、教会へ導き入れることを意味する(916)「都の街路は透明なガラスのような純金〔であった〕」は、その教会のすべての真理とその教えは、主からの天界の光と一緒に流入する愛の善の形の中にあることを意味する(917)

 22. 「また、私はその中に神殿を見なかった、全能の神、主が、また小羊がその神殿であるからである」は、この教会の中に、内なるものから分離した何らかの外なるものはないであろうことを意味する、ご自分の神的人間性の中にいる主ご自身おひとりが近づけられ、礼拝され、崇拝され、その方から教会のすべてのものがあるからである(918)

 23. 「都は、その中で輝くために太陽を、月も必要としない。神の栄光がそれを照らす、小羊がその明かりがであるからである」は、その教会の人間は、自己愛の中にまた自己知性の中にいない、ここから単に自然的な光の中にいない、しかし、主おひとりからのみことばの神的真理からの霊的な光の中にいることを意味する(919)

 24. 「救われた諸国民は、その光の中を歩く」は、生活の善の中にいて、主を信じるすべての者は、、そこで神的真理にしたがって生き、またそれらを内部に本質的に、目が対象を〔見る〕ように、見ることを意味する(920)「地の王たちはその中へ自分の栄光と名誉を携える」は、霊的な善からの知恵の真理の中にいるすべての者は、そこで主を告白し、自分自身のもとにあるすべての真理とすべての善をその方に帰することを意味する(921)

 25. 「その門は、日中、閉ざされない、というのは、そこに夜はないから」は、主からの愛の善からの真理の中にいて、そこに何らかの信仰の虚偽がない者が新しいエルサレムの中に常に受け入れられることを意味する(922)。「彼らはその中へ栄光と名誉を携える」は、入る者が、主が天地の神であること、また教会のすべての真理と宗教のすべての善がその方からであることを、自分自身に告白し、認知と信仰をもたらすことを意味する(923)

 26. 「また、不潔なもの、忌み嫌われたものと偽りを行なう者は、その中にだれも入らないであろう」は、みことばの善を不純化し、真理を虚偽化し、確信から悪を、またこのように虚偽も行なう者は、だれも主の新しい教会の中に受け入れられないことを意味する(924)。「小羊のいのちの書の中に書かれた者でないなら」は、主を信じ、みことばの中のその方の戒めにしたがって生きる者以外の他の者が、新しいエルサレムである新しい教会に受け入れられないことを意味する(925)

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 23:41
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