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原典講読『霊界体験記』 219

(1) 原文

Quod jucunditatem coelestem quasi datum sit mihi communicare cum animabus probis in captivitate

 

219.  A pluribus annis retro sentire mihi manifeste datum est jucunditates coelestes variis modis, et tot ac talibus, ut eas describere nequicquam possim; quae tales fuerunt, ut homo nequicquam eas{1} credere ac intelligere posset, si describere eas conarer; interim hodie ex misericordia Dei Messiae mihi datae sunt jucunditates{2} coelestes, non expressibiles, quas etiam concedebatur mihi, tanquam ex me, cum tamen ex me non erat, transferre ad animas in captivitate, quae jucunditates eas dicebant se sentire posse, et inde quoque consolationem accipiebant; vocantur etiam aves{3}, quod iis quoque multo solatio est, quomodo ascendant a captivitate in speciem libertatis, tam loquendi, quam intelligendi, percipiendi, loquendi, videndique, nec describi potest, tametsi ad manifestum sensum id mihi datur perceptibile esse. 1747, die 24 Oct. st. v.

@1 ms. ea

@2 ms. jucundites

@3 J.F.I. Tafel ovesA.W. アクトン(SS版英訳)も「羊」としており、私もこれでよいと思います〕

☆この段落は交差線(大きな×印)で抹消されています

 

交差線で抹消された箇所(段落)について

 多くの箇所(段落)が、前部にしろ一部にしろ、スヴェーデンボリ自身によって、交差線によって削除以外の理由で抹消されています(通常は数本の交差線、斜線だけの場合もあります)。これはその後の著作に編入されたことを示すようです、あるいは『索引』で扱ったことを示すかもしれません(正確な理由はわからないようです)。この「原典対訳」ではこのことを上記のように原文に続けて述べておきます。

申し遅れましたが166番も、170番の後半(標題も含めて)もこのようでした。

 

◎ついでに追加しておきます。

 206番と207番の間に抹消されてい次の未完成の記事があります。

 Quod intellectuale saparatum sit a voluntatio.

Per experientiam vivam etiam demonstratum est, quod non solum intellectuale sit separatum a voluntario, [set etiam quod putent se esse bo]nam spiritus mali, qua indolem, quandoque bene su)

(知性は意志から分離されていること さらにまた生き生きとして経験によって示されれた、知性が意志から分離されていることだけでなく、悪い霊もまた自分自身を善いと思っていること、その性質は、時々、善い……)

 

(2) 直訳

Quod jucunditatem coelestem quasi datum sit mihi communicare cum animabus probis in captivitate 天界さを、捕らわれ(状態)しい霊魂と共有(伝達)ることが、いわば私に与えられたこと

219.  A pluribus annis retro sentire mihi manifeste datum est jucunditates coelestes variis modis, et tot ac talibus, ut eas describere nequicquam possim; これまでの多くの年の間から感じることが私にはっきりと与えられた、いろいろな方法で天界的な快さを、またこのように多くのそのようなもので、それらを述べることが私に決してできないように。

quae tales fuerunt, ut homo nequicquam eas{1} credere ac intelligere posset, si describere eas conarer; それらはこのようなものであった、人間がそれらを信じることそして理解することが決してできないような、もし、それらを私が述べることに努力しても(試みても)

interim hodie ex misericordia Dei Messiae mihi datae sunt jucunditates{2} coelestes, non expressibiles, quas etiam concedebatur mihi, tanquam ex me, cum tamen ex me non erat, transferre ad animas in captivitate, その間、今日、神メシアの慈悲から私に天界の快さが与えられた、表現できない、それらもまた私に許された、あたかも私からのように、そのときそれでも私からでなかった、捕らわれ(状態)中の霊魂へ移すこと、

quae jucunditates eas dicebant se sentire posse, et inde quoque consolationem accipiebant; それらの快さを、それらを彼らは自分自身に感じることができることを言った、またここから慰めを受け取る(こと)もまた。

vocantur etiam aves{3}, quod iis quoque multo solatio est, さらにまた鳥☆と呼ばれている、そのことは彼らに大いに慰めである。

鳥でなく羊がよいです、「注」参照。チャドウイックも受け入れています。

quomodo ascendant a captivitate in speciem libertatis, tam loquendi, quam intelligendi, percipiendi, loquendi, videndique, nec describi potest, tametsi ad manifestum sensum id mihi datur perceptibile esse. どのように捕らわれ(状態)から自由の種類の中に上るか、話すことの、理解することの、知覚することの、話すことの(叙述はダブっていますね)、見ることの、述べられることができない、たとえ明瞭な感覚にそのことが私に知覚することが私に与えられていても。

☆ tam...quam...で「〜も〜も」の意味です。

1747, die 24 Oct. st. v. 17471024日に、旧暦。

 

(3) 訳文

天界さをらわれのにいるしい霊魂に伝達することが、いわば私に与えられた

 

219.  これまでのくの年月から、私にいろいろな方法またそれべることがしてできないようにもこのようにくのそのようなもので、天界的さをじることがはっきりとえられたそれらは、私がそれらをべることに努力しても、人間がそれらをそして理解することがしてできないようなものであったその間、今日、神メシアの慈悲から、表現できない天界さがえられ、捕らわれにある霊魂すこともまたされたあたかもからのようにそのときそれでもからでなかったそれらのさをらは自分自身じることができることまたここからめをこともをったさらにまた「羊」ばれそのことはらにいにめであるどのようにらわれ状態から、話し、理解し、知覚する、話すこととと見ることのある種の自由へ上るか、たとえそのことが私に明瞭な感覚で知覚することが与えられていても、述べられることができない。17471024日、旧暦。

author:yasubee, category:霊界体験記, 23:57
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