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原典講読『啓示された黙示録』 第22章(各節の内容)の訳文

(3) 訳文

 1. 「また彼は私に、神と小羊の王座から出て、水晶に輝いている、いのちの水の川を見せた」は、今や、霊的なi意味に関して開かれ、説明された「黙示録」を意味する。そこには新しいエルサレムであるその方の新しい教会の中にいることになる者のために主からの神的真理が豊富に啓示されている(932)

 2. 「またその街路と川の真ん中に、ここにまたそこに、十二の実を結んでいるいのちの木〔がある〕」は、新しい教会の中の教えの狄人瓩虜覇睇瑤涼罎法△海海ら生活の中に、ご自分の神的愛の中の主がおられることを意味する。その方からすべての善が流れ出る、それらを人間はそこで外観上は自分自身からのように行なう(933, 934)。「それぞれの月にしたがってその実を報いる」は、主が人間のもとに善を、彼のもとの真理のすべての状態にしたがって生み出すことを意味する(935)。「その木の葉は諸国民の薬となる」は、ここからの理性的な真理を意味する、それらによって、悪とここからの虚偽の中にいる者は、健全に考え、正しく生きるようにと導かれる(936)

 3. 「またそこに呪いは何もない。神と小羊の王座があり、その方のしもべたちがその方に仕える」は、新しいエルサレムである教会の中に、主から分離された何らかの者がいないであろうことを意味する、主ご自身がそこで支配し、また彼らは、その者はみことばを通してその方からの真理の中にいる、またその方の命令を行なう者は、結合されたので、その方とともにいることになるからである(937)

 4. 「その方の顔を見る、その方の名前が彼らの額の中に〔ある〕」は、愛によって結合されているので、彼らは自分自身を主へ向け、主はご自身を彼らに向けられることを意味する(938, 939)

 5. 「またそこに夜はなく、明かりと太陽の光を必要としない、〔神である〕主が彼らを照らすからである」は、新しいエルサレムの中に何らかの信仰の虚偽がないこと、また自己知性から、また高慢から出てくる称賛からの自然的な光から、人間は主についての認識(知識)の中にいない、しかし、主おひとりからのみことばからの霊的な光の中にいることを意味する(940)。「また彼らは永遠に王である」は、彼らが、主の王国の中に、またその方との結合の中に永遠にいることになることを意味する(941)

 6. 「また彼は私に言った、『これらのことばは信ずるにたるもの、真実である』」は、主ご自身が証明されて言われたので、これらを確かなものとしてらなければならないことを意味する(942)。「また聖なる預言者たちの神である主は、すぐに行なわれるべきであることをご自分のしもべたちに示すために、ご自分の天使を遣わされた」は、両契約のみことばのもとである主が、確かに存在するようになることを、天界を通して、その方からの真理の中にいる者に啓示されたことを意味する(943)

 7. 「わたしはすぐに来る。この〔書の〕預言のことばを守っている者は幸いだ」は、主が確かにやって来られること、また、今や、主により開かれた真理の、すなわち、この書の教えの戒めを守る者に永遠のいのちを与えられることを意味する(944)

 8. 「私、ヨハネは、これらを見、聞いている者である。私が聞き、見たとき、私は私にこれらを示した天使の足の前に崇拝して平伏した」は、ヨハネが、霊の状態の中に保たれるために、主から彼に遣わされた天使はそれを啓示した神であったとの信念を抱いた、そのときそれでもそのようではなかった、というのは、天使は、主が啓示したものを単に示しただけであるから、を意味する(945)

 9. 「また彼は私に言う、『見よ、〔そんなこと〕するな。というのは、私はあなたの仲間のしもべ、預言者のあなたの兄弟、この書のことばを守る者であるから。神を崇拝せよ』」は、天界の天使が崇拝されてはならない、祈られてはならないこと、彼に神的なものは何もない、しかし、新しいエルサレムの教えの中にいる、またその戒めを行なっている者と兄弟どうしのように仲間となっているからである、また主おひとりが、彼らと交わりの中で、崇拝されなければならないを意味する(946)

10. 「また私に言う、『この書の預言のことばをあなたは封じないうにせよ、時は近いからである」は、「黙示録」が隠されてはならない、しかし、だれもが救われるために開かれ、このことが教会の終わりの中で必要であることを意味する(947)

 11. 「不正な者はさらに不正であれ、不潔な者はさらに不潔になれ、正しい者はさらに正しいとされよ、聖徒はさらに聖なるものとされよ」は、個別的に死後のすべての者の状態を、またその審判前の、また全般的に「最後の審判」前の状態を意味する。悪の中にいる者は善が取り去られ、虚偽の中にいる者は真理が取り去られること。そして逆に、善の中にいる者は悪が取り去られ、真理の中にいる者は虚偽が取り去られること〔である〕(948)

 12. 「また『見よ、わたしはすぐに来る。わたしの報酬がわたしとともにあり、それぞれの者もその働きに応じて戻している』」は、主が確かにやって来ることまたその方は天界の永遠のいのちの幸福であること、そして、その方への信仰にしたがって、またその方の戒めにしたがって、その者に〔それが〕あることを意味する(949)

 13. 「わたしは、アルファとオメガ、始まりと終わり、最初と最後である」は、主は天地の神であられるので、その方により天界と地上のすべてのものがつくられ、その方の神的摂理によって支配され、またそれらにしたがって行なわれることを意味する(950)

 14. 「その方の命令を行なう者、彼らの力がいのちの木の中にあるような者、都の中に門で入れられる者は幸いだ」は、愛によって主の中にまた主が彼らの中にいるようにとの目的のために、主の戒めにしたがって生き、また、その方についての認識(知識)によってその方の新しい教会の中にいる者に、永遠の幸福があることを意味する(951)

 15. 「けれども、外には、犬、魔法使い、淫行する者、人殺し、偶像崇拝者、偽りを愛し、行なっているすべての者が〔いる〕」は、十戒の戒めを何も行なわない、またそこに名前を挙げられている悪を罪として避けない、またそれゆえ、それらの中に生きている者は、新しいエルサレムの中に受け入れられないことを意味する(952)

 16. 「わたし、イエスは、わたしの天使を遣わし、教会の中に、あなたがたにこれらのことばを証言した」は、この書の中に述べられ、そのようにまた、今や、開かれ、主おひとりが啓示されたものが真理であることを、全キリスト教世界の前で、主が証明されたことを意味する(953)

「わたしは、ダビデの根と子孫、輝く朝の星である」は、世で生まれ、その時、光であった、また、聖なるエルサレムであるその方の新しい教会の前に出てくる新しい光とともにやって来られる主ご自身であることを意味する(954)

 17. 「また霊と花嫁は言う、来てください」は、天界と教会が主の来臨を望むことを意味する(955)。「また聞いている者は、『来てください』と言いなさい、渇いている者は来なさい、欲している者はいのちの水をただで受け取りなさい」は、主の来臨、新しい天界、また新しい教会について、そのように主の王国について、何らかのものを知る者が、「やって来ますように」と祈ること、また、真理を望む者が、「主が光とともにやって来ますように」と祈る、また、真理を愛する者が、その時、それらを主から自分の働きなしに受けるようになることを意味する(956)

 18. 「というのは、わたしは、この預言の書のことばを聞くすべての者に立証するから、もしだれかがこれに加えるなら、神は、この書の中に書かれた災害を彼の上に加える」は、今や主により開かれたこの書の教えの真理を読み、知り、またそれでも主以外の他の神を、またその方への〔信仰〕以外の他の信仰を、それら二つのことが破壊するものによる何らかのものを加えて、認める者は、この書の中に述べられた災害によって意味されている虚偽と悪から滅びること以外に異なってできない(957)

 19. 「また、もしだれかがこの預言の書のことばから取り去るなら、神はいのちの書から、また聖なる都から、この書の中に書かれたものから、彼の分を取り去る」は、今や主により開かれたこの書の教えの真理を読み、知り、またそれでも主以外の他の神を認める、またその方への〔信仰〕以外の他の信仰を、何らかのものを取り去って、それら二つのことが破壊するものによって、みことばから賢明になることまた何らかのもの自分自身のものにすることができない者は、新しいエルサレムの中に受け入れられることもない、主の王国の中にいる者と分け前(割り当て地)持つこともない(958, 959)

 20. 「これらを証言している者が言われる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アーメン。しかり、来てください、主、イエスよ」は、「黙示録」を啓示し、その時、世でまとい、栄化した、ご自分の神的人間性の中に花婿、夫としてやって来られる、またその方の教会が花嫁、妻として降る、という福音を証言するためにそれを開かれた主を意味する(960)

author:yasubee, category:原典講読『啓示された黙示録』, 22:43
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