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PROFILE
1946年12月生まれ。現在61歳。(yasubee「やすべえ」とは、高校時代に水泳部の先輩から付けられ、そう呼ばれた、あだ名)

新教会へ加わるまでの略歴と50歳までサイト「スヴェーデンボリのラテン語」最下欄の「協力:鈴木泰之」をクリックすればわかります。50歳からの歩みは今後語ることがあるでしょう。

50歳代後半は、最後の教員生活を楽しみました。そのときは「大先生」を自称し、生徒にも仲間教師にもそう呼んでもらった。ユニークな存在だったようです。
定年できっぱり教員ともお別れ。今は無職の貧乏人。
教員時代も終わりごろ東京都教育委員会から「戒告処分」された(私自身は節を曲げなかった「勲章」と思っています)。現在、裁判沙汰になっています。私も原告の一人なので裁判官に読んでもらうための「陳述書」を私の教員時代を語ったものとして、以下に掲載します。

     * * * * * *

    強制するもんじゃない
                            
                   平成20年1月22日
                   鈴 木 泰 之
                 (元四谷商業高等学校教員)

1 教員生活のあらまし

 私は、この3月(2007年)に定年退職しましたが、どのような教員生活を送ってきたか、簡潔に振り返ってみます。私は、東京教育大学・数学科を卒業して、そのまま高等学校の数学の教員となりました。そのとき頭にあったのは「生徒とともにある教師」でした。「生徒とともに学校生活を楽しみたい」とも願っていました。

 教科の方面では、なるべく生徒のやる気を引き出すように、生徒が興味を引くような題材をあちこちから集めてきて、なるべくリラックスした授業を心がけました。私の頭のなかには「勉強は自分でするものだ、全部聞いてわかろうとするのは怠慢だ」との思いがありました。言い換えれば、教育というものは、けっして教師が自分の考えを押しつけるものではなく、生徒自身が本来もっている内発的な知的関心や向学心を引き出してあげることだということです。そのための材料集め等の努力であれば、惜しみませんでした。もしかしたら、噛んで含めるような懇切丁寧な授業を期待する生徒には不満もあったかもしれません。

 私は、高校時代に水泳部に所属し、相当きつい練習に耐えてきました。今でも体力には自信があります。自分の高校時代を振り返るとき、部活動が大きな比重を占めていました。それで最初に勤めた全日制高校でもさっそく水泳部の顧問となり、放課後は生徒と一緒に泳いでいました。異動した二番目の全日制高校(新設校)では水泳部がなかったため、山岳部の顧問となりました。生徒と一緒の山歩きは楽しいものでした。そうした中、雪山で一日中続く吹雪に閉じ込められ、下山できずに、ちょっとした遭難騒ぎを起こしたことがありますが、このことは、今では良き思い出です。

 40歳を転機に、一生をかけても極めたい研究課題が見つかり、そのための勉強時間が欲しくて定時制に移りました。昼間はそのための勉強時間にあて、そのことは現在も続いています。

 三番目となった定時制高校では、またも水泳部の顧問をしながら、高等学校体育連盟(略称:高体連)の定時制通信制部会の水泳部事務局長になり、その役職をおよそ10年間続けました。狭い世界に閉じこもりがちとなる定時制の生徒に校外での活躍の場(公式試合)を提供することに生きがいを感じ、楽しく務めを果たすことができました。

 最後に勤めた定時制高校の四谷商業高校では、息子がバトミントンをやったこともあって、バドミントン部顧問となりました。「バドミントン王国をつくろう」と生徒に呼びかけ、息子にコーチを手伝ってもらいながら、四谷商業高校を定時制ではバドミントン強豪校の一つにできたことは嬉しい思い出です。(しかしもうすぐ廃校です)。その後は高体連定時制通信制部会・バドミントン部の事務局長も経験させてもらいました。生徒が試合で一生懸命に戦っている姿を見るのはいつも楽しいものでした。

 全日制2校17年、定時制2校20年の教員生活のうちにも、自宅に担任のクラス生徒や部活の生徒を呼んだことが何回かあります。そうすると、やはり決定的に生徒と仲良くなれます。

 私は、いわゆる「サラリーマン教師」にはなりたくありませんでした。振り返ってみれば生徒から見て私はどのような教師だったかわかりませんが、生徒との接触時間の多さは、放課後の部活動を通じて、他の平均的な教員以上だったと自負しております。すなわち「生徒とともにある教師」をまがりなりにも実践できた、と思っています。

2 私の思う教育とは

 私の信条は「自分の頭で考える」のが重要、というものです。そのための教育だと思っています。「教科書に書いてあるから、先生が言うから、といって信じてはならない」とよく生徒に言ってきました。そして、もちろん勉強は「自分から」やるものです(前述のように、私自身も生涯の課題に現在も取り組んでいます、もちろん一銭にもなりません)。人に「勉強しろ」と言われてする勉強とは何でしょう? 意味ありません。私は生徒に勉強を強制してきませんでした。生徒の内から出るやる気を尊重してきました。それをよいことに楽をする生徒もいたかもしれませんが、そのような生徒がいたとしたら、それは、私が勉強の楽しさ、面白さを、教えることができなかったのだと自分の力不足をこそ反省するのみです。

 この「強制してはならない」は教員時代を通じてずっと私の中にあったものです。それで、掃除なども強制しませんでした。生徒の前で楽しそうにゴミを拾って見せるだけです。サボる生徒はいます。でもそのうち、何人かの生徒が自発的に掃除をし始めます。そこで誉めます(そうした一瞬は私自身もほんとうに嬉しい)。

また、教員はいわゆる「自由」でなければなりません。教員自身がだれかに、これを教えろと強制され、命令されるのではなく、教員一人一人の意思が尊重される、と言う意味での自由です。教員は生徒に何を教えるか、どのように教えるか自由でなければなりません。もちろん一般的な原則(指導要領など)を無視しろという意味ではなく、その中での創意工夫の自由です。そういうさまざまな創意工夫を凝らすことに楽しさと喜びを感じたからこそ、私は教員になった、とも言えます。

 
3 国旗・国歌(日の丸・君が代)について

 日本が世界に誇れるものは二つあると思います。美しい国土などが思い浮かびますが、なんと言っても一つに「平和憲法」です。これは先の大戦の大きな犠牲の上に得た、世界史上稀な、非常に貴重なものであると思います。こんな崇高な法(第9条)を持った国がこれまで存在したでしょうか? 続いて「天皇」です。やはり世界史上で、このような「貴族」を持ち続けた国が他にあるでしょうか? ありません。特権階級だといって嫌う人もいますが、ちょっと話がそれるかもしれませんし、正確な言い方ではないかもしれませんが、教員には教員としての自主性という特権が認められなければならないのと同じように、天皇には天皇としての特権を認めてもよいのではないかと思っています。

 政治的に日本は「立憲君主国」だと思います。ただし、その君主(天皇)は国民の象徴であるとことが歴史的に稀にみる特色を持っているのです。

 私はこのような考えであり、平和憲法のもとでの日の丸・君が代に違和感を持ちません。しかし、戦前の「天皇陛下のために」、と言って、天皇を悪用し、個々の人間をないがしろにして国民を戦争に駆り立てていった人間は断罪します。むしろ平和憲法のもとでの健全な国旗・国歌感を育成すべきだとも思っています。では、どのように育成すべきなのでしょうか?

4 強制とは最低の手段

 やや一般論を述べます。労働は神聖です。でも、強制された労働とは何でしょう、奴隷しかつくり出しません。親孝行はよいものです。しかし親孝行が強制されたら、それは何でしょう。偽善でしかありません。私は、この国で生まれ、この国で育ちました。ちょうど家庭のようなもの、両親に感謝するような気持から、私は日本はよい国だと思っています。そのような自然に気持から、私は国旗・国歌には敬意を払います。

 ほんとうの敬意は強制からは生まれません。強制はかえってその価値を貶めます。私は敬意を払うがゆえに、敬意を払えと言わんばかりの強制には我慢がなりません。大切に思うものならなおさら、強制されたくありません。

5 職務「命令」とは強制でしょ?

 いつの頃か、入学式や卒業式などで国旗が掲揚され、国歌を歌うことになりました。私自身は、「卒業式など場にあまりふさわしい歌ではないな、国旗・国歌については別の機会で扱う方法はないの?」との疑問を感じながらも、君が代斉唱では起立し、歌ってきました。

 ところが数年前そろそろ卒業式を迎えるころ国旗・国歌に関する「職務命令」が出ました。このようなことはこれまで一度もなかったことであり、「教育に命令は不要」と思っていた私には非常なショックでした。職務命令が出る前に、私は校長に「命令など出さないでほしい。出さなくても、これまでちゃんとやってきている。命令されてやるもんじゃないと思うから、命令を出すなら、「強制」されることについての反対の意思表示をします。」と言い、職務命令を出すことに反対しました。

しかし、校長は立場もあってか職務命令を出しました。私は校長を見て、こうしたロボットにはなりたくない、自分の判断で、命令を出す必要のない人間には出さない、とどうしてできないのか、と情けなくなりました。そして、さらに、出された職務命令を見て再度ショックを受けました。私の個人名が書かれた私宛の命令書に「一つ、式を妨害するな。一つ、式にふさわしい服装で・・・」などとあり、「国歌斉唱の際には起立して歌う」とありました。私がこれまで、いつ式を妨害し、いつふさわしくない服装で臨んだと言うのでしょう。国歌斉唱時に起立しなかったというのでしょう。まったく人間の尊厳を踏みにじる、ばかにした内容でした。「こんな命令をよく出すなあ」と思い、私はこれで起立しまいと決心しました。

6 一律に「処分」とは、なんなのかこれは?

 卒業式では私は「強制反対」の信念から、静かに座って、国歌を聞いていただけで、それ以外の行動は一切していません。教頭と式当日に教育委員会からやって来た人以外だれも気づかなかったと思います。信念を訴えたければ卒業式でなく別の場がある、との意見があるかもしれませんが、私が反対していたのは、学校の卒業式という場で、教育にふさわしくない「強制」が行われることであり、国歌斉唱時に立つこと自体に反対なのではありません。そうだからこそ、他の場所でなんと主張しようが、「起立して歌ったんでは強制を認めたことになる」と思うので私にはできませんでした。

 私は、後になって「戒告処分」を受けました。信念に基づいた静かな態度でさえ、戒告処分の対象となるのでしょうか? 教育委員会は「だまって言われた通りにしろ、言うことを聞け」と言いたいのでしょう。

 でも、それでは「教育破壊」です。いろいろな主義・主張があることを認め、それを強制でなく、ともに粘り強く問題点を考え、なんとか合意点を見いだして、乗り越えるところに教育があると思っています。

7 あきれた「事後研修」

 その後、戒告処分者に対する事後研修がありました。私は、その研修会で国旗・国歌の意義を詳しく教えてもらえ、その意義を卒業式・入学式以外でもどのようしたら教育現場で教えることができるだろうか、との疑問をぶつけてみようと思って、期待して臨みました。ところが研修では質問は一切受け付けず、国旗・国歌には触れもせず、ただただ「上司の命令には従え」と地方公務員法をなぞるだけでした。こんな研修があり得るでしょうか。はっきりいって、学務の上でも貴重な夏休みを費やすに値しない、教員をばかにした研修会でした。しかも校長同席です。校長に何の責任があるのでしょうか?

 研修実施の事前に「内心の自由に踏み込む研修は憲法違反の恐れがある」との裁判所の判断が出て、都教委は腰が引けてしまったらしいのです。しかし、そんなことなら、最初から職務命令で強制などしてもらいたくない、と強い憤りを感じました。

 私は、それ以後の入学式・卒業式には出席しないことにしました。私が処分を受けるのは、不当とは思いますが、私の信念に基づくことですから、覚悟の上ですが、私の信念について何の責任もない校長を巻き込みたくなかったからです。

8 処分・その他について

 処分のために昇給延伸3ヶ月という実害が生じています。
けれども、私が心配するのは、自分自身のことではなく、若い教師たちのことです。これからも勤め続ける若い教員たちにとっては実害が大きくてたまらないでしょう。

 そしてなによりも、このような不当処分がまかり通り、ささやかな主義、主張、信念から従えないということさえ許されない、こんな強権発動を許しては教育が萎縮する、との危機感を抱きます。

 私は本来争いごとを好みません。ましてや裁判沙汰は嫌いなほうです。しかし、そんな私ですら、教育の場に強制を持ち込む現状は許しがたいと思い、原告の一員となることがその運動のほんの小さな助けとなれば、と思って参加しています。

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