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原典講読『啓示された黙示録』 880(訳文)

(3) 訳文

 880.みことばの中の「エルサレム」によって教会が意味されるのは、他のところでなく、カナンの地のそこに、神殿があり、いけにえが行なわれた祭壇があり、そのように神的な礼拝そのものがあったからである。それゆえ、毎年、三つの祭りもまたそこに祝われ、そこへ全地のすべての男は来ることが命じられた。そのことから、「エルサレム」によって礼拝に関する教会が、またここから教えに関する教会もまた意味される、なぜなら、礼拝は教えの中で規定され、それにしたがって行なわれるからである。なおまた、主はエルサレムにいて、ご自分の神殿の中で教え、その後、そこでご自分の人間性を栄化された。

 「エルサレム」によって、教えとここから礼拝に関する教会が意味されることは、みことばの中の多くの箇所から明らかである、例えばこれらから。

 「イザヤ書」に――

 

「シオンのために、わたしは黙らない、またエルサレムのために、わたしは休まない。その義が輝きのように出て、その救いが明かりのように燃えるまでは。その時、国民はあなたの義を、またすべての王はあなたの栄光を見るであろう。また、あなたに、新しい名前が呼ばれ、それをエホバの口が発声する。あなたは、あなたの神の手の中の似つかわしい冠となる。エホバはあなたを喜び、あなたの地は結婚させられる。

 見よ、あなたの救いがやって来る、見よ、その方の報酬がその方とともに。彼らを、聖なり民、エホバにあがなわれた者と呼ぶであろう。あなたは求められた都と呼ばれ、見捨てられた都と呼ばれない」(62:1-4, 11, 12)

 

 [2] その全章の中で、主の来臨について、またその方により設立された新しい教会について扱われている。

 この新しい教会が「エルサレム」によって意味され、それに新しい名前が呼ばれ、それをエホバの口が発声し、そしてまたエホバの手の中の似つかわしい冠、また神の手の中の王のかぶり物となり、それをエホバは喜び、それは求められた都と呼ばれ、見捨てられた都と呼ばれない。

 これらによって、主が世の中にやって来たとき、ユダヤ人がいたエルサレムは意味されることができない。

なぜなら、それはすべて正反対のものの中にあったからである。それは、むしろソドムと呼ばれるべきであった(黙示録11:8、イザヤ3:9、エレミヤ23:14、エゼキエル16:46, 48でもまた呼ばれているように)

 

 [3] 「イザヤ書」の他の箇所に――

 

 「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造している。前のものは思い出されない。 永遠に喜べ、小躍りして喜べ、それらをわたしは創造している。

 見よ、わたしはエルサレムの歓喜を、またその民に喜びを創造する、エルサレムが小躍りし、わたしの民が喜ぶために。

 その時、オオカミと子羊は一緒に草を食う。わたしの聖なる全山で悪は行なわれない」(55:17-17, 25)

 

 この章の中でもまた主の来臨について、またその方により設立される教会について扱われており、それはエルサレムの中の者のもとに設立されず、しかし、その外にいた者のものと設立される。

それゆえ、この教会が「エルサレム」によって意味され、それは主に「歓喜」となり、その民はその方に「喜び」となる。なおまたそこでは「オオカミと子羊は一緒に草を食で」そこに「悪は行なわれない」。

 ここにもまた、「黙示録」の中にのように、主が「新しい天と新しい地を創造するであろう」こと、そしてまた「エルサレムが創造されるであろう」ことが言われており、それによって同様のものが意味される。

 [4] 「イザヤ書」の他の箇所に――

 

 「起きよ、起きよ、シオン、あなたの力強さを着よ。聖なる都エルサレム、あなたに似つかわしい衣服を着よ。あなたの中にもはや無割礼者と汚れた者がやって来なることは繰り返えされないからである。

あなたは、ちり振り落とせ、立ち上がり、座れ。

 その日に、民はわたしの名前を知る、なぜなら、わたしは、話す者であるからである、見よ、わたしを。

 エホバはご自分の民を慰め、エルサレムをあがなわれる」(52:1, 2, 6, 9)

 

 その章の中でもまた主の来臨について、またその方により設立される教会について扱われている。それゆえ、「エルサレム」によって、その中に「もはや無割礼者と汚れた者がやって来ない」またそれを「主があがなう」教会が意味される。また「聖なる都エルサレム」によって、主からまた主についての教えに関する教会が意味される。

 

 [5] 「ゼパニヤ書」に――

 

 「シオンの娘よ、歓呼せよ、エルサレムの娘よ、すべての心から喜べ。

 イスラエルの王は、あなたの真ん中に〔いる〕、もはや悪を恐れるな。

 楽しさとともにあなたを喜ぶ、〔その方は〕あなたの愛の中で満足して休み、歓呼とともにあなたを小躍りして喜ぶ。

 わたしはあなたがたに、地のすべての民に、名前と賛美 与える」(3:14, 15, 17, 20)

 

 同様に、ここに、主とその方からの教会について〔扱われており〕、それに主である「イスラエルの王」は、「楽しさとともに喜び、歓喜とともに小躍りし」、またその方の愛の中で「休む」、またその方は、彼らに、「地のすべての民に、名前と賛美を」与える。

 

 [6] 「イザヤ書」に――

 

 「あなたのあがない主、あなたの形成者エホバはこのように言われた。

エルサレムに、あなたがたは住まれるようになる、また都に、あなたがたは建築されるようになると言って」(44:24, 26)

 

 また「ダニエル書」に――

 

 「知れ、知覚せよ。みことばの出て、回復するまで、またエルサレムを建築するまで、君主メシアまで、七週〔があること〕」(9:25)

 

 「エルサレム」によって、ここにもまた教会が意味されることが明らかである、これは主により回復され、建築される、けれども、ユダヤ人の住むエルサレムではないからである。

 [7]「エルサレム」によって、次の箇所では主からの教会も意味される。

「ゼカリヤ書」に――

 

 「このようにエホバは言われた、わたしはシオンへ帰る、わたしはエルサレムの真ん中に住む。ここから、エルサレムは、狄人瓩療圈∨軍のエホバの山、聖なる山と呼ばれるであろう」(8:3, 20-23)

 

 「ヨエル書」に――

 

 「その時、あなたがたは、わたしエホバがあなたがたの神であり、シオンに、聖なる山に住んでいる、またエルサレムが神聖になることを知る。また、その日に、山々が新しいぶどう酒を滴らせ、丘々が乳を流し、エルサレムが代々に鎮まるようになる」(3:17, 8. 20)

 

 「イザヤ書」に――

 

 「その日の中で、エホバの若枝は、美観に栄光になる。シオンの中に残された者、エルサレムの中の残りの者は、聖なるものと言われるようになる。すべての者は、エルサレムで、いのち〔の書〕に書かれた」(4:2, 3)

 

 「ミカ書」に――

 

 「日々の終わりの時に、エホバの家の山は、山の頂に置かれる。なぜなら、シオンから教えが、エルサレムからエホバのみことばが出るからである。

 あなたへ以前の王国が、エルサレムの娘の王国がやって来る」(4:1, 2, 8)

 

 「エレミヤ書」に――

 

 「その時に、エルサレムはエホバの王座と呼ばれ、すべての国民はエホバの名前のためにエルサレムに集められる。もはや、自分の悪の心で確信したものの後を行かない」(3:17)

 

 「イザヤ書」に――

 

 「シオンを、私たちの定められた祭りの都をながめよ。あなたの目は、エルサレム、静かな住まい、幕屋を見る、それは追い散らされない。そのくいは永久に取り除かれない、そのすべての綱は引き離されない」(33:20)

(さらに他の箇所でもまた、例えば、イザヤ24:2337:3266:10-14、ゼカリヤ12:3, 6, 8-1014:8, 11, 12, 21、マラキ3:2, 4、詩篇122:1-7、詩篇137:5-7)

 

 [8] それらの箇所の中の「エルサレム」によって、主により設立されることになる教会が意味され、ユダヤ人により住まわれたカノンの地のエルサレムが意味されないことは、みことばの箇所の中からもまた明らかにすることができる、そこにはこれについて、まったく失われ、破壊されることが言われている(例えば、エレミヤ5:16:6, 77:17, 18以降、8:6-8以降、9:10, 11, 13以降、13:9, 10, 1414:16、哀歌1:8, 9, 17、エゼキエル4:1終わりまで、5:9終わりまで、12:18, 1915:6-816:1-6323[1-49、マタイ23:37, 38、ルカ19:41-4421:20-2223:28-30、また他の多くの箇所の中に)

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 22:38
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