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原典講読『霊界体験記』 342

(1) 原文

Quod animis{1} mortuorum ex pluribus cognoscere datur, quod Deus Messias sit Dominus Universi

 

342.  Animae mortuorum, qui inter animas reliquas venerunt, sicut Mahomedani, aliique, qui intus dubitarunt de Deo Messia, ex causa, de qua prius [338], quod scandala mera impleverint eorum mentem naturalem, feruntur{2} ad cognoscendum Deum Messiam, quod sit Dominus Universi, tam per instructiones vivas, secundum cujusvis captum, tum per id, quod transferantur in felicitatem coelestem, secundum eorum imaginationes, ut videant amaenissimos paradisos, cum multa varietate, qua ita delectantur, ut arbitrentur se in coelestem paradisum venisse, nam is insinuatur mentibus humanis, sed postea docentur, quod id non sit vera felicitas coelestis, quare iis quoque status gaudii eorum intimi cognoscere datur, usque dum fateantur quod gaudium hoc intimum sit imperceptibile{3}, et quod nusquam aliquis sensus humanus id attingere potuerit, dein quoque in statum pacis feruntur, usque ad intimum eorum, in quo etiam fatentur, quod nihil tale usquam expressibile sit; denique in statum innocentiae, qui est intimus, usque ad eorum sensum intimum, ex causa ut inde scire queant, quid vere bonum, quid vere spirituale et coeleste, hoc est, quid Divinum, nam vera felicitas, vera pax, vera innocentia, sunt prorsus Divina; in quos status dein veniunt, id{a} cum varietate secundum cujusvis vitam fit, nam perducuntur secundum indolem cujusvis plus et plus versus coelestia. 1747, 14 Dec.

@1 ms. animae

@2 sic J.F.I. Tafel; ms. ferantur

@3 ms. imperceptile

@a h.e. quod

☆この段落は☆印以降が交差線で抹消されています。

 

(2) 直訳

Quod animis{1} mortuorum ex pluribus cognoscere datur, quod Deus Messias sit Dominus Universi 死んだ者たちの霊魂に、多くのものから知ることが与えられること、神メシアが全世界の主であること

342.  Animae mortuorum, qui inter animas reliquas venerunt, sicut Mahomedani, aliique, qui intus dubitarunt de Deo Messia, 死んだ者たちの霊魂は、その者はその他の者の霊魂の間にやって来る、イスラム教徒たちのような、そして他の者、その者は内部で神メシアについて疑っていた、

ex causa, de qua prius [338], quod scandala mera impleverint eorum mentem naturalem, feruntur{2} ad cognoscendum Deum Messiam, quod sit Dominus Universi, 理由から、それについて以前に〔述べた〕〔338〕、彼らの自然的な心を単なるつまずきの石で満たしたこと、彼らは運ばれる(導かれる)、神メシアを知るように、全世界の主であること、

tam per instructiones vivas, secundum cujusvis captum, tum per id, quod transferantur in felicitatem coelestem, secundum eorum imaginationes, ut videant amaenissimos paradisos, cum multa varietate, qua ita delectantur, ut arbitrentur se in coelestem paradisum venisse, このように生きた教えによって、それぞれの把握(理解力)したがって、なおまたそのことによって、天界の幸福の中に移されること、彼らの想像力にしたがって、最も楽しい(快い)園を見るように、多くの変化とともに、それによってそのように楽しみを与えられる、自分自身が天界の楽園の中にやって来ることを思うように。

nam is insinuatur mentibus humanis, なぜなら、それは人間の心にしみ込む(徐々に持ち込まれる)からである、

sed postea docentur, quod id non sit vera felictas coelestis, しかし、その後、教えられる、それは天界の真の幸福ではないこと、

quare iis quoque status gaudii eorum intimi cognoscere datur, usque dum fateantur quod gaudium hoc intimum sit imperceptibile{3}, et quod nusquam aliquis sensus humanus id attingere potuerit, それゆえ、彼らに彼らの最内部の楽しさの状態もまた知ることが与えられた、彼らが告白する時までも、この最内部の楽しさが知覚されることができないものであることを、また人間の何らかの感覚でそれを触れることが決してできないこと、

dein quoque in statum pacis feruntur, usque ad intimum eorum, in quo etiam fatentur, quod nihil tale usquam expressibile sit; その後、平和の状態の中へもまた運ばれた(導かれた)それらの最内部のものへまでも、その中でもまた告白する、これまでにこのようなものは決して表現できないものであること。

denique in statum innocentiae, qui est intimus, usque ad eorum sensum intimum, ex causa ut inde scire queant, quid vere bonum, quid vere spirituale et coeleste, hoc est, quid Divinum, そしてその後、無垢の状態の中へ、それは最内部のものである、彼らの最内部の感覚へまでも、理由から、ここから知ることができるために、何が真の善か、何が真の霊的なものと天的なものか、すなわち、何か神的なものか、

nam vera felicitas, vera pax, vera innocentia, sunt prorsus Divina; なぜなら、真の幸福は、真の平和は、真の無垢は、まったく神的なものであるからである。

in quos status dein veniunt, id{a} cum varietate secundum cujusvis vitam fit, その状態の中へ、その後、やって来る、そのことは変化とともに、それぞれの者のいのちにしたがって、生じる、

nam perducuntur secundum indolem cujusvis plus et plus versus coelestia. なぜなら、それぞれの者の性質にしたがってますます天界的なものへ向かって導かれるからである。

1747, 14 Dec. 17471214日。

 

(3) 訳文

んだたちの霊魂、多くのものから、神メシアが全世界であることをることがえられること

 

342. 死んだたちの霊魂イスラム教徒たちそしてのような内部メシアについてっていたその霊魂にやって。その理由それについて以前〔述べたが〕〔338番〕、彼らの自然的なるつまずきのたしたからであり、彼らは、神メシアが全世界であることをるようにかれるからであるこのようにそれぞれの把握したがってきたえによってなおまたこのことによって、彼らの想像力にしたがって、最、多くの変化とともに、見るように、天界幸福されそれによって、自分自身天界楽園にやってるとうようなしみをえられることであるなぜならそれは人間徐々まれるからであるしかしその後、それは天界幸福ではないことをえられるそれゆえこの最内部しさが知覚されることができないものであることをまた人間らかの感覚でそれをれることがしてできないことをらが告白するまで、彼らにらの最内部しさの状態もまたることがえられたその後、平和状態へもそれらの最内部のものへまでもかれたそのでもまたこれまでにこのようなものはして表現できないものであることを告白したそしてその後、最内部のものである無垢状態、彼らの最内部感覚へまでも〔導かれた〕、その理由ここから、何、何霊的なものと天的なものかすなわち、何神的なものかることができるためであるなぜなら、真の幸福、真の平和、真の無垢は、まったく神的なものであるからである。その後、その状態の中へやって来る、そのことは、それぞれの者のいのちにしたがって、変化とともに生じる。なぜなら、それぞれの者の資質にしたがってますます天界的なものへ向かって導かれるからである。17471214日。

author:yasubee, category:霊界体験記, 22:46
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